痛い。 『どうしても生きてる』朝井リョウ 幻冬舎
ふっと自分を消してしまいたくなる瞬間を描いた、朝井リョウの短編集、『どうしても生きてる』。
あらすじを書くのが難しい作品なので、幻冬舎のHPから紹介文を引用。
【祐布子が唯一安心感を得られるのは、死亡者のSNSアカウントを特定できた時だ。
『健やかな論理』
妻の妊娠を口実に夢を諦め、仕事に邁進する豊川。だが仕事に誇りを見出せず。
『流転』
派遣、契約、正社員、アルバイト。依里子はまず人の雇用形態を想像してしまう。
『七分二十四秒目へ』
異動後、痩せていく夫への心配と苛立ちを等分に抱えた由布子は、突如覚醒して。
『風が吹いたとて』
良大は妻の収入が自分のそれを上回った瞬間、妻に対しては勃起できなくなった。
『そんなの痛いに決まってる』
みのりはある夜夫と喧嘩になった。原因は、胎児の出生前診断をめぐる意見の相違。
『籤』】
【】内、幻冬舎HPより引用
この6編の短編で描かれている人物はみなどこにでもいる普通の人間だ。
それなりの、普通の生活を送っている。それぞれ今の生活に不満や不安を抱えてはいるが、そういうものだと自分を納得させながら何とか生きている。
何を抱えているかは人それぞれだが、こうしたなんとなくの生きづらさというのは誰もが持っているだろう。 なるべくそれを見ないようにしてやり過ごす、そうやって毎日をとりあえず生きていく。
そんな生活の中で唐突に訪れる、「もういいかな」という感覚。
私にも経験があるが、自殺衝動と呼べるほど明確な心の動きはそこに無い。
日常を送っている最中にふと全てを手放してもいいんじゃないかという衝動に襲われる。
死のう、というような能動的な意志は無い。本当にただ、「もういいかな……」というそれだけの軽い感覚なのだ。
何が「もういい」のか。言葉でこの感覚を捉えるのは難しい。
唐突に今生きている世界から放り出されたくなる、そんな無責任な感覚なのだ。
自分から終わらせようという明確さもなく、何かそれがふさわしい成り行きであるかのように、自分の存在が消えるという出来事が起こることを望む感覚。
作者はこの至極あやふやな、誰の心にも忍び込みうる希死念慮というものを、この小説の中に捕まえている。
誰しもがこうした感覚を経験するかといえばそうではないかもしれない。
けれど生きづらさ、ままならなさを抱え、そこが袋小路と知りながら歩いているような思いをしたことのある人なら、わかるであろう感覚。
大きな絶望があるわけではない。ただ、日々の積み重ねの中から生まれてくるものが知らず知らずのうちに心を圧迫し、気付いた時には途方に暮れるしかなくなっている。私たちが抱えているものは大抵そうしたものだ。そしてそれは性質の悪いことに、“大したこと”ではなさそうに見えてしまうのだ。
本来辛さや苦しさは他と比べるようなものではないはずだが、世間で起こっているあれこれや、もっと困難な状況にいる人と無意識に比べて、自分の抱えているものを“大したことない”ものにしてしまう。
けれどそうして抱えているものを矮小化して見えないふりをしても、実際は心は摩耗している。そんな時にふっと忍び込んでくる、消えてなくなってしまいたいという思い。
消えてなくなってしまいたいと思ったところで、能動的に死ぬ意志はないのだから、どうにかこうにか生きていくしかない。
今そこには変わる見込みのない未来しか見えていないとしても。
もしもこの作品に出合ったのがもっと若い時だったら、朝井リョウ作品を敬遠するようになっていたかもしれない。本当ならとっくに大人になっているはずの30代。大人になったと思えない30代の自分との折り合いがつかず、どうにも生きづらい思いをしたことがあればグサグサ突き刺さる物語の連続だ。
それほど切実に、こちらの胸をえぐってくる。目をつぶってやり過ごそうとしているものを、目の前に取り出して見せられる。。
けれどそれだけではない。最後に収録されている作品『籤』では、変わらない現実がそこにあろうとも開き直る強さを見せる。
もしかするとそれは年を取ることの特権かもしれない。
世界は変わらなくてもどうにかこうにか生きている間に自分が変わっていた。そこまでたどりつけば、なんとか生きていくことは以前よりも楽にできるようになるから。
時間薬、ではないけれど、何も変わらないように生きている間でも、どうにか世知を身に着け、それなりに対処できることが増えてくると思い悩むことも少なくなるし、思い悩んだところでどうにもならないことは手放してしまえる図太さも身につく。
けれどそうなれたのも、『どうしても生きて』いたから、だ。
頭から布団を被って、目をつぶってやり過ごしてもいい。
『どうしても生きてる』ことができれば、それでいいのだから。
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