21,チュートリアルは終わり






 異界・秋葉原の大通り、歩行者天国に耳をろうする轟音が轟いた。


 アスファルトの地面に尨大ぼうだいなクレーターを生み、無数の破片を撒き散らしたのは破城槌とも見紛う大槌である。単眼の巨人が上半身の筋肉を大きく隆起させ、渾身の一打を放ったのだ。

 規格外の背丈に載せられた膂力は怪物的。回避したはいいものの、巻き起こる衝撃波に圧されエヒムの体がふわりと浮いた。直後、アスファルトの破片がその身を細かく打撃する。

 至近で手榴弾が炸裂したに等しい破片の破壊力は、常人ならズタズタに肉体を引き裂かれて即死していただろう。だが、エヒムは眼球にも破片の直撃を受けたというのに目蓋を閉ざしていない。失明はおろか傷一つすら負っておらず一瞬視界が塞がれた程度だ。

 理外の頑強さは天使由来のものなのか。エヒムは自らを支配した『言霊』に心を湧き立たせる。


「ぃゃあははッ」


 退避した先に間断なく振り下ろされてくる大槌は、さながら大地を穿つ隕石の雨。踊るようにひらりひらりと身を躱すエヒムに業を煮やしたのか、巨人たちの一体が地震のような地響きと共に背後から迫り、力任せに蹴り飛ばそうと塔のような脚で蹴撃を繰り出す。果たして巨人たちに囲まれていたエヒムは躱しきれず、無数に立ち並ぶビルまで吹き飛ばされてしまった。


「いひひひひ!」


 エヒムを蹴り飛ばした巨人が蹲る。蹴り足を抑え、苦痛に歪む|貌《かお》に脂汗を浮かべた。その脚が凄まじい力で抉り取られたかのように、足首の半ばまでもが喪失していたのだ。

 激突したビルの壁面に埋まったエヒムが、堪えきれずに哄笑する。イキってるみたいでダサいと頭の片隅で思うも、未体験の喜悦によってか狂笑を止められなかった。


「やぁっははははは――ッ!」


 動く。動く。イメージ通りに、思った以上に、体が己の想像を超えて動く。

 能わぬことなど無いという全能感、己を壊せるものなど無いという無敵感、この体が具える才能に身を任せる爽快感。それらが混ざり合い筆舌に尽くし難い快楽をエヒムは味わった。

 己を蹴り飛ばさんとした巨人の脚を、神速で振るった如意棒で抉ったはいいものの、接触したことで生じた慣性に吹き飛ばされはした。アスファルトの破片も受けた。ビルに激突して半壊させた。普通ならそのいずれであっても即死し挽き肉になるのが道理というのに、体は一切の不調を訴えない。むしろ蝿が止まったかのような感覚しか覚えず、少々擽ったいぐらいだ。


 なんだこれは――なんなんだこれは。


 100倍した勇敢な心は恐怖を駆逐する。膨れ上がった蛮勇が戦闘方法を模索する不安を撲滅する。残るのは敵と定めたモノを屠らんとする目的意識と、才能に体を明け渡す興奮だけだった。

 ビルの瓦礫を蹴散らし、エヒムは巨人の群れ目掛けて飛びかかった。横薙ぎにされる大槌が唸りを上げて迫るのに、如意棒を軽く添えることで起点とし、曲芸じみた体捌きで体を浮かせる。大槌が伴う破滅的な慣性を完璧に受け流したのだ。大槌を振るったことで隙を晒す巨人と目が合う。――唖然とする目を見て、感情があるのかと意外の念に駆られるも。


 無慈悲。


 エヒムは容赦なく虚空で如意棒を伸長し、腕を突き出すことで腕力を乗せ、単眼そのものを突き破ることで殺害する。頭蓋の内側から浸透するエヒムの天力の余波を受けたことで、尋常の手段では死なぬはずの死霊巨人は即死して、地面に倒れるまでに肉体が消滅した。


 ――浄化されたのだ。エヒムが天使から継承した属性の一つ、『浄化』は自らが敵と定めたモノを一方的に不浄と定義して、理不尽な消滅を強要するのである。


 着地の隙を狙い左右から大槌が叩きつけられる。如意棒を短縮し、つっかえ棒のようにして挟むことで、サンドイッチの具のように潰されるのを防ぐ。エヒムの両手を通じた衝撃は地面にも伝わり足元へ亀裂を刻むも、エヒムには子供に叩かれた程度の感覚しかなかった。

