第9話 守りたかったもの③
解錠されていた二重扉、それを越えた私の目に入ってきたものは、普段王宮で見ている景観とは全く違うものだった。
正面には一本の道、その周囲には色とりどりの草花が綺麗に広がる。
赤、白、黄、紫、ピンクにオレンジ。
混在して咲く草花達の有り様は、立派な花畑そのもので、華美な王宮の花壇でも見たことがない麗しさがあった。
ふわり。
花畑の美しさに魅せられ立ち尽くしている私の頬を、柔らかな風が撫でた。
同時、甘く清楚な香りが鼻を掠める。
風が吹いてきたほうを見やれば、それらは真正面からきたものだということがわかった。
壁のように聳え並ぶ緑の鉢植え、それの中央部分にあたる1本の道の先には、花のつるが巻かれたアーチがある。
あの先に、何かがあるに違いない。
そう思った私は、足音を立てないよう静かに細道を歩き、花畑を通り越してアーチの中に足を踏み入れた。
バクバクと激しくなる心音と共に歩を進め、胸元を強く握りしめながら、つるに覆われたアーチのトンネルを出ると、
「っ?!」
そこには、絵画で見るような世界が広がっていた。
正面には壁泉、その両側には美しく咲き誇る薄ピンク色の百合の花。
その花達と璧泉から流れ出る水は、温室の窓ガラスから入る日の光によって宝石のような輝きを放ち、神聖な雰囲気を醸し出している。
中央には、美人が座ってお茶をしたら絵画そのものになるであろう、白のテーブルクロスがかかったお洒落なガーデンテーブルが設置されていた。
ふわりと時折頬を撫でる優しい風は、璧泉の奥からやってくるもので、それは温室内に甘く清楚な香りを運んでいる。
聞こえる璧水からのせせらぎ、体感する程好い採光。
ふと見上げた天井には綺麗な青空が、青々と茂った木々の葉と共にガラス窓越しに広がっていた。
こんな場所が、王宮内にあるだなんて……………。
息の詰まる王宮とは真反対の、穏やかで澄み切った空気感。
それらを前にした私は、言葉を失いその場に立ち尽くした。
この場所は一体。
神秘的に感じる雰囲気は、ここが特別な場所であることを感じさせるが、人が寄り付かない場所に存在していることからして、公にしたくないであろうことが伺える。
もしかして、ここは彼の憩いの場…………?
広くはないが狭くもなく、3.4名がゆったり過ごせそうなここは、真新しくはないが古くもない。
いつから存在していたのかわからないこの温室に、彼は、手が開けば通っているらしい。
王太子としての精神的重圧、心労をここで癒している。
そう推測できなくはないが、彼の趣味とは思えない雰囲気、私をリリーと誤認識した際に身にまとっていた甘く清楚な香りの元、それがここにある点はやはり引っかかる。
気になる点は、もう1つ。
王宮の端の端、隠れるかのように存在する場所の割には、ここは手入れが行き届いている。
咲き誇る花達や形が整っている植木、綺麗なガラス窓は、丁寧な世話がされている証拠。
公務で多忙な彼、ましてや王太子が、この場所の世話をするわけがない事を考えれば、誰かが世話をしているという答えに行き着く。
しかし、王宮の端の端、人が寄り付かない場所を手入れする人間が王宮内にいるとは思えない。
王宮に従事する人間の名簿内には、当てはまりそうな者はいなかった。
ならば、誰が………………。
…………まさか、リリー?
