第3話:暴走

 シュレディンガーの猫という思考実験がある。猫を見えない箱に入れて毒ガスを注入し、その箱を開けてみて猫が生きているかどうかという思考実験である。量子力学的な問題なので詳しい説明は難しいのだが、簡単に言うと観測するまで「猫が生きているか死んでいるか」という確率が50%の状態で確定しないということである。つまり観測するまで何が起きたのかわからないということであり、この考え方を応用したのがシュレディンガーの猫と呼ばれる思考実験だ。箱を開けたら多分死んじゃってると思うんだけど。生きててもきっと死にかけかな。


 ◆◆◆


 ーーさとりちゃんのことが好きなの。

 ーーでももう無理。さとりちゃんを離さないからね。

 家に帰ったさとりは、あかりに踏切前で言われたことを思い出す。

 あかりちゃんがワタシのこと好きだったなんて思ってもみなかった。ううん、幼なじみだから、恋愛感情なんて別に無いと勝手に考えていたんだ。でも違う。あかりちゃんはずっとワタシのことを好きでいてくれた。ワタシが気付かないうちに、ワタシのことを好きになってくれていたのだ。


「どうすればいいの……」


 気付くのが遅すぎた。ワタシがあかりちゃんにしてあげられることは何だろう? 考えれば考えるほどわからなくなってくる。


「リビングに降りよう」


 さとりはとりあえず一階のリビングに降りることにした。夕ご飯がそろそろできてるかもしれない。そう思いながら階段を降りると、誰かがいた。


「あ……お母さん」


 そこにいたのは母であった。母はキッチンで料理をしていたようだ。母はエプロン姿で振り返ると、少し困ったような顔をした。


「あら、どうしたの? 夕飯はまだよ?」

「うん……。ちょっとお腹空いたなって思っただけ」

「ふぅん……。じゃあお風呂沸いてるから入ってきなさい。その間に作っちゃうからさ」

「わかった」


 母の背中を見送ると、さとりは自分の部屋に戻ることにした。しかし何か忘れていた気がした。

 部屋にお風呂に入ろうとすると、先程まで料理を作っていた母がテレビに釘付けになっていた。


「お母さんどうしたの?」

「さとり、これ……」


 さとりの母が指を指していたテレビの画面を見る。それは政治家の謝罪会見である。


『今回の件につきましては誠に申し訳ございませんでした』

『今後このようなことがないように致しますので何卒よろしくお願い致します』


 何度も繰り返される謝罪の言葉。一体何があったのだろうか。


「ねぇ、お母さん何があったの?」

「実はね……」


 謝罪会見の内容はこうだった。

 自動操作AIである『ボイジャー』に致命的な不具合が見つかったらしい。その内容はなんと人間の記憶を記録すると、意識を乗っ取ってしまうということであった。主に装着者に対して幻覚作用を引き起こすとのこと。そして最悪の場合、記憶喪失や人格崩壊を起こす恐れもあるそうだ。

 それを知った政府はボイジャーの開発者である企業の『ノイマン社』に事情聴取を行った。その結果、ボイジャーに重大な欠陥があったことを認めた。しかし、ボイジャーを無理矢理外すと深刻な不具合が生じるとし、安全な解除方法が見つかるまでバックアップトークンという制御装置を製作して対処するとした。近い内にボイジャーを取り付けている施設に対して送付するとのこと。またノイマン社も責任を取るため、多額の賠償金を支払うとした。

 そのニュースを見て母は呆れたように言った。


「そんなことしてる場合じゃないでしょうに……。こんなことやってたら、さとりみたいに身体が不自由な人はどうなるのかしらね」


 さとりは確かにと思った。さとりの機械の左腕にもボイジャーがつけられており、今自身が不自由なくできるのは間違いなくボイジャーのお陰である。もしボイジャーが無かったら自分はもっと不便な生活を強いられていたことだろう。


「……でも」


 ボイジャーが悪いとは思えなかった。

 何故ならこの技術のおかげで、人間には不可能なことを実現できたからである。機械に自分の思考を読み込ませることで、機械の手足を自分の体のように動かせるようになったのは画期的だと話題になっていた。この技術を進歩させたことは賞賛されるべきだと思う。

