忘却は救いとなるか 忘れられた巨人 カズオ・イシグロ 早川書房

アーサー王伝説の頃のイギリスを舞台にした、ファンタジー。

アーサー・ラッカムの絵やムーアの景色が思い浮かぶ作品だ。

ウサギの巣穴のような村に住む仲睦まじいブリトン人の老夫婦アクセル、ベアトリス。彼らは蝋燭を使わせてもらえないなど、村で差別されている。二人はなぜそんなことになったのか覚えていない。灯りも自由にできない日々に嫌気がさし始めていた二人は遠くの村に住む息子のことを思い出す。なぜか二人は息子がいたことすら忘れかけていた。なぜ離れて暮らしているのか、息子が今どうしているのかもわからなくなってしまっている。

息子がどこに住んでいるかも定かではないが、今の生活は続けられないというベアトリスに促されて夫婦は村を離れて息子を訪ねることにする。

旅をするうち、記憶が曖昧になっているのはアクセルとベアトリスだけではないことに2人は気づく。この国を覆っている霧がどうやらその原因で、雌竜クエリグの吐く息がこの霧となり人々の記憶を奪っていることを知る。道中、サクソン人の戦士ウィスタンや村を追われた少年エドウィン、何かを知っている様子の修道院の老僧や、アーサー王の甥で老騎士ガウェインらと出会い、2人はクエリグを倒して記憶を取り戻すか取り戻さないかの争いに巻き込まれていく。


舞台はアーサー王がアヴァロンへ去った後の5~6世紀頃のブリテン島。ノルマン・コンクエスト以前の、ローマに放棄され、サクソン人とケルト人が争っていた時代で、アーサー王の死後ではあるが、小康状態を保っている。

しかしこの状況が作られたものであると言うことを、読み進めるうちに知るのだ。

なぜマーリンは竜の息に人の記憶を奪う術をかけたのか。戦争の傷、人々の憎しみ、恨みそうしたものを忘れさせることでアーサー王がアヴァロンへ去った後再び戦乱の起こらぬようそうしたのだと、ガウェインは語る。

そしてガウェインはクエリグを倒そうとするウィスタンに再びの戦乱を望むのかと問うのだ。

しかしブリトン人に母を奪われた記憶を失っていないウィスタンは、そんな目眩しによる平和など無意味だと言う。今ですら大きな争いこそ起こってはいないが、ブリトン人とサクソン人の間には微妙な緊張はあるのだから。クエリグの息によって、なぜお互いの間にそうしたわだかまりがあるか自覚できていないだけなのだ。

事実クエリグは衰えてきており、この目眩しの霧もいつまでも持つものではないとガウェインも知っている。ガウェインもまた、サクソン人を虐殺した罪悪感を抱えているのだ。

タイトルとなっている“巨人”はそのものとしては登場しない。ウィスタンが「かつて地中に葬られ、忘れられていた巨人が動き出します。」と終章に近いところで語る。地中に葬られ忘れられていた巨人、つまりサクソンとブリトンの憎しみの記憶が呼び覚まされると語るのだ。忘却の中に横たわっているこの“記憶”という巨人が再び起き上がることは何を意味するのか。

テーマとされている“記憶”とは個人のものにとどまらないのだ。ブリトン人とサクソン人の争いの記憶、そこから生まれた怨嗟や憎しみをも目隠しした上で、今の小康状態が保たれている、つまり国家の歴史という“記憶”の喪失が描かれているのだ。こうした記憶喪失は極めて現代的な問題に繋がっている。

忘却が必ずしも罪なわけではない。時がたち記憶が薄れゆく中で解決することもあるだろう。しかし忘却とは過去を消し去ることではない。薄れたとしても過去の事実は事実としてそこに横たわっており、ウィスタンが語るようにきっかけっさえあれば姿を表す。歴史という“記憶”はその国そのものでもあるのだから。

ファンタジーの体は取っているが、現代的な紛争の問題の根底を問おうとしているのではないかと思う。

このことと並行して描かれるのが、アクセルとベアトリスの“個人の記憶”の物語だ。2人の分かち合ってきた人生の思い出を取り戻す旅の物語がそこにはある。しかしお互いをいたわりあい寄り添っていた2人にも不都合な“記憶”は存在した。 

最後の章では言い伝えの島への船頭が語り手となる。仲睦まじく暮らした夫婦に、人生で1番の思い出を尋ね、その答えが一致した夫婦のみ不変の愛を証明したとして共に船に乗って島へ渡ることができる。アクセルとベアトリスなら一致するであろうと思われたが、クエリグが倒されたことによって2人の間にも忘れていたかった記憶が蘇ってくる。ベアトリスの不実、そのことが原因で息子は家を出て、流行り病ですでに亡くなったことが明かされるのだ。

忘却は人にとって必要なものだ。時としてそれは救いとなる。人間にとっての防衛本能の1つと言っていいだろう。しかし、それは他者によって行われるべきものでは決してない。“記憶”はその人を形作っていたものなのだから。

この2つの“記憶”と“忘却”を描くことで、忘却のみによって作られる赦しや和解の脆さを読み手は知ることとなる。忘却は癒しにはなるが全てを帳消しにするものではない。本当に強い結びつきとは不都合な“記憶”をも内包して、それを上回る“愛”を見出しうるか、ということなのだ。

2人の老夫婦はそのことを知り死へと旅立っていく。

アクセルは過去を思い出した上でこう語る。

「忘却のおかげでゆっくりと傷は癒えた。夫婦の黒い影は愛情全体のほんの一部だったと思えるようになった。」


忘却によって癒やされ、失っていた過去の上に積み重ねられた2人のいたわりあいが、“記憶”を乗り越える。


最後に語られるこの希望が“救い”なのかもしれない。




難しい物語だったのでいつも以上に冗長かつまとまりのない感想になってしまいましたm(_ _)m




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