38湯目 和倉温泉

 ようやく能登半島の入口、あるいは観光拠点とも言える、和倉温泉に着いた時には、なんだかんだで夕方近くになっていた。


 そのため、当初の予定通り、観光は後回しにして、真っ直ぐに宿に向かうのだった。もっとも、長距離を走った疲労もあったからまどか先輩は、一際宿に向かいたがっていた。


 巨大な宿泊施設に囲まれたエリアの中に、ぽつんと一軒、古ぼけた3階建ての和風旅館があった。

 まるで昭和のバブル期の名残のような、外見は豪奢な瓦屋根だが、中はお世辞にも綺麗とは言えない、古くて、色褪せた壁が目立つ宿。


 そこがその日の宿だった。

 まどか先輩曰く。


「安かったんだ」

 だった。


 まあ、それも納得の造りではあった。


 一応、5人が泊まれるような大部屋を用意してもらって、そこに落ち着くも。


  土曜日なのに、館内はシーンと静まり返っている。つまり、客が少ないということだろう。

 古い建物で、夜に廊下が異様に静寂に包まれていると、逆に怖いと感じるものだ。


 だが、その反面、ここのサービス自体は非常に良かった。


 まどか先輩は、夕食付きのプランを頼んでいたらしいが、夕食には、日本海側で捕れたと思しき、かにやマグロやエビなどの海鮮料理がズラリと並び、それにご飯と味噌汁がついてきたが、ご飯が柔らかくて甘く、非常に美味しいのだった。


 食後。

「食った食った。んじゃ、風呂行くぞー」

 相変わらず、どこか中年のおっさんみたいな態度で、自分の腹をさすりながら、まどか先輩が先導するような形で、大浴場に向かうのだった。


 そして、ここでは、客の少なさが幸いする。


 大きな浴場で、20人以上は入れると思われる内湯と、簡単な庇がある露天風呂があった。


 だが、先客は一人もいなかった。

 ここの宿の経営は大丈夫か、と余計な心配をしてしまうくらいに、極めて寂しい状況ではあるが、逆に言うと、この状態は「貸し切り」だ。


 内湯に軽く浸かった後、5人で外の露天風呂に向かう。


 露天風呂はさすがに狭く、5人で入ると結構ギリギリだった。


 だが。

「熱いですね」

「うん。思ってたより、温度が高いネ」

「大したことないです」

 私と、フィオと、花音ちゃんの感想。


 一方で、

「いやあ。この熱さが快適なんだ。ロングツーリングで疲れた体に染みるぜー」

 相変わらず、まるで風呂場で酒でも飲んでるおっさんのように、まどか先輩は、その小さな体を湯につけて天を仰いで、恍惚とした表情を浮かべていた。


「ここは、泉温が高いのよ。確か80度か90度だったかしら。無色、透明、無臭で、泉質はナトリウム・カルシウムー塩化物泉。リウマチ、腰痛症、神経痛、五十肩、打撲、捻挫冷え性、疲労回復、健康増進などなど、あらゆる効能があると言われているわ。海に近いから、塩分が強いのが特徴ね」

 やはりいつも通り、琴葉先輩だった。


 温泉博士のような彼女は、最近、熊先生こと山梨大学の正丸先生にレポートを届けに行くついでに、温泉学の簡易的な授業のような物を受けているという。


 すっかりあのエロ先生、じゃなかった熊先生に気に入られたようだった。琴葉先輩は魅力的だから、セクハラされないか、微妙に心配だったりする。


「明日は、どうするんですか?」

 珍しく、いつもアンニュイな花音ちゃんが積極的にまどか先輩に質問したのは、彼女が元々、「走りたくて仕方がない」性格だからだろう。


 彼女は、ツーリングをするライダーの中でもいわゆる「距離ガバ」と呼ばれるタイプに近く、一日中走っていても、苦にならない、つまり「バイクの走りそのものを楽しむタイプ」に私には見えた。


 天を仰いでいたまどか先輩が、花音ちゃんの方を向いて、

「そうだなあ。能登半島を反時計周りに一周かな」

 と言っていたが、


「反時計周りですか? 逆に時計周りの方が、常に進行方向の左側に海が見えるからいいのでは?」

 花音ちゃんが珍しく提案していた。


「うーん。それでも悪くはないんだが、ここから山を越えて西側に行くのが微妙に面倒というか、先に能登島に行きたいってのもあってな」


「そうですか。じゃあ、それでいいです」

 相変わらず、どこか不遜な態度、というか投げやりな態度で、花音ちゃんは眠そうな瞳を向けたまま頷いた。


「能登島、禄剛埼ろっこうさき白米千枚田しろよねせんまいだなんかが有名かしらね」

 観光案内ガイドのように、滑らかに琴葉先輩が呟く。


「楽しみです」

 私は、まどか先輩のように空を見上げて、呟いた。


 空には、満天の星空が輝いており、都会では決して見られない星の海が広がっていた。

 翌日の天気予報は、晴れ。


 いよいよ能登半島ツーリングが始まる。

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