 だからと言って、謝らない理由にはならないけど。

 翌日。

 さとりは学校に行く前に昨日のことを思い出しながら、家を出る準備をしていた。今日はあかりに会うことになるかもしれない。

 あかりちゃんはどんな顔でワタシに接するのだろう。もしかして嫌われてるかな?それとも何も無かったかのようにいつも通り接してくれるのかな。


「まぁ考えても仕方ないよね……」


 そう言って玄関を開けると、目の前にあかりが立っていた。


「おはよう、さとりちゃん」

「あ、あかりちゃん……!?」


 あかりは笑顔で挨拶をした。


「どうしてここにいるの?」

「えへへ、迎えに来たんだよ! 一緒に行こう!」

「う、うん……」


 さとりは戸惑いながらもあかりと一緒に登校することにした。あかりはいつも通りに見えた。


「あの、あかりちゃん……」

「ん、何?」

「い、いや何でも無い……」


 あかりは不思議そうな顔をしたが、すぐに元の表情に戻った。


「ところでさ、昨日のこと覚えてる?」

「う、うん……」

「私、告白したんだけどさとりちゃんがダメって言っても諦めないからね」

「……あかりちゃん」


 さとりは立ち止まると、真剣な眼差しであかりを見た。そしてゆっくりと口を開いた。


「ワタシね、あかりちゃんの気持ちに応えることはできないと思う。だってね、祥子ちゃんのこと会いたいんだもん」


 さとりは真っ直ぐにあかりの目を見つめた。あかりは少し驚いた顔をして、優しい笑みを浮かべると、目を閉じて深呼吸をすると言った。


「じゃあ、祥子ちゃんのことで覚えてること教えてよ」

「えっ?」

「だって好きなんでしょ? 言えるよね、祥子ちゃんのこと」

「……うん」


 さとりは祥子のことを思い出すと少しだけ胸の奥がチクッと痛む気がした。しかし、それを我慢しながら話し始めた。


「祥子ちゃんは、ワタシと同じクラスで友達だった。それで……」


 さとりは言葉に詰まると、あかりがさとりの手を握ってきた。


「大丈夫だよ。ゆっくりでいいからさ」

「うん……。祥子ちゃんは……」


 さとりは自分が見た光景を必死に思い出していた。


「祥子ちゃんは、祥子ちゃんは……」


 さとりは黙ったまま立ち尽くしてしまった。


 ◆◆◆


 そこは薄暗い部屋であった。辺りには書類や機械のような物が散乱している。

 部屋の真ん中にはテーブルがあり、そこには2つの人影がある。片方はさとりが座っていて、もう片方の女性はその向かい側に立つように座っていた。その女性はさとりの知っている人物だった。

 それはさとりの幼なじみであるあかりであった。彼女は椅子に座っている幼なじみを見て呆然とした様子で見ていた。しかし、その視線に気付いたのか、ハッとした表情を見せると、無理矢理笑顔を作った。


「あーごめん、ちょっとぼーっとしちゃって」

「……う、うん」


 さとりは何かを言おうとしていたが、うまく言葉を出せなかった。すると、あかりが先に口を開くと、笑顔のまま言った。


「ねぇ、さとりちゃん。私たちずっと一緒だよね?」

「……えっ?」

「私ね、小さい頃からさとりちゃんのこと好きだったの」

「そ、そうなんだ……」

「でもね、祥子ちゃんにさとりちゃんのこと譲ったの。私の恋心よりも幼なじみの幸せの方が大切だから」

「…………」


 さとりは何も言わなかった。

 何も言うことができなかった。

 そんなことを言われたら、余計に苦しくなるだけだ。

 それにあかりの笑顔がどこか悲しげに見えたからだ。

 きっと本心では自分の恋心を叶えたかったはずだ。なのに、どうしてワタシのために嘘をつくのだろう。ワタシなんかの為に、そこまでして守ってくれるなんて。ワタシのことを想っているなら、ワタシを責めてくれればいいのに。それか、ワタシが謝れば許してくれるだろうか。

