『桜の枝に、人の心』 純文学

 あのひとの関心を乞うがあまり、獣になってはしまわないか。


 そう、あなたがおっしゃるので。


 いいえ、獣になど、なりはしませんよ。


 そう、おこたえいたしました。


 いやきっとなる。

 そうしてあのひとのやわらかな臓物を貪るのだ。

 怒りと、悲しみと、情欲に濡れたこの歯で。


 そうおっしゃるあなたのお顔は、どんな様子でしょう。

 赤く、火照る頬に浮かぶお心は、何を求めているのでしょう。

 わたくしに、どうこたえてほしいのでしょう。


 いいえ、なりはしませんよ。


 そう繰り返して、わたくしは溜め息をひとつ。


 ならば、とあなたは大きな声をお出しになりました。


 ならばこの心は、何だというのか。

 この妬心が、獣の様相でないなら何だというのか。

 あのひとが手に入らぬのなら、喰らってしまおうというこの心は。


 なんなのだ。


 消え入るような声色で、あなたはそうおっしゃりました。

 まるで、泣いているようでございました。

 なぜ、そんなに怯えているのでしょう。


 なりはしませんよ。


 わたくしのこたえは変わりません。


 だって。


 『嫉妬』などと、そのような心を抱くのは人しかありませんでしょう。

 獣に妬心はございません。

 ですから、あなたは獣になど、なりはしないのです。


 人は、獣になど、なれはしないのです。


 嗚呼、と項垂れて。

 ゆっくりとお顔をお上げになったあなたは梅の木をご覧になりました。

 白梅の咲き出した、その木を。


 春が近うございますね。

 眠れる獣の目覚める季節が参ります。

 けれどやはり、人は獣になれはしないのです。


 ああ、お待ちになって。

 梅の枝では縄をかけるに不向きでございます。

 ほら、あちらの桜など、枝ぶりもよく。


 想いを遂げられぬのであれば、そうした選択もまた。

 ええ、ええ、承知いたしておりますよ。

 その枝を、ええ、必ずやあのお方へお届けいたしましょう。


 わたくしがそうこたえると、あなたはようやく微笑まれました。


 ああよかった。

 あなたのお心は、あのお方のもとへ届くでしょう。

 ええ、きっと、きっとですよ。


 獣になるよりよっぽど素敵です。

 桜の枝に、想いをかけて。

 そっと吊られた、哀れな人よ。

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短編集『ニアリーイコール』 ふとんねこ @Futon-Neko

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