 腕力の差はまさに大人と子供。

 手の中でくるりと旋回させた如意棒で、左右の大槌をほぼ同時に弾き返すと二体の巨人がたたらを踏んだ。右の巨人は万歳し、左の巨人は地面に大槌を埋められている。桁外れの力で弾かれたからだろう――隙だらけだ。伸長させた如意棒を素早く回転させるや、まるで粘土細工を引き千切るような容易さで、左右の巨人の下半身と上半身を泣き別れさせてしまう。


「ヤァハハハ!」


 笑いが止まらない。楽しくて堪らない。身体能力からだと如意棒しか使わない縛りプレイでも、未知の才能と恐怖のない心は初見プレイ同様の純粋な喜悦を齎してくれる。

 ゲームだ。これはゲームなのだ。勝利が確定した時に見られるムービーの一幕。神作画の上等なバトルシーンを垂れ流す、雑な爽快感と優越感を味わうためだけのボーナスなのである。

 油断? 慢心? そんなものはない。感情があるモノを殺すことへの躊躇? 忌避感? ないわけがないだろう。勇気を持って殺害に至る工程を辿っているのだ、情けない泣き言なんか彼方にまで吹き飛んでしまっている。『言霊』による精神操作が消えた後、自分が何をどう思うかなんて今はどうでもいい。愉しいのだ、楽しいのである、なら今はとことんまでたのしむだけだ。


 エヒムは笑いながら巨人の群れを蹂躙する。慄然として鳥肌を立たせるどこかの女の視線を感じながらも、関係ないと切り捨ててひたすらにチュートリアルに勤しんだ。


 鮮やかなるかな職場体験。縦横無尽に振るう如意棒が自身を叩き潰さんとする大槌を弾き、弾く。拳打、蹴撃、悉くを羽毛を払うように捌き切り、全ての巨人を一掃した。

 後に残るのは無残な戦場跡と化した歩行者天国。

 目につく範囲のビルは半壊し、巨人の攻撃が齎した破壊の痕跡。

 ミサイルでも降ってきたかのような光景は、異界のそれであっても背筋が凍る。


(――何あれ。フィフキエルの後継……とんでもない化け物じゃない……!)


 モニター越しにその光景を見ていたペトレンコは、総毛立ち戦慄していた。


 生後一週間も経っていない存在とは思えない。これで経験の浅いひよっこだと? 馬鹿を言うな。これは規格外の化け物である。通常の尺度で図ろうとするほうが間違っている。

 ――アガーフィヤ・ドミトリエヴナ・ペトレンコは賢者であった。人間という大きな括りの中で全体を見渡しても、おそらく十指に入るほどの叡智の持ち主である。だからこそ【曙光】でも若くして幹部の席を与えられているのだ。そして、ペトレンコは戦闘員ではない。

 故に彼女は自らの認識が甘かったことを即座に認められた。あれは片手間に相手をしていい存在ではない。罷り間違っても無意味に戦闘経験を積ませてやってはならないと判断を下せた。


 初戦で、徹底的に、全力で叩き潰さねばならない類いの天災的天才ディザスター・ジーニアス。生みの親であるフィフキエルを凌駕するのも時間の問題だと直感的に理解した。


「――岩戸さん、アレが救世主の再来ってわけ? 冗談キツイわよ。……ボーニャ、引き上げるわ」

『……いいのカ?』


 暗黒の中、ペトレンコは即断で撤収を決める。すると撤収していいのかと言いたげに足元の白い犬が首を傾げると、彼女は疲れたように言い聞かせた。


「異界全体のマモはわたしが掌握している。その全部を結晶化して持ち帰るのにはまだ時間がかかるのは確かよ。けれど、その時間をかけてフィフキエルの後継に経験を積ませたら駄目なの。この異界番号6を放棄してでも撤退し、ロイと協力して当たらないと仕損じる。言うことを聞きなさい。次にアレと出会った時、余計に成長したアレとボーニャも事を構えたくないでしょう?」

『……アガーシャが言うこと、間違いナイ! 従ウ! 従ウ!』

「そ。なら早くなさい。悠長にしていたら……わたし達が見つかってしまうかもしれないわ」


 救世主の属性を有する天使だなんてデタラメな存在と、正面切って対峙するなんて御免だ。ペトレンコは内心そう毒吐き、席を蹴って立ち上がると白衣を翻す。

 ――そうして【曙光】の女幹部は秋葉原の異界から撤退していった。

 どのみち手元には禄な戦力がないのだ。見つかったら戦闘力のないペトレンコはいっかんの終わりである。この不意の遭遇が幸運となるか、不幸に転ぶかは自分たち次第だが、フィフキエルの後継の脅威を早い段階で認識できたことだけは幸いだろう。