 だけど、ワタシはどうすれば良いのだろう。


「だけど、祥子ちゃんはさとりちゃんを置いて勝手にいなくなった。さとりちゃんが死にかけてる時に一人でどこかに行ってしまう女の子なんて、私は絶対に認めない」

「あかりちゃん……」


 あかりの瞳からは涙が溢れていた。


「ねえ、さとりちゃん。もう、あんな女忘れようよ。祥子ちゃんなんていないんだよ」

「ううん、いるよ」

「いない!さとりちゃんは騙されれれれれれれ」

「……あかりちゃん、どうしたの?」

「さとりちゃん、祥子ちゃんなんて諦めて私と付き合お、ね?」


 あかりはさとりに近づくと、優しく抱きしめた。さとりは驚いていたが、すぐに冷静になるとあかりを押し返した。

 さとりは困惑した表情であかりを見るが、あかりは特に驚いた様子がなかった。むしろ、嬉しそうにしているように見えた。

 あかりは微笑むと、再び抱きついてきた。今度は先程より強く、まるで逃さないようにするかのように。

 あかりちゃん、何でこんなにも強引なんだろう。いつもは優しいのに。ワタシのことを大切にしてくれているのに。もしかして、これが本当のあかりちゃんなのかな?


「あかりちゃん、落ち着いて」

「うん、落ち着くよ」

「あかりちゃん、ワタシは祥子ちゃんに会いたいの」

「……うん」

「あかりちゃん、お願い。放して」

「……ダメ」


 あかりはさらに力を込めてくる。さとりの身体は軋むような音がする。

 あかりはさとりの首元に顔を埋めると、匂いを嗅ぐように息を吸った。そして、そのままさとりにキスをした。

 さとりは驚きのあまり目を見開くと、反射的にあかりを突き飛ばした。あかりはよろけると、少しだけ不機嫌な表情になった。


「あかりちゃん、何をするの!?」

「何って、恋人同士のスキンシップだよ?」

「ワタシはそんなこと頼んでない!」

「でも、さとりちゃんは私の恋人でしょ?」

「違う! ワタシは祥子ちゃんを探しに行くの」

「だから、それはできないんだってば。だって、ここは私の『』なんだからさぁ!!」


 あかりは叫ぶと同時に、さとりに向かって襲いかかってきた。さとりは慌てて避けようとするが、あかりに押し倒される。あかりはマウントポジションを取ると、さとりの顔に手を添えると、ゆっくりと顔を近づけてくる。


「さとりちゃん、愛してる。これからはずーっと一緒だよね?」

「あかりちゃん、やめて」

「ふふっ、大丈夫。痛くしないから。最初はちょっと苦しいかもしれないけどね」


 あかりは妖艶な笑みを浮かべて笑っていた。


 ◆◆◆


「はあっ……はあっ……」


 さとりは荒い呼吸をしながら辺りを見渡すと、あかりが茫然と見つめていた。

 あかりにはさとりが黙っていたら、突然息を荒くしていたようにしか見えなかった。


「どうしたの、さとりちゃん?」

「……なんでもない」


 あかりに心配されないように、必死に平静を装う。意識は間違いなく飛んでいた。しかし、なぜ意識が飛んでいたのかまでは分からなかった。

 あかりは不思議そうな表情で見ていたが、気を取り直すようにして話しかけてくる。


「いいよ。さとりちゃん言いにくそうだし」

「いや、そんなことは」

「大丈夫。返事はゆっくりでいいし私も諦めてないから」


 あかりちゃん、なんでワタシに拘っているんだろう? 確かにあかりちゃんとは仲良くしてきたつもりだけど、恋愛的な意味で好きだと思ったことはない。

 あかりはそれ以上話すことなく、学校に入ってしまった。どうゆうか訳か分からないまま、さとりは慌てて着いていく。自分の教室について席に着く。クラスメイト達は、いつも通りに挨拶をしてくれる。みんな、とても良い人達ばかりで嬉しいのだが。今日だけは素直に喜べなかった。

 授業が始まってからもずっと考えてしまう。あかりが何故自分に執着しているのかを。


「…………ちゃん、……とりちゃん、さとりちゃん」

「……えっ、な、なに?」

「どうしたの、ぼーっとして。もしかして、体調悪いとか?」


 あかりが心配そうに見てきた。

 今は休み時間だが、上の空になっていたようだ。あかりは心配してくれたらしい。申し訳ないことをしてしまった。


「あ、ごめんね。別に、大丈夫だよ」

「本当に? なんか、無理してない?」

「うん。全然元気だし。ありがとう」


 そう言って、あかりに笑いかけるとあかりは安心したような表情を見せた。

 やっぱり、あかりちゃんはとても可愛い。あかりちゃんの笑顔を見ると癒されてしまう。ワタシには勿体無いぐらいに優しいし、それにワタシのことをすごく大切にしてくれている。だからこそ、ワタシはどうしてしまったのだろう?

