第5話 偽りの顔①
レザーで作られた長椅子に座る身体が、ガタガタと激しく揺れる。
王都の外れに位置する人気ひとけの少ない道。
そこをゆっくりと進んでいる馬車だが、舗装が不十分な田舎道では、いくら上質な王家の馬車でも振動は免れない。
奇異の目でこちらを見る人影が1人、また1人と減り、辺りに人の気配を感じ無くなった所で、揺れは停まった。
「到着致しました」と声をかけつつ、私が馬車から降りるための補助を行う御者。
その勤士によって地に降り立てば、広大な大地と晴れ渡る空が目の前に広がった。
ここは、我が父と双子の弟妹が住んでいる片田舎の地。
今月11歳になる弟妹を祝うため、私は王都から遠路はるばるやって来た。
「ア、アンジュ様」
佇んでいた私に、侍女のサーシャが左後ろから日傘を刺してきた。
寒凪の今日は、この時期にしては暖かく日の照り返しが強かった。
日焼けしないように、の配慮だろう。
「付き添いは結構よ。せっかくの家族で過ごせる時間を邪魔されたくはないの。言わずとも、貴方ならわかるでしょう?」
「は、はい。も、申し訳ありません。私は、……こ、こちらで、お帰りをお待ちしております」
サーシャに日傘を刺すことや付き添うことは不要だと伝えた私は、少し歩を進めてから振り返り、先程まで両脇に立っていた者らに声をかける。
「監視は、弟妹らにはわからない形で行いなさい。私の言う事を守らなければ、この場の権限を私にくださった国王様に報告するわ。仕事が出来ぬ者として」
「………………」
「護衛の者、返事は?」
「「……かしこまりました」」
私が返答を促してやっと、不満の意を含んだ返事が聞こえた。
(横暴な女狐め)
(自分勝手な我儘で、俺らの仕事を邪魔する気か)
そう言った心の声が護衛の者から漏れているのを感じた私は、 最悪の護衛に当たったことに気づき、小さく溜め息をついた。
監視の具合や私の城内での世評。
それらは、より悪くなるだろうが仕方ない。
目を光らせた護衛が側にいると、私の家族、特に妹が怯えてしまい話も録にできなくなってしまうのだ。
従者を置き去り身軽になった私は、1人、実家に続く土道を歩き出す。
進むに連れ舗装の程度が良くなるその道には、数種類の小さな畑や花壇が存在しており、人が自然の中で慎ましく暮らしているという様子が感じられる。
その平道を、この場には似つかわしくないヒール靴で、私はカツカツと音を鳴らしながら歩き進んでいった。
レンガで作られた小さな建物まであと数m。
その場所まで来た私は、歩いてきた道から右に逸れ、道では無い芝生に足を踏み入れた。
ザクザクと、かつては裸足で歩くこともあったこの広場を、流行最先端のヒール靴で歩き進んでいく。
そうして、一際大きな木の前に辿り着いた時、私はその足を止めた。
『大切な木樹なの。私の、みんなが大好きな場所よ』
生前の母が大事にしていた目の前の木は、樹齢200年を越える大きな大樹で、春になると桃色の美しい花を咲かせる。
母いわく、昔、この国ができた頃に平和を祈った民が植えたものらしいが、この木は国の所有物ではなかった。
その為、私達がこの場に移り住んでからは、我がブルーム家のシンボルツリーとして管理していたのだ。
母がこの木を偉く気に入り、この場所を新たな住まいに決めた。木をサクラという呼名で読んでいた。など。
この土地や木樹は、我が家にとって特別で大切なものだ。
体が完全に隠れてしまう幅広な幹に、私はそっと手を当てる。
さわさわ。
風が吹く気配など一切なかった天候の中、この場に優しい気流が発生した。
同時、今日だけ特別に身につけた母の形見であるイヤリングが小さく揺れる。
『アンジュはアンジュらしく。幸せに生きるのよ』
10年前に病で亡くなった母は、長い眠りにつくその時まで笑みを絶やさなかった。
温かな愛情を注いでくれていた母を失った悲しみは大きかったが、悲嘆に暮れることは無かった。
優しい父と私を頼り慕ってくれる弟妹がいたし、この場に来ればいつも感じられたからだ。
母と過ごした、光り輝く幸せな日々を。
「……この、穏やかな生活を、守ろう……」
母の笑顔と最期の言葉を胸に強く刻んだ私は、父や幼かった弟妹達、ここでの幸せな生活を大事しようと心に誓った。
そして、いつか、嫁がねばならぬ時が来たら、素敵な人と結婚したい。
大好きな両親のような仲睦まじい夫婦になって、温かな家庭をつくりたい。
