第4話 起点となるディナー⑤



「子を成せぬ王太子妃になど価値はない。アンジュよ、我を決して失望させるでないぞ」



 王の言葉を捉えるや否や。

 私の心臓が大きく音をたてた。


 

 ドクン。

『失望だ。もっと厳しく教育せよ』


 ドクン。

『平民あがりが。なぜお前みたいな小娘が婚約者なんかにっ』


 ドクン、ドクン。

『完璧になりなさいと、何度言えばわかるの!王を失望させたら、私まで罰を受けるのよっ!!』

『悪いのは出来ないやつだ』


 ドクン、ドクン、

『なかなかに成長しない出来損ないか。価値のない者にならぬよう、――を与えるしかない』

 


 ドクン、ドクン、ドクン、ドクン。

 (ヤメテ、コワイ、イタイ、) 

 

 (ダレカ、タスケ「っ!」


 突如、左手に痛みが走った。

 グッと力強い圧をかけられた左手は、さらに痛みを増していく。

状況が理解できぬまま、痛みのある左手に目を向ければ、自分の左手が彼に握られているのがわかった。

 彼は、椅子に座る私の左横に膝立ち、こちらを覗き込んでいる。

 

「大丈夫、か?」


 彼が私に声をかけた。


 

 …………私を、心配した……の? 


 

 初めて向けられた態度に戸惑いながらも、頼みの綱を見つけたかの如く、私は勢いに任せて彼のほうを見やる。

 が。 


 それは、心配ではなかった。


 彼の、周りからは分からぬ程度に私から視線を外した、光のない目はこう言っている。

 “なにをしている。早く返事をしろ”と。



「…………は、い……」


 枯渇しきった貯水庫から何とか水を絞り出すように、私は声を出してみせた。

 同時、握られていた手はパッと、役立たずな物をゴミ箱に入れるかの如く、冷たく離される。

 

 離された左手に残ったのは、ズキズキと激しく主張する手の平の痛みと強い圧迫によって生じた痺れ。

 先程から強く脈打っていた心臓は、バクバクと激しさを増している。

 

 よく、わかっている。

 今の態度が、よろしくなかったことは。

 だけれども。

 王の問いかけへの返答に、時間がかかってしまったのは許して欲しい。

 彼に、有り得ない期待をしてしまった事を、愚かだと笑わないで欲しい。

 

 自分ではコントロール出来なかった。

 予想外のこと過ぎた。

 昔の、苦い記憶が、脳内を掠めるだなんて、そんな、


 ガタン。

 沈黙が支配していた場で、王が立ち上がった。


「自分の立場をよく自覚しておけ」


 瞬きの1つもできずにいる私に、国王は冷淡無情に振舞った。

 

「レオン、お前もだ。王太子が世継ぎを成さぬなど、例外は絶対に許さんからな」


 次いで彼に、強い声色で忠告した国王は「食事をする気分ではない」と席を立つ。

 続いて、王妃が立ち上がった。

 王妃は何も言わぬまま、綺麗な所作でこの場を去っていく。



 ギィィ、バタン。


 重い扉の閉じる音がした直接、今度は、私の左隣で膝立ちをしていた彼が立ち上がった。

 離席の意を感じ取った私が続けて席を立……とうとしたが、足に力が入らない。

 体に力が入らない。

 

 どうしたら……。

 私がそう思っている最中、彼は「王と話をつけてくる」と言い、こちらを気にすることなくこの場から去っていった。



 彼の後を追わねば。

 状況は、さらに悪くなる。

 

 そうわかっていたが、体は未だ動かない。

 どうしたらよいかを考える頭も、回らない。


 

「ねぇぇ」

 

 右隣から声が聞こえる。

 声がした方へゆっくり顔を向ければ、いつの間にか、ジハイト様が私のすぐ右隣にいた。


「大丈夫ぅ?」


「……なにがです?」


 顔を近くに寄せてきたジハイト様に、酷く乾いた口から声を絞り出し、できる限りの力を込めて睨んでみせる。 


 私に干渉しないで欲しい。

 面倒なジハイト様に構う余裕などないのだから。 

 

「……まぁ、いいや~。僕、めんどくさいの嫌いだしぃ」


 椅子の背もたれと肘置きを掴み、私を閉じ込めるようにして覗き込んでいたジハイト様が、私の傍から離れていく。

 ジハイト様は去り際、私の耳元で「じゃ、またネ」と怪しく囁いてから去って行った。


 

 皆が去ったテーブルに残されたのは、私と、右隣に置かれた写真立ての中で微笑むリリア様。

 

 色々なことがありすぎて、…………。

 

 私はその場から動くことが出来なかった。


 微笑むリリア様や残された料理がテーブルの上から綺麗に片付くまで、私はピクリとも動けなかった。

 

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