22,冷酷なる悪の意思







 喫茶店LaLaイオンの野外客テラス席に、二人の男女がいた。


 ボサボサの銀髪と腐った湖のような瞳、目の下の色濃い隈が特徴の白衣の美女ペトレンコと。カジュアルな髪型に整えている金髪碧眼の神父、甘いマスクが印象的なロイ・アダムスだ。

 他の場所であれば周囲から浮く二人だが、ここ秋葉原では奇特と言い切れない格好ではある。殊に時期はハロウィン間近、コスプレした外国人だと周りは勝手に解釈してくれるのである。


「――君の懸念は理解した。確かにこれは杞憂だと言い切れない数値だね」


 それでも人目を引く美男美女であることに変わりはないが、日本人というものは外国人を見ると近寄り難い心理的抵抗感を覚えるもの。遠巻きに視線を向けることはあっても、彼らの話し声が届く位置までわざわざ近寄ることはしない。仮に声が耳に届いたとしても、彼らはネイティブな英語で会話しているのだ。ますます近寄り難い印象を植え付けられるだけである。

 彼らはそうした日本人の国民性を理解しているのか、誰に憚るでもなしに平然と会話を交わす。ロイはテーブルの上に置かれたノートPCの画面を見て、同胞であるペトレンコへと同意を示した。

 もし誰かに話を聞かれたとしても、彼らとしては一向に構わない。彼らには最初から、無理にでも隠し通すつもりはないし、ゲーム開発やアニメの話だとでも誤魔化せば一般人相手には通じる。そして一般人以外であるならば――ロイという青年を見れば無策で近寄る愚は犯さないだろう。ロイ・アダムスとは相応に名の通った悪魔信仰者、【曙光】でも有数の戦闘員なのだから。


「天力による強化はなし。素の力・・・で怪力自慢の魔物を駆逐する戦闘力か。おまけに、君が推測するにこれが二度目の戦闘で、生まれてからまだ約三日ほど。驚異的な才幹があるのに疑いの余地はない」

「少なくとも映像の中でも、戦闘の経験値をリアルタイムで反映させて成長しているのが分かるわ。それにこの武器を見て。【教団】のものではなさそうだし、【輝夜】か下位組織に引き込まれている可能性がある。捨て置いたら絶対にダメよ、取り返しがつかなくなるわ」


 開かれているノートPCの画面はロイに向けられている。彼は異界番号6とナンバリングされた人工異界で記録した、天使フィフキエルの観測データを共有しているのだ。

 死霊を相手にする現代の救世主が行う戦闘詳細。検知される天力の数値、身体能力、反応速度、可能な限りの全てを数値化して、なおかつ戦闘員として幹部に名を連ねるロイの意見を聞こうとしているのだ。畑違いの分野でまでデカい顔をする気はない、ペトレンコは荒事のプロに意見を求めることを躊躇うような、プライドという言葉の意味を履き違えた女ではなかった。

 ロイは形のいい顎に手を当て、思案しながら言う。


「……フィフキエルから継承した属性と、莫大な天力があるのは間違いない。単独で積極的に雑魚を相手にしていることから、精神性でもフィフキエルほど隙があるわけじゃなさそうだ。脅威度で言えば現時点でもメギニトス様の眷属に並ぶかもしれないな」

「そうよ。影すら踏めない駄作じゃない。これは岩戸さんの作品の中でも間違いなく最高傑作、たとえ偶発的に生まれたに過ぎないものでも、メギニトス様の脅威になるなら排除するべきよ」

「完全に同意見だ。だがどうするんだ? もしも【輝夜】に回収されているなら、アレを狙えば芋づる式に【輝夜】の精鋭が出張って来かねない。いくらメギニトス様が寛容でも、無駄な戦いで戦力を消耗すればお怒りになられるぞ」