 放課後になり、いつも通り二人で下校する。

 いつもなら楽しいはずの帰り道なのだが、さとりは気分が乗らない。何か忘れている気がするが、それが何なのか思い出せないのだ。

 隣にいるあかりを見る。すると、あかりもこちらを見てきて目が合う。そして、お互いに目を逸らす。

 沈黙が続く中、あかりは唐突に立ち止まると、こちらを見つめてくる。その瞳からは強い意志を感じる。

 あかりは真剣な眼差しのまま、口を開く。


「ねぇ、さとりちゃん。今度、双人研究所に行って調べてもらったら?」

「えっ、なんで?」

「ほら、ニュース見なかったの」


 そう言ってスマホの画面を見せる。記事には『ノイマン社、AIの致命的欠陥認める』と書いてあった。内容は恐らくさとりが昨日テレビで見たものと大体一緒であろう。


「ああ、うん、それは見たよ。でも、どうして?」

 あかりの言っている意味が分からず首を傾げる。そんなさとりの様子に、あかりは呆れたようにため息をつく。


「はぁ、あのさぁ。最近、この国でノイマン社のAIを使った製品が次々と暴走する事件が起きてるんだよ。それで、今回の事件をきっかけにノイマン社は自社のAIに致命的な問題があることを認めて、リコールを始めたってわけ。さとりにも関係あることなんだよ」

「へぇー」

「もう、興味無さそうだなぁ。さとりちゃんに何かあってからじゃ遅いんだよ」


 さとりはそう言われても実感がわかない。自分には何も起きておらず、心配することはない。しかし、もし自分の左腕のAIが暴走したら、と考えると少し怖い気もする。


「……」


 あかりは急に黙ってしまったさとりを見て不安になったのか、心配そうな顔で見つめてくる。

 その時だった。

 さとりの左腕が勝手に動き出したかと思うと、いきなりあかりに抱きついてしまった。まるで恋人同士がするような抱擁だ。


「ちょっ、さとりちゃん!?」

「……」


 あかりは顔を真っ赤にして離れようとするが、さとりの左手がそれを許さなかった。左手はあかりを離そうとしない。むしろ更に強く抱きしめてくる。

 あかりは困惑しながらも抵抗しようとするが、さとりの力が強すぎて逃げられない。あかりの顔はどんどん赤くなっていく。心臓の鼓動も早くなり、頭が回らない。しかし、あかりはこの状況を嫌なわけではなかった。暫くしてようやく解放される。

 あかりは恥ずかしかったのか俯いている。その耳はまだ赤いままだった。

 さとりは我に帰り、不思議そうに呟く。


「ワタシは……こんなことをしたい訳じゃないのに……。なんで、勝手に動くんだろう?」

「えっ、それってどういう意味?」


 あかりは困惑した表情を浮かべる。


「だって、あかりちゃんに抱きつくなんて……」


 さとりは申し訳なさそうに答えるが、あかりはそれを聞いて安心した様子になる。


「なんだ、良かった」

「どういうこと?」

「いや、なんでもないよ。それより、そろそろ帰らない? 遅くなると危ないし」

「あ、うん、分かった」


 二人は家に向かって歩き出す。

 あかりちゃんになんで抱きついちゃったんだろう? ワタシ、本当はあかりちゃんのこと気になってるのかな。でも、そんな訳ないよね。だって、ワタシが好きなのは祥子ちゃんであってあかりちゃんではないはずなのだから。そのはずなんだよね……。


「ねぇ、あかりちゃん」

「なに?」

「あかりちゃんは本当にワタシのこと好き?」

「えっ、どうしたの、突然」

「ワタシね、あかりちゃんの気持ちが分からないんだよ。あかりちゃんならもっと素敵な人と付き合えるのに」


 さとりは悲しそうな顔で尋ねる。


「ワタシはあかりちゃんのことが大好きだよ。でも、それは友達として好きであって、恋愛感情じゃ……」


 さとりが言い切らずに黙ってしまう。その様子にあかりは不安になるが、さとりはすぐに口を開ける。


「あかりちゃん、今度デートしない? ほら、二人でショッピングしたり、映画見たりしてさ」

「えっ」


 あかりはさとりの変わりように戸惑う。

 あかりちゃん、急にデートって言われたから困惑しちゃったかな。あかりちゃんといるなんだがドキドキしてくるなぁ。それにあかりちゃんが好きって言ってくれるなら付き合ってもいいよね。ううん、そのまま付き合っちゃお。

