「とくべつ」になりたくて ガラスの海を渡る舟 寺地はるな PHP研究所 

 大阪の空堀商店街でガラス工房を営む2人の兄妹の10年間を描いた物語。

 兄の道は発達障害を持ち、人間関係も仕事もスムーズにはいかない。

 妹の羽衣子は、道とは対照的に何事もそつなくこなせる器用なタイプだ。

 道を受け入れられず家族から離れた父、頑なに道の発達障害を個性と呼ぶ母。

 母は離婚後料理研究家となり、二人が成長してからは東京で過ごすことが多くほとんど家にいない。

 道はファミレスの仕事が何とか続いており、羽衣子はデザイン専門学校に通っている。

 このまま交わることなくそれぞれの人生を歩むように見えた家族が、ガラス職人の祖父の死によって変わっていく。

 祖父の遺言で共に工房を引き継ぐことになった道と羽衣子。

 水と油のような2人は当然「合わない」。合わない、というよりは羽衣子が1人苛立っているのだが。道は他人のことにはあまり興味がないし、言葉は言葉通りにしか受け取れないのでマイペースに作りたいものを作っていく。そして何をするにも不器用でガラス作りも羽衣子よりも下手なのに道の作るガラスには「とくべつ」な「なにか」がある。それは何よりも羽衣子が欲しいものだった。「うまく」やれるのは道よりも自分のはずなのに、自分が作るものは「平均点」。道は苦しむ羽衣子を苛立たせるようなことしかしない。

 そんなガラス工房にガラスの骨壺が欲しいという依頼がくる。骨壺を作りたい道と作りたくない羽衣子。頑なに道に反発する羽衣子だったが、人の死、悲しみに密接する骨壺というアイテムを通して、道の不器用ながら人に寄り添おうとする一面を知り、また自分もたくさんの人に見守られていることを知り、羽衣子の頑なさが少しずつ解けていく。

 何者かになりたかった人にとっては読むほどに痛い物語だが、同時にとてもやさしい物語だ。

 私自身も、いまだにこうして人様に自分の文章を公開しようというのだから御多聞に漏れず「とくべつ」に憧れて、「なにもの」かになりたかったタイプだ。

 なまじ読書量が多かったがために書いてみたところで自分で読んで面白くなさと稚拙さに落胆して、そこでもがくほどの根性もなく投げ出して「普通」に安住した、よくあるタイプの人間である。

 だから羽衣子が「とくべつななにか」を持っている道の隣で苦しむ気持ちがよくわかる。と同時に愛おしくもある。

 痛々しくて、「普通」もいいもんだよ、「普通」でいることは負けではないんだよ、と言ってあげたくもなるが、もがき続ける羽衣子の強さを眩しくも感じる。

 嫌いなのに道の作るものから目を離せない羽衣子。

 そして道がなぜ骨壺をつくるのかを知り、なにくれとなく助けてくれていた祖父の友人のガラス職人から何が「とくべつ」かは自分が決めるものじゃないと教えてもらい、羽衣子から余計な力みが消えていく。

 どうしても自分に引き寄せて羽衣子の視点に近くなってしまうが、道もまた少しずつではあるが変わっていっている。共感性に欠ける道が骨壺という人の心に寄り添おうとするアイテムに執着するのも面白い。

 道自身の生きづらさは重くは描かれず淡々としているのだが、道の曖昧さを廃さなければ世界と関われない性質が周囲の人たちそれぞれの抱えるものの輪郭を浮き上がらせていく。目の前に現れてしまえば向き合うしかなくなってしまう。

 否応なしに自分たちの抱えていたものと向き合い、受け入れ、折り合いをつけていく彼ら、彼女らのしなやかさ。

 熱せられたガラスはまだ、どんな色になり、どんな形になるのかわからない。

 苛立ち、嫉妬、焦り。

 熱の中にいる間は自分がどんなものになるのかわからない。ガラスと同じように。

 取り出したとき、思う通りの色や形になっていなかったとしても、それを美しいという人はきっといるのだ。

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