20湯目 山梨に住む、「熊」

 ということで、分杭先生が勝手にアポを取ったので、急きょ、私たち5人は山梨大学に向かうことになったのだが。


 さすがに先方の都合もあるので、その週の最後の平日、つまり金曜日の夕方の6時頃に伺うことになった。


 もちろん、相手が大学教授で、授業やら学会での発表やら、研究やらで忙しいため、その合間の時間を作ってもらったからだ。


 そのため、それまでの間に少しだけ時間が出来た。


 琴葉先輩は、真面目だからなのか、それともその正丸先生にレポートを見せることで、結果的に生徒会から「部費」という資金をもらうことに繋がるから、申し訳ないとでも思ったのか。


 この間、岐阜県の平湯温泉に行った時に入った温泉のレポートを独自に作成し、一応、会長であるまどか先輩に見せていた。


 内容を私も見せてもらったが、あの時は平湯温泉に行ったが、あそこは正式には「奥飛騨温泉郷」に入るらしい。


 泊まった宿自体が、奥飛騨温泉郷の温泉宿で、泊まりで何度も温泉には入ったから、レポートにはちょうどいいかもしれない。


 内容としては、泉質、適応症の調査から、禁忌症、効能まで詳細に書かれてあり、真面目な琴葉先輩らしい、よく調べて綺麗にまとめたレポートに見えた。


 それを一瞥しただけで、

「ああ。いいんじゃね?」

 相変わらず、適当なまどか先輩は、レポートを返してしまい、


「ちゃんと見なさいよ」

 と琴葉先輩に呆れられていた。


 出発は、金曜日の夕方。

 この6月初旬頃の、山梨県の日没時間は夕方の7時前後と、一年の中でもかなり遅くまで明るい。


 私たちは、一応、五人が揃った状態で、それぞれの通学用バイクで向かうことになった。

 即ち、まどか先輩は、スズキ シグナス(125cc)。琴葉先輩は、いつも通りのスズキ Vストローム250。フィオは、ヴェスパ プリマヴェーラ(125cc)。私はホンダ ディオ(50cc)。花音ちゃんは、ホンダ エイプ(50cc)。


 連れ立って行く場所が、大学というのは初めてだった。丘の上にある高校からは塩山駅を経由して、国道140号という、山の裾野を通る道をたどって、あっという間に着くと思ったが。

 そこから県道6号に入ると、軽く渋滞していた。

 いわゆる通勤渋滞に遭遇し、予想以上に時間がかかり、40分ほどでようやくそこにたどり着いた。


 山梨大学 甲府キャンパス。


 さすがに国立大学ということもあり、重厚な門と、立派なビルのような研究棟がいっぱい建っていた。

 ただ、すでに西の空が赤く染まり、今にも沈みそうな時間なので、薄暗闇の中で、詳しくは見えなかった。


 そんな中、駐輪場と書いてある案内板を目指して、先頭の琴葉先輩のVストロームが構内に入って行く。


 駐輪場はすぐにわかった。自転車はもちろん、大学生ということもあるが、多数のバイクが停まっていたからだ。

 庇のある屋根がついた、横100メートル近くはある、広い駐輪場の空いたスペースにそれぞれのバイクを停めるが、さすがに5台分のため、ばらけて駐車。


 琴葉先輩は、ヘルメットを脱ぐと、持参してきた書類をバッグから取り出す。

 そこには、分杭先生が用意してくれた、校内案内図のパンフレットがあり、みんなが彼女の元に集まる。


「えーと。今、いるところが駐輪場で、正丸先生は生命環境学部の教授だから……」

 眼鏡をかけ直し、彼女は指で紙面を追う。暗闇になりつつあるので、私が携帯電話の灯りで照らした。


「うーん。AとかBとかSとか、よくわからんな」

 まどか先輩が独づく。


 私が、見てみると、確かに「A-1号館」だの「B-2号館」だのと書いてあり、どこに何の学部があるのかわかりづらい。


 大学に来るのは、私も含め、全員が初めてだったから仕方がないが、大人しいというか、こういうことに興味を示さないような花音ちゃんが、脇から目ざとく指を差した。


「これじゃないですか?」

 そこにあったのは、


「生命環境学部事務棟」

 という表示。


「でも、事務棟じゃねえか」

「ここに行って、とりあえず聞いてみればいいんじゃないですか?」

 まどか先輩の疑問に答える形で、花音ちゃんが提案し、琴葉先輩も頷いた。


 ひとまず、その受付的な事務棟に向かうことになった。


 しかし、大学というのは不思議なもので、高校と違い、ほとんど誰でも出入りが自由で、オープンな雰囲気があるから、私たちのような女子高生が制服姿で歩いても、何の違和感もないのか、慣れているのか、ほとんど注目を浴びることがなかった。


 その間に、あっという間に事務棟にたどり着く。


 事務棟は、文字通りの事務棟で、まるで銀行のカウンターか、ホテルのフロントみたいな、清潔で落ち着いた雰囲気の窓口があった。


 そこで、琴葉先輩が、「正丸先生に会いに来ました」と告げると、若い女性の職員がすぐに地図で案内してくれるのだった。


 だが、案内された場所は、今度は真逆で、道路を挟んだ向かい側にあった。


 ここ山梨大学は、武田通りを挟んで、左右に大きく分かれており、教授は今、地図上では右側にあるT-1号館というところの6階にいるそうだ。


 そして、そのT-1号館というのが、なかなかすごく、見上げるような近代的高層ビルだった。

 地上10階くらいはあって、どちらかというと、オフィスのビルのように見える。外観はガラス張りの立派な建物だった。


 何だか場違いな雰囲気を感じつつも、人気の少なくなった、夜の大学に潜入するのは、不思議な気分だった。


 自分たちより少しだけ年上のお兄さんやお姉さんが、明るい表情と、高校生より着飾って、金がかかってそうな私服を着て、悠然と歩いているのに、不思議と羨望の眼差しを抱く私だった。


 ちなみに、この山梨大学には、「教育学部」、「医学部」、「工学部」、そして「生命環境学部」があり、分杭先生はつい5、6年前までここの教育学部の生徒だったらしい。


 件の正丸先生は、「生命環境学部」の中の「地域社会学」の教授らしいというから、いわゆる「普通科」しかない私たちの高校から見れば、何が何だかわからないような肩書に見えた。


 そして、6階に到着し、病院のようにも見える、白い細長い廊下を抜けた一室にたどり着いた。


 入口に名札があり、「地域社会システム学科 教授 正丸小太郎」と書いてあった。微妙に地域社会学とは違うように見えるが、名前は合っているから多分ここなのだろう。


 代表して、琴葉先輩が、緊張した面持ちで、眼鏡のフレームを一度触って、少しだけ上に持ち上げた後、ノックをした。


「はいはい」

 拍子抜けするほど軽い声が、ドアの向こうから響いてきた。


「あ、あの。わたしたち、分杭先生から紹介された、温泉ツーリング同好会の者ですが」

 声が緊張しているのが、私でもわかるくらい、珍しく琴葉先輩の声が少しだけ上ずっているように聞こえた。


 ところが、

「いらっしゃーい。待ってたよ。入って、入って」

 またも無遠慮なほどの明るい声が聞こえてきたため、心なしか緊張の色をほぐした、琴葉先輩がドアノブを回して入った。


 そこで私が見たのは、まるで会社の社長室にあるかのような、豪奢なオフィスチェアに腰かけて、こちらを柔和な笑みで見つめる、「熊」だった。


 いや、正確には「熊」みたいな人間だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る