第2話:戸惑

 相対性理論は、重力がない状態での慣性系を扱う特殊相対性理論と、慣性力と重力を結びつける等価原理に基づいた一般相対性理論の総称である。この時点で何言ってるのか訳わかんないのだけど、今までの物理学体系を変えた。ええっと、ブラックホールとかビッグバン? とかに使われる理論らしいよ。話が全く見えてこないから困った。その人が言うには、ワタシと一緒にいる時間と勉強する時間の感覚の早さは違うとのことだ。もちろんワタシと一緒にいる時間の方が早いに決まってるじゃない。



 ◆◆◆



 双人ふたり研究所は人体を弄る場所ではない。欠損した臓器や身体を補う機械を着ける研究所であり、決して非合法な人体改造をする場所では無いのだ。無いものを埋めるために、新しいものを着ける人が通う場所であった。

 また病院としての機能もあり、そこで治療や検診も行っていたりする。

 さとりは、自分が何故ここにいるか分からなかった。分かることはせいぜい事故を左腕を失う大怪我を負ったこと。そして、二ヶ月程意識不明になっていたこと。その程度であった。

 目が覚めて最初に見たのが知らない人であるし、左腕が機械になっているし、意味が分からないことだらけだった。


「こんにちは」


 そう言ってさとりに声をかけてきた人は白衣を着た医者だろうか。いや違う、この研究所の医師である双人博士だ。

 ニコニコとさとりを見ている彼女の笑顔が少しだけニンマリしていた。

 気持ち悪い……

 さとりはそんなことを考えていたら、突然頭を撫でられた。いきなりのことで驚いてしまったさとりだが、何故か抵抗できなかった。


「双人博士、学生に手を出すのは犯罪ですよ」

「あぁ、ごめんごめん。可愛くてつい……」


 後ろにいた助手らしき女性が双人博士に注意をしていた。それに対して双人博士も謝っていたのだが、手を引っ込める気はないようだ。

 可愛いってどういうこと? ワタシのことを恋人と勘違いしてる? それとも小さいと思ってる? 確かに身長は低い方だと思うけど、これでもちゃんと十六歳なんだから! それに祥子ちゃんが好きだし! まあ、今はあまり関係の無いことだけど。

 双人は助手の女性の言葉を無視して撫で続けていた。どうやら止めてくれるつもりはなさそうだ。

 しばらくすると満足したのか、やっと手を離してくれた。

 その行動の意図がわからないし、さとりは何をしたいんだろうと混乱していると、双人博士はまたニコッと笑って言った。


「左腕の操作はどうかしら。慣れた?」

「ええ、まあなんとか使えています。最初は戸惑いましたが、慣れると不自由ないです」


 さとりの左腕は、自分の意思で動かせるようになっていた。簡単な動きなら何も問題なかった。


「よかった。もし上手く行かなかった時は入院を延ばそうと思っていたけど、その心配はなさそうね」

「ありがとうございます」


 双人博士の言葉を聞いて、さとりは素直に感謝していた。さとりにとって退院は近い方が良いからである。

 さとりは早く祥子と会いたかった。祥子はさとりと一番仲の良い友達である。そして祥子のことが好きだった。

 さとりは自分の想いを伝えられない状況にあった。理由は祥子が遠くに行ってしまったからである。詳しい話は聞いていないのだけど、彼女は引っ越してしまったようだ。

 事故に遭ってからずっと会えていなかった。さとりは祥子に会うため、早く退院する必要があった。

 しかし、さとりはなぜ会いたいのか分からなかった。

 さとりが退院する前日の夜。

 両親が帰っていき、退院の準備が完了したところでさとりは眠りにつく。

 そして、夢を見ていた。

 それは、さとりが祥子に初めて会った時の記憶だった。あの時の出来事が夢の中で再生される。


「若木祥子って言います。よろしくお願いします」


 転校生がクラスにやってきた時の挨拶。

 それがさとりと祥子の出会いだった。祥子の自己紹介に対して、クラスメイトは様々な反応を示していた。その中でさとりだけは、無言でジッと彼女を見ていた。

 祥子の席はさとりの隣になった。祥子が座ってもなおさとりは見続けていた。


「えっと、私の顔に何か付いてるかな?」


 その視線に気づいたのか、おどおどしながら聞いてきたのがさとりに話しかけてきたきっかけだ。その言葉でさとりは、ようやく彼女から目を離すことができた。

 彼女の名前は若木祥子。高校一年生の女の子。さとりより少しだけ身長が高くてスタイルが良いように見える。髪は短く切られていてボーイッシュな印象がある。目はくりっとしていて、鼻は小さく整っていて顔のパーツ全てが可愛らしい印象を与えてくる。