 ロイはメギニトスに卓越した戦闘力を買われている青年だ。しかし知恵という面ではペトレンコに遠く及ばないことは自覚しているし、認めている。故にペトレンコの考えを聞くのに抵抗はない。

 ペトレンコは難解な数式を前にした学者のように腕を組む。そうすると薬品の臭いが充満する研究室の空気が漂うのだから、気怠そうにしていても彼女の神経質な気質が滲んでいた。

 彼女はトライ&エラーを厭わない研究者だが、こと今回の任務では失敗は避けねばならない。ぶつけ本番は好みではなく、入念な準備をして計画を立てるのが性に合っている。ペトレンコからしてみると天使の後継は想定外の不確定要素であり、安易な結論は出しかねた。


「……あなたはどうしたらいいと思うの、岩戸さん・・・・


 故にもう一人の同胞に意見を仰いだ。


 彼らの同胞には位座久良アラスターという男がいる。陰険だが技術者としては間違いなくトップクラスに優秀な男であり、能力の高さは自他共に認めるものだ。人造悪魔の製造の基礎理論を打ち立てたという功績からしても、その有能さには疑いの余地がない。

 しかしその基礎理論を発展させ、実用段階まで飛躍させたのは新参の男だ。

 名を多津浪岩戸。単純な能力で言えば位座久良やペトレンコに劣るものの、発想力という点や悪魔的な冷徹さは他の追随を赦さない。彼の胆力を知るペトレンコは岩戸を高く評価しており、自身も研究に行き詰まった時には岩戸に助言を求めたこともあった。


 ノートPCから音声がする。


『頭が固いな、ペトレンコ』


 岩戸は淡白に応じる。彼は別件で多忙を極めているが、事が事だ。絶対の忠誠を捧げている大悪魔の悲願の為にも、同胞の力になるのを厭う男ではなかった。


『メギニトス様の最終目標は魔界への帰還・・・・・・だ。そして帰還後に自らの領地を取り戻し、あの御方を追放した裏切り者共を鏖殺することを悲願となさっておられる。であるなら何を躊躇う?』

「……それは」

「多弁だね、タツナミ。つまり何が言いたいんだ?」

『確かにメギニトス様は可能ならフィフキエルの後継を確保したいと思われているし、私も今後の研究の為に手に入れたいとは思っているが、それらは必須事項ではない。捕獲が困難なら始末すればいいだろう。現場の判断を軽んじて咎めるほど、メギニトス様は狭量ではないはずだ。違うか、アダムス』


 すんなりと言い切られ、ロイは確かにその通りだと頷いた。

 しかしペトレンコは顔を強張らせている。ロイは畑が違うこともあって普段はろくに顔を合わせることもないが、ペトレンコと岩戸は良き隣人である。だからこそ岩戸の思考を辿れていたのだ。

 ペトレンコの醸す緊迫感を、察しているのかいないのか。岩戸は調子を変えないまま、淡白に、しかし冷徹に告げる。


『とはいえ確実を期すなら、そちらの戦力だけでは仕損じる可能性はある。捕獲は無理、始末も失敗となると流石にメギニトス様も苛立ってしまわれるかもしれない。お前たちが始末するべきと判断し、そうしようとするなら確実な手を打つべきだろう』

「確実な手と来たか。是非聞かせてほしいね? 君ほどの男が言う確実な作戦という奴を」

「………」

「………? どうかしたのか、ペトレンコ」


 顔色が悪いのはいつものことだが、その『いつも』に増して青褪めているペトレンコの様子に気づいたロイが様子をうかがう。だがペトレンコは何も言わない。そして岩戸も頓着せず続けた。


『作戦は単純だ。複雑にする必要がない。いいかアダムス、観測結果を見るに現状だとアレの精神性は人間に近い。恐らく素材となった人間と自我は地続きだ。ならアレの性能を制限する枷は容易く用意できる……枷を嵌めてしまえば後は簡単だろう。アダムス、お前と部下で仕留めろ。まさか出来ないとは言わないだろうな?』