「……? なんだ、終わりか?」


 巨人の掃討を終えたエヒムは、再び魔物が現れないかと辺りを見渡した。

 しかし何も現れない。拍子抜けするほどの沈黙が辺りに落ちている。

 戦闘終了と認識してしまったからか、『言霊』の効力が切れて本来の精神状態に回帰していく。エヒムは麻薬じみて爽快だった戦いの愉悦を、なるべく忘れるために頭を振った。

 名残を惜しむ。沈静化した頭で、自らが振るった暴力を回顧する。しかし思いの外なんにも感じるものはなかった。てっきり相手を殺した感触に、罪悪感や気持ち悪さを覚えるかと思っていたのだが……特になんてことはない。相手が明らかに化け物だったからか?


「打ち止めっぽいですねぇー、エヒムさん」

「ん……刀娘。挨拶は済んだんか?」

「ええ、アタシ達が先に来たんだから帰ってって言ったら、意外と素直に引いてくれましたよ」


 刀娘は抜身の大太刀を虚空に放り、真っ逆さまに落ちてきた大太刀を鞘で受け止める形で納刀する。スタイリッシュな戦闘態勢の解除に感心して問うと、少女はさらりと第三者の退場を告げた。


「打ち止めって言ったよな。それってどういうことだ?」

「ここの製作者さんがですね、どういうつもりかは知りませんけど、たった今ここからサヨナラしたみたいなんです。なんで分かるのってぇーのは、まあ勘ですかねぇー」

「勘か」

「はい、勘です」

「勘なら仕方ないな。俺もそんな気がしてるし」


 あやふやで確実性に欠ける物言いだが、エヒムも誰かに見られているのは感じていた。その視線と気配が消えている、だから刀娘の言うことは本当だと直感的に判じられた。

 そういう曖昧な勘はあまり信じないたちなのだが、疑って調査しようという気にはならない。製作者がいないのなら長居するだけ無駄だろう。ならさっさと異界を消してしまえ。エヒムがそう結論つけているのを尻目に、刀娘は腹の中で笑っていた。


アタシみたいに・・・・・・・気配探知のスキルがあるわけでもないでしょーに。本当にただの勘でいないって確信してるなら……ホント、凄すぎて好きになっちゃいますよ、エヒムさん)


 視線に熱を込めてしまいそうだ。今まで他人に懐いたことのない好感を覚えてしまいそうである。

 刀娘は天使の環を消し黒髪黒目に戻るエヒムが、自身から血の臭いを嗅ぎ取る前に、誤魔化し半分で畳み掛けるように忠告しておいた。


「ちなみに魔物……モンスターが打ち止めになったって根拠なんですけど、アタシが思うにモンスターがフィールドにポップするのを、製作者サイドが手動で操作してるっぽいからなんです。あとここには普通の異界にならあるはずの法則変異が起こってないってぇのもありますかね。普通こんなにピタッとモンスターが出てこなくなったり、アタシ達の目の前にしかモンスターが出てこないってことはないんですよ。天然物の異界はこんなに生温くないんで……これが普通だって思わないでくださいね?」

「了解。ちなみに法則変異ってのは何か聞いても?」

「はい。えーと、例えば空気が可燃性ガスだったり、体を動かす脳内コントローラーがバグって操作が覚束なくなるとか、重力が反転して空に落ちていくのがスタンダードだったりとか、外の世界じゃありえない現象が起こってるのが法則変異って奴です。アタシはそういうのに影響され辛いタイプですし、エヒムさんもどうとでも対応できるでしょうけどね」


 ほら。知らない言葉とか交えたら、真面目なエヒムさんはすぐ食いついてくれる。刀娘は内心で得意満面になった。これでもヒトを見る目と誤魔化し方の選定は得意なのである。

 あとは楽な仕事だ。異界を消して終わりである。エヒムには難易度の低すぎるチュートリアルだったかもしれないが、刀娘的には文句の付け所のない体験だったと言えた。


「それじゃ、あとはアタシに任せて先に上がっていいですよ、エヒムさん」


 刀娘にそう言われるも、エヒムとしては頷けない。新人とはいえこちらは正社員、刀娘は先輩とはいえバイトなのだ。バイトの子を残して先に帰るとか、普通に考えて有り得ないだろう。