「ううん、なんでもない」

「そっか、よかった……」


 そう答えたあとに、今度は逆にさとりが質問した。どうしてそんなに緊張してるのかと。その言葉に、祥子は顔を赤く染めながら答える。


「その……人見知りでさ……、初対面だとどうしてもドキドキしちゃって……。変だよね? いきなり話しかけたりしたらダメだって分かってるんだけど、なんか止まらなくて」


 その返答を聞き、さとりはすぐに分かった。彼女は自分に恋をしていると。そして、自分も祥子に恋をしていた。だから分かるのだ。

 一目惚れとは不思議なもので、初めて見た相手に好意を持つというものだ。これは、ある意味で運命とも言えるだろう。

 そしてさとりも彼女に恋に落ちていた。この日から二人の関係は始まっていたのだ。


「ワタシは酒津さとりっていうの。これから仲良くしようね、祥子ちゃん」

「わっ……、名前……」

「あっ、ごめんなさい。嫌……だった?」

「全然そんなことないよ。むしろ嬉しいくらいだよ」

「えへへ、良かった……」


 二人はお互いに名前を呼んでいた。それも愛称ではなく本名の方で。


「私はね、祥子って言うんだよ」

「祥子……」


 さとりはその名前を口に出してみる。すると胸の奥から温かい気持ちになったような気がした。


「ねぇ、私のことはさとりって読んでくれて良いからね」

「いいの? じゃあ……さとり」


 そう言ってさとりを呼ぶ祥子。そんな彼女にさとりは照れ臭くなって顔を逸らしてしまう。しかし、嬉しさの方が勝っていた。

 そんな日のことだった。

 ……?

 そこまで日が経っていたわけではないのにそれ以上のことがどういうわけか上手く思い出せない。

 学生生活以外にも色んな記憶はある。

 あるはずである。

 それなのに。

 あれ?

 まるで映像が乱れてるかのように思い出せなかった。

 さとりは勢いよく起き上がる。悪夢を見たわけではないのに心臓が激しく鼓動していた。

 なんでこんなにも苦しいんだろう。

 さとりはその感情の意味を理解できずにいた。いや、そもそも自分が何を感じているのかすら分からなかった。

 それでも、ただ一つだけ確かなことがあった。


「会いたい」


 さとりは呟いてもう一度眠った。

 朝になり、さとりは退院することになった。両親に連れられて病院を出る。

 退院したといってもまだ通院は必要らしく、しばらくはリハビリに通うことになるらしい。


「本当にありがとうございます」

「気にしないで。これが私たちの仕事なんだから」


 双人は笑顔でそう言った。

 さとりは車に乗って家まで向かう。その間、ずっと外を眺めていた。

 さとりが住んでいる家は一軒家で、家族三人で暮らしている。

 家に着いて、さとりは荷物を持って自分の部屋に向かった。そして、ベッドに寝転がる。

 退院してから次の日、さとりはようやく学校に行くことになった。久しぶりの登校である。


「楽しみだなぁ……」


 そう言いながら、さとりは制服を着て鏡の前に立つ。そして、姿見に映っている自分を見ると違和感がすごいあった。見えてる左手が機械の手なので、それはサイボーグと言われても差し支えないようだった。