「うん、今ならまだ出来る。私一人でも打倒は能う範囲だと断言しよう。だがどうやってアレを仕留めるつもりだ? 既存の人工異界はもうほとんど使い潰してあるし、新しく作って誘い出すにも手間が掛かるだろう。アレだけを狙って誘うのは難しいぞ」

『何を言っている? なぜ誘い出す必要がある』


 冷たい声に、ようやくロイも背筋が凍る感覚を覚えた。

 嫌な予感がする。緊張しているペトレンコの雰囲気も、それを助長した。

 だというのに岩戸だけは平素と変わらぬ、鉄壁の声音で淡々と言った。


『我々にとってメギニトス様の目的以外は些事だ。そしてメギニトス様の目的は、魔界への帰還と報復にこそある。ならこの世界の被害・・・・・・・など度外視してもいい、ということだ』

「なっ――」

『天使共や、世界各地の悪魔、神、妖怪、魔物。それらとの暗黙の了解を守る必要はない。なぜならメギニトス様は直に悲願を遂げられる。永遠に去る世界になど何も気を遣うことはない、思う存分に巻き込んで傷跡を刻んでしまえ。そうすれば、アレは周りの被害に気を取られ満足に性能を発揮できまい』


 それは。岩戸の言っているそれは、表世界と裏世界の境界を、完全に無視して破壊する作戦だった。

 悪魔的な冷酷さだ。考えもしなかった冷徹さだ。

 あらゆる上位者たる人外が、人外間で結んだ協定のようなもの。それは無知な人間の世界を維持することにある。そうすることで天使は無垢な信仰を食べられるし、悪魔は強欲な人間を玩弄できるし、神は各々の趣味嗜好に合った楽しみ方に興じられるのだ。

 太古の時代を終えて、文明が発展したのはその協定があったからだ。それがなくては人間など永遠に石器時代から抜け出せなかったのは間違いない。だというのに、岩戸は協定そのものを破壊してもいいと断じている。なぜなら今後の自分たちには無関係だから、と。


 人間が、人間の世界を、無価値と見做して破壊する。個人で手を出せば一時間としない内に殺されて、しでかした事柄も揉み潰されるのが関の山だ。組織であっても協定を破ったら袋叩きにされ、やはり暴露されたものを消し去られる。人間全体の記憶からもだ。

 だというのに岩戸はその禁忌を恐れていない。メギニトスや自分たちが抜けた後、【曙光】が滅ぼされても知ったことではないと断じている。ロイは声を震わせて言った。


「だ、だが……そんな真似をして、メギニトス様の目的を達してもだ、今度は魔界の領地を取り返したメギニトス様が周囲から攻められてしまう。長期的に見れば愚策だろう。そもそも無理を押してまでアレを始末するのに意味はないはずだ」

『果たしてそうかな』

「な、なに……?」

『悪魔の本質を読み違えているぞ。いいかアダムス、今のメギニトス様を除く全ての悪魔は飢えている。飽きている。新しい娯楽・・・・・を求めているのだ。こちらからそれを提供してやろうというのだ……メギニトス様を攻める気になどならんと断言してやれるぞ。それにアレを始末することには意義がある。放置してしまえば日本におられるメギニトス様に累が及ぶからだ』

「………」


 ロイは言葉を失った。絶句して、ペトレンコを見る。

 すると岩戸に並ぶ賢者、ペトレンコは青い顔のまま呟く。彼女はメギニトスに累が及ぶと言われた理由が理解できているのだ。


「……効果的ね。非の打ち所はないわ。短期的なわたし達の身の危険から目を逸らすなら」


 腐った湖のような目が、ロイを見た。彼女はノートPCに手を置いて、閉じながら続ける。


「ありがとう、岩戸さん。わたしにはなかった発想よ。……やるわよ、アダムス。メギニトス様の悲願成就の為に。異論なんて……ないわよね?」







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る