三、乾村の姫(四)
翌朝、宝劉は冷たい風に目を覚ました。四月とは言え、山の空気はまだ冷えている。
「おはようございます、宝劉様」
「おはようございます」
舜䋝と彩香はもう起きていた。
「おはよう」
眠い目をこすりながら身体を起こし、宝劉は伸びをする。
「二人とも早いわねぇ」
「やっぱり、布団でないと寝にくくて」
「殿下は、よくお眠りになれましたか?」
「まあね」
そんな会話をしながら、朝餉の準備をする。
「いただいたおにぎりと、焼き魚でよろしいでしょうか?」
「あら、魚が捕れたの?」
「はい。少し行った所に、沢へ降りる道がありました」
「そうなのね」
朝餉を食べながら話し合い、その沢で魚を捕り、水神への手土産とすることにした。
「さて、行くわよ」
焚火の始末をし、三人は一宿の場を後にする。
舜䋝の言っていた通り、山道を少し進んだ場所に、沢へ降りる獣道があった。
「ここね?」
「はい」
三人は足場の悪い急坂を降下り、沢へ行く。
小さな沢へ着くと、宝劉はさっそく靴を脱いだ。
「きれいな川よね。気持ちがいいわ」
そう言って浅い川に入り、澄んだ水を跳ねさせる。
「さーて、捕るわよー!」
宝劉は二、三回腕を回し、足元にあった手ごろな岩を持ち上げた。
「そーおれっ!」
頭の上に掲げたそれを、勢いよく水中の大岩に振り下ろす。
鈍い音がして水面が揺れた。その振動は、周囲を泳いでいた魚たちを気絶させる。
「でましたね、宝劉様のガチンコ漁」
川面に浮かぶ魚を見て、舜䋝が言った。
豪快かつ大胆なこの漁法は、宝劉のもっとも得意とする魚捕りである。確かに、小手先の技もいらず簡単で効率も良いのだが、これを一国の王女が行うとなると、首をかしげる者もいるかもしれない。
「山女魚が多いわね。川が健康な証拠だわ」
黒い楕円を並べた川魚を拾いつつ、宝劉は笑みをこぼす。
「さて、後は水神様を探すだけですわね」
魚を手に川から出た主人に、彩香が手拭いを渡す。
「土地神様の話だと、もうすぐのはずなんだけど……」
「ええ、そのようです」
舜䋝が耳を澄ませて報告する。
「ここから一里も無いでしょう。半刻もかからないと思います」
「ありがとう、舜䋝」
三人は、川に沿って上流方面へ進む。舜䋝の言った通り、四半刻ほど歩いていると、滝の音が聞こえてきた。
歩を進めるにつれ、その音はどんどん大きくなる。
「見えました!」
水が落ちる音の中、舜䋝が声をあげた。落差四丈程で幅広の滝が、三人の前に姿を現した。
「水神様はどこかしら」
できるだけ滝壺に近付き、宝劉は目当ての神を探す。
しかし、いくら大声で呼んでも、草の根をかき分けて探しても、その姿は見えない。
「まさかとは思いますが、亡くなっているなんて事はないでしょうか……?」
彩香が不安がって訊ねる。
「大丈夫よ、さっきから気配はしてるもの。なのにどうして、お姿が見えないのかしら」
三人は不安をぬぐえないまま、辺りの捜索を続けた。
手分けして探すこと半刻、突然、柔らかな光が辺りを包み込んだ。
「何かしら?」
見ると、竜神の滝が淡い七色に光っている。神々しく美しい虹色は、優しく宝劉たちを招いているようだ。
「この滝、裏に洞窟があるんじゃないかしら」
宝劉が言った。
「何かの本で、読んだことがあるわ」
その書物なら、舜䋝と彩香も知っている。
「でも、あれは物語ですよ」
「そうですわ。現実に起こるとは思えません」
宝劉は少し首を傾げた後、大きくうなずいた。
「とりあえず行ってみましょう。行けば分かるわよ」
しかし、二人の家臣は反対した。
「得体のしれない場所に、宝劉様を行かせる訳には参りません」
「その通りですわ。滝の裏など、危のうございます」
舜䋝と彩香に反対された宝劉は、腕を組んで滝を見上げる。
「でも、あそこに水神様がいらっしゃるかもしれないわよ?」
確かにその可能性は否定できない。二人は顔を見合わせた。
「僕が様子を見てきます」
舜䋝が言った。
「お二人は、ここで少しお待ちください」
「分かったわ」
宝劉と彩香は、光の中舜䋝の背中を見送る。
「大丈夫でしょうか……」
「大丈夫よ、舜䋝だもの」
舜䋝は、いくらも待たずに帰ってきた。
「ただいま帰りました」
「どうだった?」
「はい。滝の裏に洞窟があり、そこに祠もございました。水神様がいらっしゃるのではないかと思います」
舜䋝は見たものを報告する。
「ほら、やっぱりね」
三人は滝の裏にまわった。舜䋝の報告にあった洞窟に、足を踏み入れる。
洞窟は入口が狭く、奥が二十畳ほどの広さで、その壁は螺鈿のようになっている。それが七色に光り輝き、滝の外まで広がっていた。
「綺麗……」
「美しいですわね」
三人はしばし、その神秘に見入った。
「さてと」
宝劉は改めて洞窟の中を見渡した。舜䋝の言った通り入り口近くに祠があり、その奥で白竜が丸まっている。
宝劉はすぐに、それが探していた神だと気付いた。
「水神様」
返事は無かった。
いぶかしがりながら、宝劉は体長三丈程ありそうな竜神に近付く。
「水神様、何かございましたか?」