 自分の体じゃないみたい……。

 さとりは少し悲しくなった。だが、それは仕方のないことだ。

 さとりは着替えを済ませ、朝食を食べてから鞄を持ち玄関に向かう。靴を履いて外に出ると、そこには両親が立っていた。


「忘れ物はない?」

「うん、大丈夫」

「何か困った事があったらすぐに連絡するのよ」

「うん、分かった」

「「行ってらっしゃい」」


 両親の見送りを受けて、さとりは歩き出す。


「行ってくるね」


 こうしてさとりの新たな日常が始まった。

 さとりはいつも通り通学路を歩く。さとりと同じように学校に行こうとしている生徒の姿が多く見られた。そんな中でもさとりとあかりは一緒にいた。


「おはよう、さとり」

「おはよー、あかりちゃん」

「左腕はどう? 大丈夫?」

「うん! 上手くいくようになったよ。だからワタシは大丈夫かな。ところであかりちゃん」

「なに?」


 さとりは最近悩んでいることがあった。


「最近、ぼーっとする時間が増えた気がするんだ」

「へぇ、そうなの?」

「うん。なんか、こう……意識が飛んじゃうって感じで」


 さとりは悩んでいた。

 心がどこかに行ってしまったように感じるのだ。


「なんなんだろう? ちょっとだけ意識が飛んじゃうんだよ。でも、生活に支障は無いと思うし、もしも左腕が変な動きしてたら双人研究所に行こうと思うんだ」

「何かあったら私に頼っていいんだからね。それにさとりちゃんはまだ病み上がりったことを覚えてね」

「うん」


 二人が会話しながら歩くと学校に着いた。学校の校門に着くと、一人の先生がこちらに向かって走ってきた。

 その様子からさとりのことを心配していたと思われる。その教師の名前は安藤といった。

 その容姿はとても綺麗で、スタイルも抜群だった。

 彼女は優しく、そして厳しい人だった。彼女は授業中に騒いだり、ふざけたりする生徒がいれば叱る。しかし、それと同じくらい褒めることもあった。

 そんな彼女は生徒たちからも人気があり、皆から慕われていた。

 そんな彼女が慌てた表情で二人の元へ駆け寄って来たのだから、二人は驚いてしまうのは当然だろう。

 二人は顔を見合わせてから、さとりが口を開いた。


「先生どうしたのですか?」

「はぁ、はぁ、酒津さん、本当に酒津さんなのね」

「はぁ……」


 さとりは困惑しているようだ。それもそうだ。いきなり担任の教師が自分のことを追ってきたのだから困惑しないわけがない。


「酒津さん、本当に生きてて良かったわ」

「はい……」

「……安藤先生、教室に行かないといけないので失礼します」


 あかりはなぜか安藤の話を深く聞く前に切り上げようとする。さとりにはどうしてなのかは分からなかった。

 さとりがあかりに聞く前にあかりは先に歩いてしまった。

 さとりは安藤に一礼してからあかりに着いて行った。

 さとりが教室に着くと皆、さとりに一斉に視線を向ける。それはまるで幽霊でも見ているかのような視線だった。

 さとりは意識不明の重体であったため、生死を彷徨っていたのは確かである。だからと言って、死人のように見られるのは気分が良くない。

 みんな、そんなにジロジロ見なくていいじゃない。もう、やめてよね!


「お、おはよう……」


 さとりが教室にいる生徒に挨拶をすると、皆先程とは逆に目を合わせないようにした。

 もう一体なんなの! さっきから見たり見なかったりして!

 それ以上考えても仕方ないので自分の席に座ろうとした時、ある物に気づいた。

 花瓶? なんで祥子ちゃんの机の上にあるんだろう?

