山本文緒さんのこと。

本当は山本文緒氏の最後の長編となった『自転しながら公転する』の感想を書くつもりだった。

書こうとして、手が動かなかった。

昨年の10月に新聞で訃報を見た。

動けなかった。言葉も出なかった。

もちろんこれまでも好きな作家の訃報は何度も目にしてきた。ああ、もう新作は出ないのか、と寂しさを感じはしたが、親しい人の死に触れたようなこんな感情に襲われたことはなかった。

ぽっかりと穴の空いたような喪失感だった。

山本文緒氏の作品で最初に読んだのは、『プラナリア』だった。直木賞を獲った時にすぐ買って読んだ覚えがある。学生の私にとっては普通に面白い小説の1つという感じで、その後氏の作品を続けて読んだりはしなかったので、当時の私にはあまり刺さらなかったのだと思う。

山本文緒作品と再び出会ったのは『絶対泣かない』だった。なぜ手に取ったのかはもう覚えていない。仕事に悩み、人生に格闘している女性たちの力強さを優しく暖かに描いた短編集だった。

この本に出会ったのは23、4歳だったと思う。就活に失敗しギリギリで滑り込んだ会社がブラックで、体を壊して一年ほどで辞めて派遣で繋いでいた頃だからちょうどそのぐらいの歳だ。辞めて良かったと思う反面、履歴書に堪え性なしとレッテルを貼られたような物だからもう正社員は厳しいだろうと諦めて鬱々としていた時だ。

そんな時に、職場の近くの書店でたまたまこの本を手に取った。多分薄い短編集なので休憩時間や通勤時に手軽に読むのに良さそうだとでも思ったんだろう。

が、手軽な短編集などではなかった。この本の中には血を流しながら必死で人生に取り組んでいる女性がいた。

この作品の強さに撃ち抜かれた私は、氏の作品を読み漁った。新刊も出るたび買った。

私の20代を支えてもらった。

思った通りにはいかない人生。若いが故に衝突してしまったり空回ったり恥ずかしい思いをしたり。

女性には共感していただけるのではないかと思うが、20代後半に差し掛かってくると人生で考えないといけないことが増えてきてストレスフルな日々を過ごす時期がある。仕事ではベテランでもなく新人でもない便利遣いされる立場に苛立ったり、結婚や出産をそろそろ考える歳になるが、相手がいても男の方は呑気だったり相手がいなければ今更見つけられるかという焦りや、おひとりさまで生きていくだけの経済力を得るにはと考えて暗澹とする。開き直るには若すぎ、甘ったれるには歳を食ってしまっている。そんな年頃だ。

ホルモンバランスも変わる頃なので体調不良に悩まされたりもする。

そうした不安を抱えた20代後半のもやもやに寄り添ってくれたのが山本文緒作品だった。

氏の作品はハッピーエンドというわけではない。スッキリバッサリという読み口では決してない。悩み惑い、それでも模索しながら歩き出す女性たち。そのリアルさとしなやかさが私の心を支えてくれた。

伝わるかどうかわからないが、氏の作品は「大丈夫」とは言ってくれない。けれど、「何とかはなる。だって何とかしなきゃいけないことはあなた何とかするでしょ?」と言ってくれている気がするのだ。

そして自分にどうにかこうにか生きて行くだけの力はあることを思い出させてくれる。私に取って山本文緒作品はそんな存在だった。

お節介は焼かないけれど、気づくと後ろにいてくれる、そんな風に支えてもらっていた作品を生み出してくれてた氏の訃報はショックだった。

しなやかで芯のある憧れの人を亡くした心持ちだった。

氏が心を病み絶筆期間を経て書かれた『自転しながら公転する』。久しぶりの氏の長編小説。楽しみに買ったのにしばらく積読の山に置いてしまい読んだのは氏の訃報に触れてからだった。その前に出版された『ばにらさま』は購入もしていなかった。

これからまだまだ沢山の作品を読めると思っていたから。

読書ノートには感想を書き留めているので感想文はきちんと書こうと思っているが、その前にどうしても氏の作品の思い出を書きたかった。

長い間ずっと氏の作品に色々なものをもらってきたから。


今年、最後の作品である闘病記、『無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記』が刊行されたが、まだ手に取れずにいる。







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