36湯目 能登への途次

 9月中旬に差し掛かる頃の土曜日。


 私たちは、満を持して、「北陸」地方に行くことになった。

 私にとっては、人生初の北陸。


 バイクに乗ってからというもの、行動範囲が一気に広がったことに我ながら驚いていた。

 何しろ、ほんの数年前まで、甲府市でさえ「遠出」だったのに、今じゃ1日に数百キロは平気で走っているのだから。


 そして、出発の朝は、大抵いつも「期待と不安」でいっぱいになる。


 期待、とはもちろん旅路と、見知らぬ土地への期待感だったり、いい風景を見たり、いい温泉に入るということがあるからだ。


 一方、不安、とはもちろんバイクという非常に不安定で、危険な乗り物に乗る以上、常に「事故」が頭にちらつく。

 もし、途中で事故を起こしたら、あるいは事故を起こすつもりはなくても、巻き込まれたら。


 前に、まどか先輩や琴葉先輩からこんなことを聞いたことがあることを、ふと思い出した。


(バイク乗りは、縁起をかつぐ)

 と。


 つまり、やたらと、出発の朝のジンクスにこだわったり、やたらと旅先で神社に行っては、交通安全のお守りを買ったりする。

 それだけ、バイクは「危険と隣り合わせ」なのだ。


 だから、私は常に出発前に、こう思っている。

(今日も無事に、ここに帰れますように)

 と、願うのだ。


 実際、もしかしたら、この家の敷居を二度とまたぐことなく、あの世に旅立つかもしれない。それが決して誇張ではなく、「絶対ない」と言い切れないあたり、バイクは恐ろしい。


 だが、その反面、車や電車の旅では決して見られない「バイクだけの景色」が見れるのも確か。


 生身の身体を晒しているから、危険なのは間違いないが、反面、五体五感のすべてで、季節感や風景を感じ取れる。


 そんな「旅」がまた始まった。


 待ち合わせはいつものように、塩山駅前のコンビニ。

 さすがにみんなライダースジャケットは着ていたが、何人かはメッシュ仕様だった。9月はまだまだ暑い。


 早速、下道経由で、北陸を目指すが。


 さすがに「遠かった」。


 何しろ、甲州市からは、厄介な国道20号、通称「甲州街道」が待ち構えている。

 どこまでも続くような、甲州街道。正確には、この道の終点は、諏訪湖を越えた先、長野県塩尻市にあり、そこからは国道19号に代わるのだが。


 その塩尻までの道、約2時間半。距離にして105キロほど、これが長い。


 そもそも平日は通勤渋滞、土日は行楽渋滞に晒されるこの道、流れが悪い。


 やっと少し流れが良くなるのは、山梨県中心部を抜けて、北西部の北杜市に至る頃だが、もうその頃にはすぐに長野県に入る。


 八ヶ岳連峰を右手に見ながら、ひたすら長野県を走り、塩尻を越えて、ようやく松本市付近まで来た頃。


 時刻はもう昼近くになっていた。


 塩尻から間道を抜け、山形村を通り、国道158号に入ると、後は登りになる。


 前にも行った、飛騨地方に至る道。


 その途中の道の駅風穴の里で、少し遅い昼食となった。

 そこでは、雄大な山々の景色を見ながら、そばを食べれるという。


 各々が、好きなそばを注文した後。

「はー。さすがにダリぃな。まだ半分くらいか」

 まどか先輩が、早くもダレていた。


「だらしないわね。まだ半分も来てないわ」

 琴葉先輩がテーブルに突っ伏しているまどか先輩に返すが、その後のまどか先輩の一言が、ある意味、的を得ていた。


「長距離走行が楽なVストロームに乗ってる奴に、この苦労はわからねえよ」

 確かに、彼女の言う通りで、Vストローム自体が元々、長距離を走るために開発され、ヨーロッパで爆発的に売れたそうだ。琴葉先輩が乗るのは、250ccだが、それでも快適性で言えば、他の部員のどのバイクよりも楽なはずだ。


「大丈夫ヨ! あとは、飛騨の山を越えて、一気にビューンだネ」

 何だか可愛らしい表現で、笑顔を見せるフィオがそう言っていたが、


「まあ、飛騨はともかく、その先が面倒そうですね」

 花音ちゃんは、携帯の地図アプリを見ながら呟いた。


 私もまた、携帯のナビ画面を開くと、その理由がわかった。

 富山県に入ってからは、恐らく市街地を抜けて、高岡市を通って、能登半島にたどり着く。


 平たく言えば、市街地=信号機が多いのが一般論だ。


 この国道158号でさえ、信号機が少ないくせに、交通量が多く、流れが悪いのに、さらにその先の富山県では信号機地獄が待っている。


 そう考えると、確かに、まどか先輩でなくても、ダルいようには思った。

 バイクにとって、一番の「敵」は、実は風でも雨でもなく、「市街地の信号機」なのだから。


 実際、頻繁に信号機で停められると、夏は暑いから疲れるし、燃費が悪くなる。

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