「~っ」
推測からある事が脳裏に浮かんだ私は、湧き上がる気持ちを抑えながら、辺りを調べ始める。
リリーとは誰なのか。
それを明確にしていく過程で、色々な事が私の頭の中をよぎった。
1番に思い浮かんだのは、リリーは、王太子妃に相応しい人間と見なされなかった人物であること。
相思相愛なのか、彼の片思いなのか。
リリーへの強い想い。
非の打ち所がない王子としての体裁がある彼は、それを隠していただろう。
しかし。
普段感情的にならない彼が、リリー相手には熱い想いを口にしてしまうほどだ。
あの夜のように、気が緩んだ際に気持ちが出てしまったり、心の内を誰かに悟られていたとしても、おかしくはない。
自分の気持ちを隠すため、国王や貴族らに心の内を知られないために、彼は、リリーの存在を隠したのではないだろうか。
そして、リリーを諦めることなどできない彼は、王宮に関わる者としての記録を残さず、王宮の端にあるこの温室に出入りできるようにした。
王宮内に出入りする者、または、従事する者が記された名簿。
それに名が無い人間は王宮内に入ることすらできないが、彼が上手く処理したならば、広い王宮の敷地内のどこかで、密かに暮らすこともできなくはないはず。
リリーが温室の世話をしているかどうかは不明だが、この温室をリリーに会える場所にしたのは間違えないだろう。
つまり。
ここは、彼がリリーと逢瀬する場所、だ。
彼はリリーと、オアシスかと思う素敵なこの温室で、綺麗な草花を見たり仲睦まじくお茶をして、楽しい時間を過ごしていたのだ。
彼は、リリーを愛おしそうに見つめていただろう。
透き通る海のような、エメラルドブルー。
私が向けて欲しいと願ってやまない、誰もが宝石のようだと賞賛する美しい瞳を、彼女に向け嬉しそうに微笑んでいたとしたら。
あの夜、私が体験したように、熱い瞳を向けながら、優しく愛を囁いていたのだとしたら――――――――――
「~っ」
百合の花が植わった鉢植えの周辺を探る、私の視界が涙で滲む。
リリーが、この温室の世話をしているかもしれない。
そうでなくても、彼女がここに出入りしているのは間違えない。
そう思った際に頭の中に浮かんだイメージは、私の体を突き動かし、リリーに関する情報を何としてでも掴もうという気にさせたが。
考察すればするほど感情が溢れ出し、冷静ではいられなくなってしまった。
リリーがどんな人間で、彼を、レオンをどう思っているかは知らないが、この場所の出入りを許可され、レオンと2人仲睦まじく過ごしているだなんて許せない。
レオンは既婚者で、私という妻がいる。
レオンは王太子で、私は王太子妃。
王族を傷つける事は許されない、伴侶や婚約者のいる相手と必要以上に仲良くしてはならない、というこの国の規則を、知らない人間がいるわけがない。
つまり、リリーという人間は全てを知っていながらレオンと過ごし、私を傷つけているということだ。
分かっていて、この空間に居続けるのだとしたら、彼と2人、仲睦まじくしているのだとしたら。
腹立たしいし、なにより、嫌で仕方がない。
レオンがここで、他の女性を愛でているだなんて。
そんなの嫌だ。
嫌すぎる。
私は、婚約が決まったときから、王宮に連れて来られた日、レオンをちらりと見たあの時から、レオンのことがずっとずっと好きだった。
レオンを片時たりとも想わない瞬間はないし、レオンに相応しい女性になるための努力も惜しんでいない。
それなのに。
どうしてリリーは、私が欲しいものを全て手にしているの?
私は、リリーが得ているもの何一つ得られていない。
レオンから愛情を貰えていないことはもちろん、レオンのプライベートに関わることすら許されていない。
こんな素敵な温室、見たことも入ったこともなかった。
私を見て欲しいとひたすらに願う、レオンの瞳ですら、私は1度も向けられたことがない。
妻になってから目を合わせて貰えた事はないし、向けられても、どこか遠くを見つめるような焦点が合わない視線だ。
愛おしいという気持ちを乗せた視線は、リリーを想ってのものだったと、あの夜知ってしまってしまった。
私はレオンの妻なのに。
どうして。
どうして、妻では無いリリーにはこんなにも沢山、
「……え?……」
美しく咲き誇る、淡いピンク色をした百合の花。
それを目前に、涙を堪えながら考察していた私の頭上から、突如、驚きを示す声が聞こえた。
女性のような、落ち着いた柔らかな声色を感知したら私は、勢いよく顔を上げる。
すると。
黒いフードを被った怪しい人物、それが私の右側、壁泉の横に立っているのが目に入った。
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