第9話 守りたかったもの④
「……リリー?」
私の口からぽつりと漏れた言葉に、目の前の黒いフードを被った人物は肩をビクリと震わせた。
その様子を見た私は、勢いよく立ち上がり、
「待ちなさい!」
踵を返した疑惑の人物に真っ直ぐに手を伸ばし、届いた二の腕を勢いよく掴んだ。
その衝撃により、疑惑の人物が腕に抱えていたものらが床に落ちていく。
バサバサと落下していく複数の用紙。
続いて、写真立て、ブルーグリーンの革紐で結ばれた冊子が床に落ち、緑色の書類挟みが開いた状態で床に落ちた。
「これは……」
ひらひらと、私の足元に落ちてきた1枚の写真。
書類挟みに入れてあったらしいその写真は、私の意識全てを奪っていった。
写真に写っていたのは、薄ピンクの百合の花を持ち、眩い笑顔を浮かべるプラチナブロンドの美女。
スカイブルーの澄んだ瞳、写真越しでもわかる陶器のような肌質。
「……リリア様……」
なぜ、リリア様の写真が。
そう思ったのは一瞬で、リリーに関する情報を何としてでも掴もうという気でいた私は、この写真を見てすぐに察した。
リリーはリリア様のことに違いない、と。
リリア・ラント・ルーンは、彼の実兄であるジハイト様の妻。
『今は会えない』と国王から説明を受けている、未だ1度も対面した事のない詳細不明の義姉だが、爽やかに香る百合の薫りが特徴的で、ただ在るだけで魅了される美女という評判がある。
リリア、リリー、百合の花。
なぜ、今まで気づかなかったのだろう。
百合の香りは、リリア様を象徴するものだと言われていたし、リリーは百合の花の意味を持つ言葉でもある。
リリーから百合、リリア様の愛称を連想すれば、今得た情報にも早く気づけたはずなのに………………。
…………待って。
リリーがリリア様ならば、彼は不毛な恋をしていたということ?
いや、もしかしたら、密かに想いあっていたのかもしれない。
リリア様は11年前、隣国から我が国へ嫁いできた高貴な令嬢で、夫のジハイト様とは、国を越えた大恋愛の末に結ばれたという話は有名。
素晴らしき恋物語を王太子妃教育の際には聞き、周囲からの憧れの声も聞いてはいたが。
それもジハイト様の内情“女性を囲い遊んでいる”や“病気”についてを聞いた時に、真実味に欠ける話だと思えるようになってしまった。
リリア様と一度も会えていない事を考えれば、なおさら。
リリア様は、国王がジハイト様のために造った虚構の人物で、王室のイメージを崩さぬよう嘘をついているのでは…………。
そう内心で思う部分があったが、あの夜の
リリア様は、確かに実在する。
目の前の写真から見て取れる、生き生きとした眩い笑顔は、とても作為されたものだとは思えない。
なにより。
彼の、レオンの
それを身を持って知った私には、リリア様が虚像の人物だと思いたくても思えない、確かな記憶と体験が残っている。
リリア様についてはよくわからないが、詳細や姿を隠されている何らかの理由があるのは確実で、それは国王が取り決めている。
本当は微塵も優しくない国王のこと。
『今は会えない』の理由が、処罰を受けているためだと考えられなくはない。
もしその理由が、痴情のもつれだとしたら?
レオンとリリア様。
2人は想い合っている間柄で、それを咎められたのだとしたら…………?