 エヒムが拒否して残ろうとするのを、見透かしたように目を細めて刀娘は続けた。


「エヒムさんはまだスマートな異界の消し方分かんないでしょ? いーから先に帰ってくださいって。なるべく外界に影響が出ない感じにしたり、ここに捕まっちゃってる人がいたら無事に帰してあげたりとかするのに、エヒムさんがいると邪魔なんです」

「じゃ、邪魔ときましたか……」

「なんたってエヒムさんは天使ですし? 位階が高いヒトはいるだけでここの容量食ってるんで、まあ邪魔なんですよねぇ。安心してくださいよ、今度異界の消し方とかレクチャーしてあげます。なので先に帰ってアグラカトラ様に仕事完了って報告しといてください」

「……分かった。確かに現場経験のない奴は邪魔にしかならん時もあるわな。『言霊』でシニヤス荘に跳んでもいい感じ?」

「いいですよ。あ、帰ったらアグラカトラ様に、アタシが虫けら始末するのに頑張ってたって口添えしてくださいね。バイト代弾んでくれるかもなんで」

「虫けら……? モンスターのことか?」

「虫けらでいいですよあんなの。一言一句間違えないでくださいね」

「はいはい、了解しましたよ。今回の礼はまた今度する。それじゃ、ありがとうな」


 お礼、期待してますねー、と手を振った刀娘に黙礼し、エヒムは空間転移してシニヤス荘へと帰宅した。便利な力だなぁと少し羨ましく思いながらも、刀娘は三枚の御札を形成する。


「さって。ついでに余ってるマモもできるだけ結晶化して帰ろっと」









  †  †  †  †  †  †  †  †









 あらぁー。とアグラカトラは悩ましげに顔を顰めた。


 流石は花――改めエヒムといったところか、1日もしない内に異界を攻略してくれたのはいいが、それ以外には概ねからぬ要素が並んでいた。

 人為的に作成された異界。

 途中で離脱したらしい製作者。

 おまけに刀娘の言う『虫けら』とかいうもの。

 赤毛の女神は一礼して退室して行った元人間を見送った後、深刻そうな貌で――しかし楽しい遊戯に興じるかのような貌で――呟く。


「虫けらってのは月の虫じゃな。刀娘め、なんぼなんでも手が早すぎ……バレたら【輝夜】にどう言い訳したらいいんよ」


 刀娘の言い方からして目撃者はいなさそうだし、刀娘に限って他者の気配を読めないとは思えないから露見する心配はない。だからそれはいいとしてだ。


「異界を作ったって奴……【輝夜】じゃなさそうやしなぁ。消去法的に【曙光】か? んなら色んなとこで辻褄合いそうやん。ハッハハ、こいつぁ楽しくなりそうじゃんね……」


 ごろりと畳の上に寝転んで、アグラカトラは口元を緩める。

 時の果てとも言える現代、もはや活発に動く神は自分だけ。だがまだまだ楽しめそうなことはたくさんあるし、自分だけで楽しむのも勿体ない。

 嘆くように、寂しがるように、アグラカトラは柔和に呟いた。


「――現代いいとこ皆もおいで、ってね。こりゃあたしが楽しんでるとこ見せつけて、出てくるように促したらんとダメかなぁ」


 プレイヤーが一人しかいないのに、覇権を獲っても面白くない。そもそも、実は覇権にもあんまり興味はない。ゲームのやりこみ要素に手を出してるだけといった感覚だ。

 くそったれな浮気野郎を告発しただけで封印されて。皆に置き去りにされてしまった。ゴスペルとかいう人間に封印を解かれ、その目的を聞いて楽しそうだから味方になってやった。

 やはり、何事も楽しんだ者勝ちだ。

 もっと楽しいことないかなぁ。あったらいいなぁ。アグラカトラは頭を掻いて知恵を絞るも。


「ダメだ。あたしにその手の発想力はない。誰かぁー、あたしに楽しい遊びを教えてくれよぉ」


 自分の会社ギルドを国内最大手にするのは楽しそうではある。ゴスペルの目的に協力してやるのも本当に楽しめそうだ。だが――どこか物足りない。


「――ま。今はいいわ。コツコツやってりゃその内『機』はくる。今回は、そうさなぁ……」


 アグラカトラは起き上がり、テレビゲームのコントローラーを握った。対戦相手が揃うのを待つ待機時間が終わったのだ。プレイを開始しながら、女神は何気なく独り言に結びをつける。


「【曙光】はエヒムに絡みたそうやし、いい具合に見合いの席セッティングしてやるか」


 エヒムになんかあったら可哀想じゃし、信綱の爺でも呼んでやろかねぇ。


 女神はそう呟いたきり、FPSのオンライン対戦に没頭した。








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