 さとりは先程とは打って変わって楽しそうな顔をしていた。そして、あかりの手を握ってくる。


「じゃあ、今度の休みの日に行こっか」

「いや、その、さとりちゃん、まずは研究所で見てもらってからデートしよ? ……ううん、その方がいいよ」

「えー、あかりちゃんとデートしたいでしょ。見てもらうのなんて後でいいよ」

「……ダメだよ。ボイジャーが暴走しているかどうか見てもらった方がいいよ」


 あかりは言葉に詰まりながらもさとりの誘いを断る。


「んー、まぁ、あかりちゃんが言うなら仕方ないかぁ」

「そうだよ」


 あかりはホッとしたような顔をする。

 さとりは不満そうだったが、諦めた。


「じゃあ、今日はもう帰るね。また明日」

「うん、バイバーイ」


 あかりは手を振りながら歩いていく。

 その姿が見えなくなると、さとりは呟いた。


「なんでだろうワタシ、あかりちゃんのことが……」


 後日、さとりは両親と一緒に双人研究所に検査しに行っていた。

 さとりと両親は研究所の待合室にいた。暫くすると白衣を着た女性がやってきた。あの双人博士の助手らしき人である。

 女性はさとり達を見ると会釈をする。


「双人博士の助手の小田だ。定期検査はまだ早いがまあ理由はあれだろ、酒津さんの左腕に付けてるAIについてだろ」

「はい……」


 さとりは少し暗い顔で答える。


「やっぱりか。一応確認するが、そのAIは暴走していないんだな?」

「はい、大丈夫です」

「なら良かった。それじゃあ早速始めよう。双人博士は隣の部屋にいるから、そっちの部屋でやってもらうぞ」

「分かりました」


 そうして、さとり達は隣の部屋に移動する。そこには双人博士がいた。


「こんにちわ、酒津さん。体調はどうかしら」

「えっと、特に問題はないと思います」

「そう、それは良かった。それで今回はあなたに付いてるAIのボイジャーの検査を行います。この機械に腕を通して下さい」

「はい」


 さとりは双人が持ってきた椅子に座り、頭に機械を被せる。


「これでいいですか」

「はい、ありがとう。ちょっと待っていてね」

「はい」


 暫く待つと、さとりの腕に伸ばしたコードがコンピュータに接続される。


「じゃあ、ボイジャーに接続しますね」

「はい、分かりました」


 さとりは目を閉じる。


「ではAIの検査を始めます」


 双人はコンピューターを操作する。しばらく操作した後、モニターに結果が表示される。

 またしてもさとりの脳波とAIの波が横にズレていた。しかし、波長そのものは全く同じだった。


「えっと……」

「うーん、なんででしょうね。これは聞いたことないわね……」


 双人はモニターを凝視しながら考え込む。

 そんな双人を見て、さとりは恐る恐る質問をした。


「双人博士、その、波が横にズレるのとそうでないのでは何が違うのですか?」

「ああ、ごめんなさい。説明するのを忘れてたわ。そうね、ぴったり重なったら何も起きないけど、ズレるとAIが幻覚作用を引き起こすのよ」

「えっ!?」


 さとりは驚きの声を上げる。

 なぜならそんなものは見ていないと思ったからだ。

 嘘……、ワタシ幻覚なんて見てない。でも脳波とAIがズレてるのはなんで?

 さとりは困惑していた。双人博士は何か考えているのか黙ったままだった。そして、小田がさとりに言った。


「お前、実は幻覚見てたとか、見て見ぬフリをしましたとかじゃないだろうな」

「ちょっと、うちの娘に」


 さとりの母が怒ろうとした時、双人博士が止めた。


「いえ、違うんです。私も娘さんのパターンは初めてですが、ボイジャーの暴走は脳波とAIの波がズレてることが原因と言われています。つまり、娘さんが何かしらの被害を受けている可能性が高いのです」


 双人はさとりの方を向く。さとりは怯えてしまっていた。

 え……、じゃあ、ワタシのボイジャーは暴走しているって言うこと?

