9湯目 二人の道中
甲州街道を猛然と突っ走る2台のバイク。
ホンダ CBR250RRと、ドゥカティ モンスター400。
しかしながら、勝負になっていたのは最初の20分くらいだった。
すぐに、車列をするすると抜け出して、一気に加速して先に行ってしまうCBR。対して、モンスターは、そもそも私という「荷物」が乗っている時点で、本来の力を発揮できない。
やがて、CBRは小さくなってしまい、フィオは自然と右手のスロットルを握る手を緩めてしまった。
つまりは、諦めたということだろう。
結果的には、その方が私にはよかったのだが。
甲州街道をしばらく進み、やがて長野県に入り、富士見町の辺りから右折。
その後、片側1車線ながら、快適な道に入った。右手に八ヶ岳の雄大な山塊が見え、左手の彼方には、甲斐駒ヶ岳も見える。
その日は、小春日和と言っていい、快適な天気と温度だったから、このツーリングは最高だった。
初めて体験するタンデムも、フィオの運転が上手いお陰で、私には不快感はなかった。
「フィオ。ちょっと停まって」
耳元で囁くように呟くと、彼女は頷いた。
道の途中。だが、ここは道の駅でも何でもない道路上。ただ、私はこうして、何気ない日常を切り取ったような、風景が好きだ。
道の脇にバイクを停め、エンジンを止め、ヘルメットを脱いで、フィオは、
「どうしたの? トイレ?」
と私を気遣うが、タンデムステップから降りた私は、雄大な八ヶ岳に魅了されるように、その山とバイクが入るように、携帯のカメラを構えた。
フィオがそれを見て、ピースをしている。
フィオとバイク、快適な道路、そして八ヶ岳。
後で知ったが、ここは「八ヶ岳エコーライン」と呼ばれる、広域農道らしいが、ツーリングコースとしても、そこそこ有名らしい。
何となく、これを「記念」に撮りたかったのだ。いや、「思い出」と言い換えてもいい。青春は一瞬で、1回しかない。
この素晴らしいひと時も、後で思い起こすと、貴重な日常のはずだ。
そんな「思い出」に彼女を残しておきたかったというのが、私の希望。
ついでに、
「ねえ、フィオ。今日、行く松代温泉のこと、何か聞いてる?」
と尋ねたが。
「うーん? 知らない」
と答えるだけ。相変わらず、彼女はのんびりしているというか、マイペースで、自分の興味があることだけに集中する。それ以外のことについては、ちっとも興味を示さない。
まあ、いいか。調べるか。と思い、携帯で検索してみると。
「
というのが出てきた。
それは、文字通り、お湯が「黄色い」のが特徴的な温泉だった。
どうやら、松代温泉という温泉は、この「黄色い」お湯が有名らしく、鉄分を多く含んでいる為、このようにお湯が「黄色く」なるらしい。
それは特徴的で、かつ美しいまさに「黄金の湯」だった。
「ほら、フィオ。見て」
その携帯の画像を見せると、
「おおっ! すごいネ! これが松代温泉?」
露骨にわかりやすいくらいに歓声を上げていた。
「そう。私も初めてだけど楽しみだね」
「うん!」
「花音ちゃんに置いていかれたから、のんびり行こう?」
一応、彼女に気持ちを確かめる為にもそう提案したら、
「そうだネ。そもそもタンデムしてる時点で、あの子には勝てない気はしたけどネ」
と、彼女自身が、内心、わかっていた様子だったので、安心した。
その後、フィオは注文通り、安全運転でゆっくり走ってくれた。
八ヶ岳エコーラインから、国道152号に入り、山を登って、白樺湖を越え、上田市付近の市街地を越えて、今度は険しい県道に入る。
途中で、適度に休憩を挟み、時にはアイスクリームを食べて、過ごす女子高生2人旅。実に楽しいひと時だった。
そんな折、私はこの際だから、フィオに聞いておきたいことがあったことを思い出し、休憩時に彼女にそっと聞いてみた。
「ねえ。フィオは、外人って言われてイジメられたことってないの?」
いつでも明るく振る舞っている彼女だが、その容姿は美しいが、明らかに西洋人の血が入っているような容姿だ。それで苦労したことはないのだろうか、と。
ところが、彼女は明るい笑顔のまま、意外なことを口走った。
「もちろん、あるヨ」
「え、あるんだ。どんな?」
「うーん。ワタシはイタリア人の血が入ってるけど、実は英語は苦手なのネ。それなのに、『あなた、ハーフだから英語、得意でしょ。何かしゃべって』ってよく言われたヨ」
「ああー。なるほど」
日本人は、大抵、西洋人に偏見を持っていて、「西洋人=英語がしゃべれる」と思っているから、こういうことがよく起こる。
実際には、西洋人と言っても、別に英語圏の人間ばかりではない。フランス人、ロシア人、彼女のようなイタリア人だっているし、英語が母国語ではない以上、必ずしもしゃべれるとは限らない。
「他には?」
「うーん。まあ、細かいこと言ったら、結構あるけど、ワタシはあまり気にしてないかナ」
「どうして?」
「差別って言ってもネ。例えば、アメリカあたりだともっとヒドイんだヨ。黒人というだけで、明らかに差別されたりネ。日本人なんて、まだマシな方だヨ」
曰く。彼女の友人にアメリカに住んでいる黒人がいるらしいが、黒人というだけで、向こうでは酷い差別を受けるそうだ。
同様に、アジア人というだけで、差別を受けている友人もいるという。
それに比べたら、まだ日本人は優しい、というのが彼女の感想らしい。
だが、その後、本音が漏れていた。
「まあ、別にみんなに理解されなくてもいいんだヨ。だって、瑠美はワタシのこと、嫌いじゃないでしょ?」
「そりゃ、まあね」
嫌いじゃないどころか、大好きだが。
「だったらいいヨ! ワタシのことを理解して、好きになってくれる人が一人でもいるなら」
フィオらしい、明るい解釈と言動だと思い、改めて自然と彼女のことを好きになっていた。
例え、日本中の人が、彼女の敵になっても、私は彼女の味方になりたい。そんな気持ちを抱かせるほど、彼女は素敵な人だと思うのだった。
きっと、私には語れない苦労もあったかもしれない。なのに、それを苦労と思わず「笑い飛ばせる」ことが出来る。そんな彼女は「真に強い人」なのかもしれない。
「じゃあ、行こうか?」
「うん」
彼女との2人旅が、もうすぐ終わろうとしていることに、私は若干の寂しさを抱えながら、再びフィオの背中にしがみついた。
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