「~っ」
リリア様は実在し、
そう考察した私は、内側から溢れ出る激情のまま、足元にあった写真を拾い上げた。
そうして勢いよく視線を周囲に移し、彼の人物を探す。
斜め前方、壁水の裏へと続いているらしい道の入口で、フードを被った人物が、背中を向けながら何かしている姿が見えた。
床に散らばった用紙がなくなっていたこと、両腕の動く様子から、落とした紙らを書類挟みに仕舞いこんでいることを察した私は、再び視線を周囲に移す。
そうして。
目の前の人物が次に拾うであろうもの、私と
ブルーグリーンの革紐で結ばれた冊子。
それを勢いよく拾い、胸に抱きながら私は立ち上がった。
「今から私が言うことに、正直に答えなさい!そうでなければ、これは返さないっ」
やや前かがみに見える黒い背中に、激情を抑えることなく言葉を投げつける。
黒いフードを被った人物がこちらを振り返ったと同時、私は目の前を思い切り睨んだ。
右手にはリリア様の写真、左腕には冊子を抱え込み、質を散ったのだと相手が思うようにそれらを見せつける。
目下にいるしゃがみ込んだ人物を強く睨んだまま、私は相手の様子を窺った。
しかし。
フードを深く被っているため、顔貌はもちろん表情も見えず。
反応を返してこない
やや前かがみでいる姿からは、落ち着きがうかがえた。
「…………ふぅ……」
小さな溜息。
何の意図で発されたかわからない吐息を、私は聞き逃さなかった。
「あなたは誰?何故ここにいるの?この写真は何?彼とはどういう関係なのっ?!!」
動揺を見せず、こちらを見くびったかのようにも思える
勢いよく、聞きたい事を捲し立て、写真をしゃがみこんだ人物の目前に突き出す。
すると。
「…………お言葉ですが、少し冷静になられてはいかがでしょうか。らしからぬ言動は、貴方様の身を滅ぼしかねません」
やや高めの声が、諭すように語りかけてくる。
フードを深く被ったままの相手からは、どのような表情をしているからわからなかったが、はっきりとした口調や動じない様子は、余裕を感じさせた。
目の前の人物が誰なのかはもちろん、事の真相は何も明確にはなっていない。
そのような現況において求められるものは、冷静さ。
王太子妃という私の立場上、己の感情を露わにするなど以ての外であり、特に庶民上がりの私の場合、些細なトラブルはすぐ悪評に変わる。
冷静にならなければならない事。
それは、頭では分かっている。
分かっているが、
「~冷静に?この状況で冷静になんて、なれるわけないでしょう?!馬鹿にしないで!」
今の私は、内側から溢れ出てくる激情を抑えることができなかった。
言葉では言い表せない複雑な感情が渦巻く中で、色濃く現れた怒り。
留まる所を知らない怒気は、発言のみならず私の行動を大胆にさせた。
勢いよく、右手に持っていた写真を床に投げつけた私は、目の前に見える黒いフードの登頂部分に手をかけた。
三角形の角のような先端は摘むのに丁度よく、摘んだ先を、私はそのまま持ち上げる。
しかし。
黒いフードに隠れた顔貌は、目にすることができなかった。
理由は単純。
彼の人物が、白い手袋をした両手で、目の辺りまであった黒いフードを下に下にと引っ張っていたからだ。
顔を見られるのは困るのだろう。
想像以上の強い引っ張りによって、私の指先が掴んでいた黒いフードの先端部分から離れてしまった。
「顔を見せなさい!無礼者っ」
何としてでも、この者の正体を確認しなければ。
その想いから、私は再び黒いフードの登頂部分を両手で掴んだ。
トサッと何かの音がしたと同時、私は足を1歩前に出し、踏ん張りながら掴んだ黒い生地を上に持ち上げた。
次の瞬間。
「ぃっ!?」
右腕に何かが当たった。
痛みを感じた事、固いものが当たった衝撃で、腕が後方へ動き、必然的に手が黒いフードから外れた。
何が当たったのか。
それを確認する暇もなく、今度は左手首が勢いよく掴まれた。
「何をしている!」
勢いよく強制的に体を動かされた事、激しい怒声を耳にした事により、私は反射的に目を瞑った。
左手首を後方に持ち上げられた勢いにより、首と上半身が、私の手首を掴んできた人物がいるであろう左側に向く。
すると、
「お前……」
動揺を感じさせる声が、耳に届いた。
聞き覚え、いや、絶対に聞き逃さないようにしている声。
それを感知した私が素早く目を開けると、紺のベストと金色のボタンが目に入った。
正面にいる人物の顔を確認しようと、自ずと視線を上にした。
すると。
綺麗なエメラルドブルーの瞳。
大きく見開かれたそれが、私を捉えているのが目に入った。
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