 それは祥子が座るはずだった席に花瓶が置かれていたのだ。

 もしかしたら転校して誰も使わなくなったから置いたのかな。でも危ないし教室の後ろに置いてあげようかな。

 さとりがそう思って、花瓶を掴もうとした時、「酒津さん何してるの!?」と一人の女子生徒に止められてしまった。


「えっ、いやだって祥子ちゃんの机の上に置くのもなんか変だし……」

「いや変ってあなた」


 そう女子生徒は言いかけたら、さとりの目線がおかしなことに気づいた。



 ◆◆◆



「さとりはタイムスリップに興味はないかい?」


 ファミレスの中の一角にさとりと祥子は座っていた。店内は夕方前なのか、そこまで人が多くなかった。


「タイムスリップ?」

「うん、私は興味があるよ」

「へぇー」

「あれ?あんまり乗り気じゃ無いね」

「うーん、ワタシは今の生活が好きだから」

「そっか」

「でも」

「でも?」


 さとりが置いてあるオレンジジュースをストローで吸っている。間を開いて口を開き出す。


「昔の祥子ちゃんに会えるならタイプスリップしてみたいかも」


 さとりは少し恥ずかしげに答えた。

 さとりの返答を聞いた祥子の頬が少し赤くなった。

 それを誤魔化すように、ドリンクバーで入れてきたアイスコーヒーを一口飲む。

 そして、一息ついてからさとりの顔を見て話し始める。

 さとりはキョトンとしている。


「あのね、さとり」

「うん」

「タイムスリップは夢と希望の代物だけど、同時に過酷な現実を突きつけるものでもあるんだよ」

「へぇ」


 さとりには祥子の言っていることがあまり理解できてなかった。


「確かに過去に行って過去を変えることができる。つまり、歴史を変えることができることだ。それはある意味とても素晴らしいことだ。でも、それでは過去の自分に殺されてしまうかもしれない。もし、その時代で死んだ場合、自分が消えるのではなく、自分という存在がいなかったことになる。それに過去を変えるということは未来も変えてしまうかもしれない。タイムスリップにはそういうジレンマがあるんだ。つまり、歴史に干渉して全てを変えるか、干渉せずに何も変えないという天秤を持たされることになる。それが私の言う過酷な現実だ」