傍で声をかけても反応はない。具合でも悪いのだろうか、怪我をしているのではないかと不安に駆られ、慌てて揺すると、竜はもぞもぞ動いた。
「良かった、生きてらっしゃる」
しかし返事が無いのは心配だ。大怪我か病で動けないのだろうか。手当てや看病くらいだったら宝劉にもできるだろう。だからまずは、水神に何が起きているのか知りたい。
さらに声をかけて揺すると、水神はぐねんと寝返りを打った。ついでにいびきもかき始める。
「……寝てらっしゃるのね……」
安堵した宝劉の顔が、怒りの表情に変わった。
「失礼いたします」
右手を振り上げ、白竜の二つの角の間に思い切り振り下ろす。
「ふぁっ……!」
脳天に物理的な衝撃を受けた水神は、さすがに目を覚ました。
「な、何事じゃ?」
突然の事に状況を把握できず、棲み処の中をきょろきょろする。
「おはようございます、水神様」
宝劉は、年老いた白竜に拝礼した。
「おお、劉家の者ではないか。こんな所に何用かの?」
水神は目を細めて言った。
怒鳴りそうになるのを抑えつつ、宝劉は丁寧に口調を整える。
「捧げものの山女魚でございます。お口に合えば良いのですが」
舜䋝から渡された魚を、竜神に差し出す。
「おお、有難く受け取ろう」
水神は三本指の前足でそれを受け取り、口に放り込んだ。
「して、このわしに何の用かの?」
「はい、ある事を稟請いたしたく、参りました」
宝劉は改めて拝礼する。
「申してみよ」
「はい。この付近では二月以上、雨が降っておりません。村では田に水を引けず困窮しております。つきましては、水神様に雨を降らせていただきたく存じます」
白竜はそれを聞いてはっとし、気まずそうな顔をする。
「……今は、何月かの?」
「卯月の上旬でございます」
宝劉は強めの口調で言った。
「……寝坊じゃ……」
水神は、爪で頭をかいて呟いた。
のそのそと滝を潜って洞窟の外に出ると、竜神は空へ跳ねた。乾いた碧空を舞い、雲を呼ぶ。
雲は竜神の呼び掛けに応え、すぐさま恵みの雨となって辺り一帯に降り注いだ。
三人は洞窟の外に出て、それを見守る。柔らかな七色の光は終わっていた。
「この雨は五日続くはずじゃ」
雨の中、一行の前に降り立つと、竜神は言った。
「明後日には、田に水が引けるじゃろう」
長い尾を揺らし、髭をなびかせて雨に濡れる。その鱗は雨のしずくを反射し、七色に輝いて見えた。
「恐れながら申し上げます」
宝劉はその正面に仁王立ちになり、険しい視線を水神に向けた。その表情は、誰が見ても怒っている。
「貴神は神でいらっしゃる。しかも強大な力をお持ちの水神のはず。この辺りの雨は貴神に頼っております」
言葉は丁寧だが、口調は厳しい。宝劉もそれは自覚していたが、たとえ神様相手でも、言うべき事は言っておかなければならないと、考えていた。
「我等が国民は、劉家だけでなく貴神にも治められております。いくつもの命をその身に預かっているという重責を、自覚すべきではございますまいか」
宝劉に怒られ、水神は大きな身体を縮こませる。
「今回は私が偶然通りかかったから良いものの、城に情報が届くのが遅かったら、村は飢えていたかもしれません。貴神の怠慢一つで、何人、何十人が死ぬ。その事実を、しっかりと覚えておいていただきたい」
「すまんかったのう……」
水神がしょんぼりして謝っても、説教は終わらない。自分の三倍以上ある白竜を相手に、宝劉は厳しく言葉を続けた。
「もう二度と、このような事態にならぬようにお気を付けください。我等王家と神様方は、協力して国を治めるべきとされているはずです。そのために、劉家には貴神方と交流する力があるのですから」
水神は時折返事と謝罪を交えつつ、話に耳を傾けている。反論は一切しなかった。
「くれぐれも、多くの命と責任をその肩に負われています事を、お忘れなく」
ひとしきり言いたい事を言って、宝劉は息をついた。
「すまんかった。本当にすまんかった」
竜は深く頭を下げる。
「もう寝坊はせんよ。気を付けるわい」
「よろしくお願いしますね」
それから宝劉は一つ提案をする。
「今回の件、村民たちは祈念先が分からず、土地神様に雨を請うておりました。つきましては、村にも貴神の社を建ててはいかがでしょう」
「おお、それは良い案じゃ。村人たちに頼めるかの」
「はい。双方のために、祠を造らせましょう」
「うむ、よろしく頼むぞ」
話が一区切りしたところで、竜神は宝劉の連れに目を向ける。
「ほう、珍しい者がおるな」
その眼には舜䋝の姿が写っている。
「あの者は?」
「私の従者でございます。残念ながら、神見の力は持ち合わせておりませんが」
「ほう、左様か」
老竜は弱くなった目を細め、まじまじと舜䋝を見る。
「まだ若いが立派じゃな。姫、良い従者を持ったの」
「ありがとう存じます」
身内を褒められるのは嬉しいことだ。宝劉は頬を緩める。
「それでは、私たちはこれで失礼いたします」
「そうか。道中、気を付けるのじゃぞ」
「はい」
深く拝礼して挨拶をし、三人は水神の滝を後にした。
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