私も家族も大切にしてくれる、父のような優しい人と一緒になって、幸せだと思える人生を生きたい。
そんな想いを、10年前の私は確かに抱いていた。
この先も、家族皆でこの場所に生き、穏やかで温かな日々が続くと信じながら。
「アンジュ!」
背後から名前を呼ばれ、私は流れるように振り向いた。
父だ。
父は振り向いた私を見て、嬉しそうに微笑んだ。
両隣には、以前会った時よりも大きくなった母似の弟妹が立っている。
久しぶりに見た家族の姿に、私は駆け寄りたい衝動にかられた。
重たいドレスや装飾品、歩きにくいヒール靴など脱ぎ捨てて、あの場所に駆け寄りたい。
温かな思い出が詰まったこの地と家族の温もりを、思い切り感じたい。
そう思い、足を踏み出そうとした瞬間。
3人の背後にある、大きなサイプレスの木の後ろ側に人影が見えた。
殺気立った様子でこちらを監視している、護衛の者達。
その姿を捉えた私は、緩みそうになった表情を引き締め、ザクザクと芝生を踏みつけながら家族に近寄った。
「4ヶ月ぶりですね、お父様」
個体距離まで近づいた私が綺麗な礼をして見せれば、父は慌てて頭を下げた。
つられて、隣にいた弟妹も頭を下げる。
「あ、アンジュ、王太子妃殿下。ようこそ我が家へ」
「「……ようこそ」」
目上の者に向けた挨拶と綺麗な礼を返してきた父や弟妹に、私は切なさを覚える。
本当ならば、抱きしめ合って再会を喜びたかったが、監視の目がある以上、それは叶わない。
完璧な王太子妃。
私はここでもその姿でなくてはならない。
「お茶の準備をして参ります」
そう言った父がその場を離れると、私は弟妹と対面する形になった。
母に似ている事も相まって、2人を見ていると胸の内から熱いものが込み上げる。
一卵性双生児である弟妹は、幼い頃は瓜二つ過ぎたため父や関わりのあった人達には間違えられてしまう程だった。
見分けることのできていた私に、2人はよくなついてくれており、私はそれが堪らなく嬉しかった。
『ねー』と呼びながら輝かしい笑顔を向けてくれる2人の姿は、私にとって救いであり日々の大きな活力で…………。
そんな2人も今や11歳。
大人に成り行く弟妹は、私をどう思ってくれているのだろう。
そんな想いを抱きながら2人を見ていると、
「お言葉ですが、アンジュ王太子妃殿下」
弟のサーガが、凛とした眼差しをこちらに向けながら問いかけてきた。
「なんでしょう、ブルーム伯サーガ」
「王太子殿下は、本日はご一緒でないのですか?」
「レオン殿下は、仕事の都合で来られなくなってしまったの」
嘘だ。
彼は、わざとこの場に来なかった。
2週間前に行われた会食での出来損ない私の態度や対応をご立腹なのか。
彼はあれから私に一切接触してくることはなく、予定していた2人での公務は、王太子妃の体調不良と称して欠席の形にされてしまった。
今日の実家訪問に関しても、昨晩遅くに届けられた手紙にて行かない旨を告げられたのみだ。
『“仕事が立て込んでいる”』
簡易な記述がなされていたが、それは嘘であろうことが会食後の彼の行動や今回の予定の重要性から予測がつく。
仲睦まじい夫婦という建前上、この訪問は大切な予定だったにも関わらず、それを拒否したということはつまり、彼は私の顔も見たくない程に私を見下げ果てていると捉えてよいだろう。
まあ、顔をきちんと見られた事など今まで一度もないが。
「アンジュ様?」
名を呼ばれた事からハッと我に返れば、目の前のサーガが怪訝な顔を見せていた。
彼に悪印象を抱くような形になってはよくないと思った私は、サーガに優しく微笑み返す。
「ごめんなさいね。次の時は殿下と一緒に来て、お祝いの言葉を贈るわ」
「……いいえ、お気になさらず。お答えありがとうございました」
「……あの」
サーガが話し終えてすぐ、今度は、妹のリーエがおずおずと口を開く。
「……護衛の人達は……いらっしゃらないのですか?」
「護衛の者は下がらせているの。貴方達をお祝いしたくて来たのに、ゆっくり話ができないのは嫌だもの」
隣にいるサーガの袖をぎゅっと掴みながら発言したリーエを安心させようと、私は幼子に語りかけるような優しい声色と笑顔で答えてみたのだが。
私の言葉を聞いたリーエは、身を固くし顔を強ばらせてしまった。
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