「ふーん」


 祥子の話は半分くらいしか理解できていなかったが、タイムスリップが気楽なものではないということは理解できた。


「でも、私は祥子ちゃんの為なら過去とか未来とか全部変わってもいいと思うなぁ。歴史とかそんなのより祥子ちゃんの方がよっぽど大切だよ」

「さとり……」


 祥子はさとりの気持ちが嬉しかったのか、さとりの頭を撫で始める。


「さとり、嬉しいよ」


 さとりは突然のことで驚いてしまう。


「わわっ、急にどうしたの?」

「いや、さとりが可愛くてつい」

「もう!」


 さとりは少しだけ顔を赤くする。


「それでさとり、何かしたいことある?」

「祥子ちゃんとずっと一緒にいたい」

「それは……私もだよ」


 さとりは、祥子がどうして返事に少し困ったのか分からなかった。



 ◆◆◆



「酒津さん、ねえ酒津さんってば!」

「……えっ、なに、どうしたの」


 さとりは女子生徒の様子が変になっていることに気がついた。


「さっきから、目線おかしいし、それに話を聞こうとしないし」

「そ、そうだね。はは、ごめんごめん」


 さとりは首を傾げる。自分の様子がおかしいはずがない。強いて言えば左腕が機械になってることくらいだ。


「それで花瓶なんだけど」

「花瓶がどうしたの」


 あかりが来た。さとりは丁度良かった。この花瓶について聞きたかった。


「あかりちゃん、その花瓶って……」

「あっ、これ?」


 あかりは顔色一つ変えずに花瓶を持ち上げる。持ち上げられた花瓶の中には水が入っていた。ちゃぷんと音がしたが、あかりは気にすることなく教室の後ろ側に花瓶を置いた。


「さとりちゃんも祥子ちゃんもいなかったから置いてたの。だから気にしなくていいんだよ」


 その言葉に女子生徒が驚いてしまう。女子生徒は声を荒らげながら口を開く。


「いや、橘さん、あなた、それ」

「……さとりちゃんに失礼だよ。それに病み上がりなんだし。余計なお世話だよ、分かる?」


 あかりの言葉は女子生徒以上に強かった。それにさとりを含めて有無を言わせないくらいキツく言っていた。


「あっ……うん」

「分かったなら良いよ」


 そう言ってあかりは席に戻っていった。女子生徒はバツが悪いような表情をしていた。さとりはそれをただ見ていることしかできなかった。

 教室の後ろに置かれた花瓶に差してあった花が空しく揺れていた。

 昼休みになるとあかりはさとりの隣の席に座った。お弁当を広げると、箸を持ってさとりの方を向いてきた。


「さとりちゃん、食べさせてあげる」

「う、うん」


 さとりは少し恥ずかしかったが、断れなかった。


「はい、あーん」

「あーん」


 さとりは口を開けて、卵焼きを食べる。甘めの味付けでとても美味しい。


「おいしい?」

「うん! とても」

「よかった」


 あかりは笑顔で答える。


「ねぇ、さとりちゃん」

「なに?」

「研究所出てからの久しぶりの学校、どうだった?」

「うん、やっぱり楽しいね」


 さとりも笑顔になった。


「そうだね」

「でも、まだ分からないことがあるんだ」

「何が?」

「祥子ちゃんのこと」


 あかりの笑顔が凍りつく。その変化を見てさとりも動揺してしまう。

 そして、二人は黙ってしまう。

 しばらくすると、あかりが口を開いた。


「祥子ちゃんはね、転校しちゃって、さとりちゃんに何も言わずに行ったんだよ? 酷いよね? だからさ、さとりちゃん、忘れよ? ね?」


 さとりにはどうも納得できなかったが、何も言わなかった点は事実なのでどうしようもなかった。

 はぁ、祥子ちゃんなんでワタシに黙って転校したんだろ。これじゃ好きだって告白もできないよ。どうやって会おうかな。

 さとりが溜め息をついて昼ご飯を食べていた。



 ◆◆◆



 放課後、さとりは特に何もすることがなかったので、あかりと一緒に帰ることにした。校門を抜けるとあの女性警官が立っていた。

 女性警官はさとりを見つけると近づいてきた。さとりのところに来るなり、警察手帳を見せてくる。


「改めてご挨拶します。岡山県警の宮尾と言います。酒津さとりさん、退院直後で失礼ですがお話してもよろしいでしょうか」

「えっ、警察の人? ワタシに何か用ですか?」


 何この警察の人、急にワタシに話しかけてきたし、そもそもなんで名前知ってるの?

 宮尾はさとりに迫る勢いで話しかける。


「事件について聞きたいのですが、ここだと不味いので歩きながらで話しましょうか」


 さとりとあかりは、宮尾に連れられる形で歩くことになった。少し歩いてから、宮尾は立ち止まった。辺りを見回してから、さとりに真剣な眼差しを向けて言った。


「酒津さとりさん、二ヶ月前の事件、覚えていますか」

「事件?」

「そうです。あなたが同級生を列車が走っていた線路の上に押し出した事件です。他の方は事故だと言っていましたが、私は信用できません。だからこうやって……」

「……」

「酒津さとりさん?」


 宮尾はさとりに呼びかけるが、反応がなかった。瞳孔は開いているものの、視線が不気味なくらい真っ直ぐ向いている。その視線は宮尾でもあかりでもない虚空に向けており、不気味さが一層増していた。


「話かけてもしょうがないんじゃないですか?」


 あかりの言葉を聞いて、宮尾は慌てて口を開く。


「な、なんでですか!?」

「さとりちゃんに後遺症があるとか考慮したことないんですか?」

「こ、後遺症……」

「もしかしたら、さとりちゃんは事件のショックのせいで記憶喪失になってるかもしれませんよ? 下手に犯人扱いして、トラウマを掘り返そうものなら最悪、さとりちゃんの心が完全に壊れてしまうかもしれないですよ」

