彼女たちの来た道 残照の頂 続・山女日記 湊かなえ 幻冬舎

年末年始のバタバタで下書きが尽きてしまい、どうにかこうにか毎日更新だけは続けている本の虫です。

やっと本来の読書記録に戻れそうな気がしますがどうなることやら。


本日の感想文の本はシリーズの2作目で、一作目の感想はどうしたという話ですが、再読する暇がなく同じ密度で書けそうになく、1作目の感想は飛ばさせていただきます💦

そして文体変わります(いまだに口語で書けないポンコツ)🙇‍♀️


ここは、再生の場所。

NHK BSプレミアム「山女日記3」原作小説。

幅広い層に支持されたベストセラー、待望の第2弾。

「通過したつらい日々は、つらかったと認めればいい。たいへんだったと口に出せばいい。そこを乗り越えた自分を素直にねぎらえばいい。そこから、次の目的地を探せばいい。」

後立山連峰

亡き夫に対して後悔を抱く女性と、人生の選択に迷いが生じる会社員。

北アルプス表銀座

失踪した仲間と、ともに登る仲間への、特別な思いを胸に秘める音大生。

立山・剱岳

娘の夢を応援できない母親と、母を説得したい山岳部の女子大生。

武奈ヶ岳・安達太良山

コロナ禍、三〇年ぶりの登山をかつての山仲間と報告し合う女性たち。

……日々の思いを噛み締めながら、一歩一歩、山を登る女たち。頂から見える景色は、過去の自分を肯定し、未来へ導いてくれる。

Amazon紹介ページより引用


前作『山女日記』では人生に惑う人々が山に登ることで心の整理を付け、前へと進んでいく物語だった。

今作は『残照の頂き』というタイトルからも、内容紹介からも見て取れるとおり、心の中にわだかまっている過去と向き合う山行きの物語だ。

何かを見つけるための物語と、置いてきたものを取りに行く物語といってもいいかもしれない。

登山がモチーフの物語なのだから、当然山頂を目指して登る過程が多く描かれるが、この物語はどこか下りていくことの方を感じさせる。

彼女達が山頂で見るのは、心の中に置いてきたいつかの風景なのだ。それが初めて登る山だったとしても。

年齢に関係なく、なんとなくその時はやり過ごしてしまったが、なぜかずっと心の中にあり続けるものというのは誰もが持っているのではないだろうか。後悔と呼ぶほど明確なものではない。心の底に澱のように溜まっていて、ふとした拍子にざわざわと心の中で揺らめくようなそんなもの。

思い出にするには昇華しきれておらず、かといって常日頃思い悩むには遠くなってしまったもの。

彼女達はそうしたものに向き合うために山に登る。彼女達の人生の転換期に。長い間ケリをつけられずにいたことは、山の思い出と一緒にあるからだ。

頂への険しい道をそれまでの人生と向き合いながら進み、そしてたどり着いた頂きで振り返ることのできる思い出に変える。その思い出と共に山を下り、また新たに進むために。

私はここで描かれるような本格的な登山はしたことがないが、田舎育ちなので山は身近だった。小さな山なら祖父に連れられて何度も登ったし、高校の学校行事で大山登山はしたことがある。本格的な登山にハマることはなかったが、それでも山頂に立ったときの清々しさはなんとなく想像できる。そして道中の無心になる感覚も。

大した山には登っていないが、わざわざ登りに来る人がいない=整備されていない、ということなので、ほぼ獣道みたいなものだった。それこそ藪漕ぎのようなこともするし、祖父にちゃんとついて行かないとすぐ迷いそうな山だった。

濡れた枯葉を踏めば滑る、安易に石に掴まれば思いがけず脆く取れてしまうものもある。折れなさそうな木を見極めて掴まったり、気をつけずに枝を払うと反動で顔に当たったり。足を置くところを考えながら歩かなくてはすぐに転んでしまう。

子供の足でも3時間程度で登れるような低山でも、整備されていない山は結構大変で、余計なことを考える暇はなかった。何が安全で、何が危険か、考えながら、祖父に遅れないようについて行く。楽しいというよりは辛い、しんどいと思うのだが、それでも登りきった時は本当に気持ちいいのだ。だから何度も祖父についていった。そもそも春の山菜採りと秋の茸採りに祖父は行っていたのだから、別に山頂まで行く必要はなかったはずだが、それでも孫に山の上の景色を見せるために登ってくれていたのだろうと思う。楽しかった私の大切な思い出だ。

そして大人になって山登りは趣味にはならなかったが、いつも正月時期をずらして参拝する神社があり、その本殿の他に山の中腹にある磐座と小さな祠には、今でも登ってお参りをする。30分強で登れてしまう道のりだが、完全には整備されていない山道を歩く時、だんだんと清々しい気持ちになり、祠にたどり着く時にはすっきりとした気持ちで手を合わせることができる。1年の間にあった様々なことも、登っている間に整理がついて去年の思い出にきちんとなっているような気がするのだ。

この物語で描かれるのはもっと本格的な登山なのだから、私の経験と並べられるものではない。それでも“山”という揺るぎなくそこにある大きなものと向き合い、美しいが優しいわけではない自然の中に身を置くことで感覚が鋭敏になり余計な思考が削ぎ落とされていく感覚はなんとなくわかる気がするのだ。

余計な思考が削ぎ落とされて物事がシンプルになった時、心の底にあったものはどんな姿に見えるのか。沈む日に照らされ頂から見る“来し方”は、きっと険しければ険しかったっだけ美しいのだろう。

辛かったことも苦しかったことも確かに自分が歩いて来た道のりなのだ。

そして山を下り、また新たに道を行く。

彼女達の“思い出”を道連れにして。

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