 さとりは自身のAIが暴走していると言われ、焦っていた。その時、双人博士がさとりに優しく話しかけた。


「酒津さん、一応あなたに幻覚の被害が見られないならまだ大丈夫だけど、いつ被害を受けてもおかしくないわ。今度の定期検査までにバックアップトークンを用意しておくから待って欲しいの」


 バックアップトークン……。

 それはボイジャーの暴走を抑えると言われている制御装置だった。先日のニュースではあまり説明はされていなかったが、おそらくボイジャーの幻覚作用を食い止めるための装置であると考えられる。


「はい、分かりました」

「それと、念のために言っておくけど、もしまた症状が出た時はすぐ私達に知らせて欲しいの。場合によってはすぐにバックアップトークンを付けるから」

「はい……」

「じゃあ今日はこれで終わり。お疲れ様」

「はい、ありがとうございました」


 そうして、さとりは家に帰ることになった。帰り道、さとりはずっと考えていた。

 ワタシのAIが暴走するかもしれない……。そうなればどうなるんだろう。きっと、今まで通りに生活できなくなる。それだけは嫌だ。

 さとりは不安を抱えていた。

 家に帰ってからも、さとりはその事ばかりを考えていた。すると、母がさとりに話しかけてきた。


「さとり、あんまり気負わないでね」


 母は心配してくれているようだった。

 しかし、今のさとりには逆効果であるように思えた。


「うん……」

「そんなに落ち込まないの。あなたはまだ若いし、これから色々あると思うわ。だから今はゆっくり休んでおきなさい」

「分かった……」

「じゃあ、私は夕飯の準備をするから、さとりは部屋に戻っていていいよ」

「うん、ありがとうお母さん」

「いいのよ」


 そうして、さとりは部屋に戻る。

 部屋に入ると、ふと机の上に置いてあった写真立てが目に入った。そこにはさとりと祥子とのツーショットの写真が入っていた。さとりは少し微笑むと、写真を見ると違和感を感じた。

 あれ、ワタシなんで祥子ちゃんとのツーショットなんてあるんだろう? なんであかりちゃんとのツーショットじゃないの。

 なぜ祥子とのツーショットがあるのか分からなかった。

 それに、どういうことかあかりに対して恋心を抱き始めている。

 おかしい。どうしてこんな感情を抱くようになったのだろうか。さとりは不思議に思ったが、考えても分からないため、考えるのをやめることにした。


「まあいっか」


 そう呟くと、ベッドの上に寝転がる。そして、さとりは目を瞑った。


「はぁ……、早く次の日にならないかな。あかりちゃんとのデート、早く来ないかな。楽しみだなぁ」


 しかし、あかりとのデートを考えるとなぜか祥子のことが引っかかる。いるはずのあかりではなく、いないはずの祥子に頭がふとよぎってしまう。

 なんで? ワタシはあかりちゃんが好きなのに……、なんで祥子ちゃんのことなんか……。

 そんなことを考えていると、だんだん眠くなってきた。

 そして、さとりはそのまま眠りについた。


 ◆◆◆


 さとりは目を開けると祥子が目の前に椅子に座っていた。祥子はさとりが目を開けたことに気づくと優しく微笑む。しかし、その瞳は何か別のものを感じさせるものだった。


「よく目を覚ましたね」

「……そうだね」


 会話が少しぎこちない。しかし、祥子はすぐに表情を変え笑顔を見せる。

 さとりも、なんとか笑みを浮かべる。

 すると、急に辺り一面真っ白な空間になった。


「私といるよりも楽しい世界に行きたくないかい?」

「祥子ちゃんといるよりも楽しい世界?」

「そう。例えば、あかりと一緒に生きる世界なんてどう?」


 さとりにはどうと言われても答えようがなかった。しかし、不思議とあかりと一緒に生きる世界は楽しそうだと思えた。けれど、同時にそれはダメだとも思えた。

 だって、ワタシには祥子ちゃんがいるから……。でも、それならそれで良いとも思える。あかりちゃんはワタシに対して優しいからきっと大丈夫だと思う。

 さとりは少し悩んだ末、結論を出した。


「祥子ちゃんと一緒の世界が良い」


 すると、祥子はニヤリと笑う。

 それは、悪魔のような笑いだった。

 その瞬間、祥子の姿が変わっていく。

 その姿はまるで、祥子があかりの姿に変わったような姿であった。

 違うのは、体がツギハギでできていた。


「さ、と、り、ちゃん……」


 あかりがカタカタと揺らして言うと、ツギハギがきれいに消えていく。


「あかりちゃん、会いたかったよ」


 さとりは何も考えることなくあかりを抱きしめていた。

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