「そ、そんなことが……い、いやでも研究所では特に後遺症とか聞いては」

「後から分かるパターンなんていくらでもあるじゃないですか? それに、あなたが研究所について詳しく知っているわけでもないでしょう?」


 あかりの口調は穏やかだったが、言葉の節々からは怒りの感情が読み取れた。

 宮尾はあかりの言葉を受けて、黙ってしまった。

 沈黙が続く。

 すると、あかりは口を開いた。


「ほら、今はまだ話を聞く時じゃないんですよ。さとりちゃんがもう少しだけ良くなったら来てもいいですから」

「わ、分かりました」

「それじゃあ、ワタシ達は帰りますね」

「はい」

「あと、一つ言っておきますけど、これ以上、さとりちゃんに近づかないでください」


 あかりの表情は先程よりも険しいものだった。


「ほら、さとりちゃん行くよ」

「……」


 反応しないさとりの左手を無理やり引っ張っていく。それでもさとりは何も言わないし抵抗もしなかった。

 宮尾と別れてから少しだけ歩いたあかりは何も言わなくなったさとりを見る。さとりは生気を失っているかのように見えた。そんなさとりにあかりは抱き寄せる。


「さとりちゃん、かわいいのに突然黙ってたらみんな困っちゃうよ?」


 それでもさとりは反応しない。まるで心が抜け落ちたみたいだった。

 そんなさとりを見てあかりはあることを思いつく。


「じゃあ、頬にキスしちゃうね……」


 それは冗談半分ではあるが、気持ちは本心である口付けを、肌と唇が触れる柔らかな音が響いていた。

 あかりは唇を離し、さとりを解放してあげた。


「んっ……」


 さとりはやっと反応する。


「……あれ? ワタシは何を?」

「もう、さとりちゃんったら。いきなり黙って動かなくなるんだもん。心配したよ?」

「ごめん」

「謝らないでいいよ。それよりさ、さとりちゃんはなんであんなところで立ち止まっていたの?」

「なんでだろう? ワタシもよく分からないんだ……。あっ、警察の人は?」

「さとりちゃんが喋らないから帰ったよ。良かったね」

「うん……」


 さとりは何かが引っかかったまま家に帰ることになった。

 さとりとあかりは踏切の前に来ていた。いつも通る夏瀬駅と葵駅を繋ぐ線路の踏切。その遮断機には赤信号のランプが点滅している。


「電車が来てるね」

「そうだね」

「まぁ、ワタシ達には関係ないんだけど」

「うん」

「さとりちゃん、大丈夫? なんだか上の空だけど」

「ちょっと考え事してただけだから気にしなくて良いよ」

「分かった。何かあったら相談してね」

「ありがとう」


 さとりはそう言いながらも考えていた。

 あの時、ワタシはなんでぼーっとしていたんだろう? 祥子ちゃんに会いたいからってちょっとぼーっとしてるのは変かも。

 機械になっているさとりの左腕が疼く。


「さとりちゃん?」

「なんでもない。行こっか」

「そうだね」


 二人は線路を渡った。渡り切るとあかりが立ち止まってしまった。


「あかりちゃん、どうしたの」


 さとりがあかりに声をかけると、あかりは何か決心したかのように顔を上げて答えた。


「さとりちゃん、私ね」

「うん」

「さとりちゃんのことが好きなの」

「……え?」


 さとりは突然の告白に頭が真っ白になる。

 あかりちゃんがワタシのことが好き……?

 そんなことを考えているうちに、あかりは続けて言う。


「さとりちゃん、私達幼なじみだけど、私はさとりちゃんのことがずっと好きだった。言わずに黙っていたら、さとりちゃんが祥子ちゃんのこと好きだと言われた時は悲しかった。それでもさとりちゃんが幸せならそっちを選ぶべきだって、思ったからそうしてたの。……でももういいや。祥子ちゃんは勝手にいなくなるしさとりちゃんは傷つくしで私嫌になってきちゃった」


 あかりちゃん……。


「だからね、祥子ちゃんじゃなくて、私が、私がさとりちゃんを幸せにしてあげるんだって決めたの、うん。私とさとりちゃんが付き合えばいいんだって。私ならさとりちゃんを幸せに出来るんだって」


 あかりはさとりの両手を強く握りしめる。さとりはそれを止めることができなかった。


「もう、本心で話すね。私、さとりちゃんのことが幼なじみとしてじゃなくて一人の女の子として好き。大好き。愛してるの。お願い、私の彼女になって?」


 あかりは懇願するように言った。


「あかりちゃん……」

「さとりちゃん、答えて。ゆっくりでいいから」

「ワタシは……」

「うん」

「あかりちゃんのことは大事な幼なじみだと思ってる。もちろん今もそれは思ってる。それでもあかりちゃんと付き合うことより、祥子ちゃんに会って好きだってちゃんと言いたいの」

「……そっか」


 あかりはそう言いつつも納得していない表情をしていた。


「やっぱりさとりちゃんはズルいね、本当に。こんな状況になっても祥子ちゃんの方を優先するなんて」

「あかりちゃん……」


 さとりはあかりに申し訳なさそうな顔をする。

 あかりちゃんはワタシのことを好きでいてくれてる。けど、ワタシ……。

 あかりはゆっくりとさとりの方に歩み寄り、静かに抱きしめる。先程よりも強く、強く抱きしめる。さとりの左腕が勝手にあかりを抱きしめ返していた。


「でももう無理。さとりちゃんを離さないからね」


 直後、電車が踏切を通り過ぎる。静かな時間に対して、通過音が激しく鳴り響いた。

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