21湯目 熊先生
正確にはそれはもちろん「熊」ではないのだが。
まるで「熊」、それも本州のツキノワグマではなく、昔、映像で見た北海道の「ヒグマ」に近いくらいの威圧感にも似た雰囲気を感じる。
まず、教授という割には体格が大きい。明らかに昔、何かスポーツをやっていたと思われるがっしりとした肩幅。身長は180㎝は越えていた。
それに加えて、肩付近まで延びる長髪に、口元と顎を覆うような、日本人らしからぬ、西洋の映画の俳優にいそうなくらい見事な「髭」。年齢は恐らく50歳は越えていると思われた。その証拠に、髪は薄くなっており、白い物が混じっていた。
眼鏡をかけており、腹が出ており、全体的に丸々としたところが、私は一目で「熊」だと思い、
(熊先生)
と勝手にあだ名をつけていた。
その熊先生こと、正丸先生は、意外なほど明るい表情で、私たちに、
「座って、座って」
と、ソファーを勧めてくる。
教授の座っている豪奢なオフィスチェアーの前に、大きなテーブルがあり、その上にデスクトップパソコンが置かれてあった。
さらに、その手前に、来客用と思われる、横長のテーブルに、三人がけくらいのソファーがテーブルを挟んで二つあった。
教授は、ソファーの向こう側に座るが、私たちは5人いる。
片方に3人かけても、残り2人が余る。
仕方がないので、諦めたのか、私とフィオ、花音ちゃんは手前に、まどか先輩と琴葉先輩は教授がいる向こう側に腰かけるが、総勢6人だから、ほとんど隙間がないくらいに、スペースがギリギリになった。
しかも、教授は、私たちを見て、ほくそ笑み、
「いやあ、こんな若い女子高生たちが僕の研究室に来るとはね。嬉しい限りだ」
と、鼻の下を伸ばしているのが、私には気にかかり、
(エロ親父の熊だ)
と勝手に思って、睨んでいたが、その前に、ちょうど教授の真横に座っている琴葉先輩が、
「わたしたちに何かすれば、警察呼びますよ」
と満面の笑みで言っているのが、逆に怖かった。この人は、本気でやりかねない。
琴葉先輩の意外なほどの鋭い突っ込みに一瞬、たじろいだ正丸先生に対し、彼女は持参したレポートを差し出して、説明を加えようとするが。
その前に、
「分杭くんは元気かね?」
と聞かれた彼女に代わって、まどか先輩が、
「いつも通りですよ。相変わらずスピード狂ですが」
と返すと、正丸先生は豪快に笑いながら、
「ははは。彼女は美人だし、面白いね。僕がもう少し若かったら、是非奥さんにしたかった」
などと、本気とも冗談とも判断できないことを平然と口走っていた。
ともかく、教授は琴葉先輩が差し出したレポートを読み始めたので、一通り見ている間に、私は辺りを見回してみた。
ここが「研究室」と彼が言った通り、確かに本棚には書類や分厚い辞書のような本がいっぱい挟まっていたし、パソコンもデスクトップ以外にも、ノートパソコンも1台あったし、デジカメが置いてあったり、壁には大きな日本地図が掲げられてあった。
何かわからないが、ガラスケースの中には、優勝カップのようなものがあり、他に高そうなウォーターサーバーまで置いてある。内装は豪華で、椅子や机などの調度品も高そうなものを使っていた。
一目で見て、「教授は儲かるのかな」と思うくらいの豪華な部屋だったが、これらの調度品自体が、大学から支給されたものだろう。
ややあって、教授は、自らの立派な顎鬚を、レポートを持っていない左手でさすりながら、口を開いた。
「うん。よくまとめられてるね」
それだけを言って、興味深そうに眺めていた。
「あの。正丸先生は、地域社会学の教授とお聞きしましたが」
おもむろに私が思っていたことを口にする。
「そうだけど」
「地域社会学と温泉って、関係あるんですか?」
そう聞いたら、これがある意味「地雷」だった。
何故なら、その後、延々と地域社会学と温泉の関係について、まるで授業の講義のような長い話が始まったからだ。
フィオなどは、途中でほとんど居眠りしている有り様だったし、花音ちゃんも眠そうにしていた。
要はまとめると、地域社会学というのは、地域の構造や機能を多角的に分析する学問で、社会学の一分野であるという。
1960年代の高度経済成長期あたりから本格的に研究が始まったらしいので、学問としては比較的新しい部類に入るらしい。
ただ、本来は都市社会や農村社会の研究や、コミュニティ論を主たる題材にするので、厳密には「温泉」は関係ないらしい。
温泉には、「温泉学」という分野があり、実際にその教授も全国にはいるらしいが、正丸先生は、この地域社会学の研究の一環として、温泉自体にも興味があり、知識もあるらしい。
ということで、熊先生の長い説明が終わったのだが。
「では、わたしたちが定期的に、レポートをまとめて、教授にお見せするということで、よろしいでしょうか?」
丁寧な口調で、すぐ隣に座る正丸先生を見つめる琴葉先輩。
それに対し、
「ああ、それでいいよ」
と教授は言っていたが、それとは別に個人的に彼女に興味を持ったらしい。
「これは君が書いたのかい?」
と尋ねていた。
「ええ。概ね、わたしが書きました」
「君はなかなか優秀だな。将来、温泉学の教授にならないか? 何なら、僕が専門の教授を紹介してあげるよ」
そう言われて、さすがに冷静な琴葉先輩も戸惑いの色を面上に現していたが、満更でもない様子だった。
「失礼します」
夜、遅くなるのも失礼に当たるので、その日は挨拶がてら、30~40分ほどで、私たちは辞去することになったが、そのうちの半分以上は、教授の長い説明の時間だった。
去り際、ドアまで見送った正丸先生が、
「今度、分杭くんと車で、みんなで温泉にでも行きたいね」
と言っていたが、
(マジか)
この人は、スピード狂か、それともただのドMか、と私は変に勘ぐってしまうのだった。その前に、私たち全員と分杭先生、正丸先生を入れたら、明らかに車1台に入らないのだが。
こうして、温泉ツーリング同好会は、山梨大学の正丸先生と提携し、温泉に入った感想をレポートに起こし、それを提出するという「大義名分」を得て、それを主な「活動内容」と「実績」として挙げることになるのだった。
ひとまず「廃部」の危機だけは回避されていた。
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