第二章「TOKYO危機」

18,ファイト・イズ・マネー!






『さっき起きました。アタシ今日暇だし今からでいいです。秋葉原の喫茶店LaLaイオン前で待ち合わせお願いします!』


 LaLaイオン。家具屋坂さんに指定された合流地点は、スマホで検索したらすぐに分かった。

 大人としての面子があるし、誘った側でもあるのだから家具屋坂さんを待たせるわけにはいかない。俺が先について待っておいた方が格好がいいだろう。

 というわけで一足先に件の喫茶店へ到着した。何もせず突っ立っておくのもアレだし、スマホを開いて推しのVtuberのチャンネルを開いて配信予定を確かめておこう。


「こんちわー! お姉さんもしかして暇なのー? 暇なら俺達と遊ぼーぜ!」


 お、朝っぱらからナンパか? こんなご時世に随分と気合の入った野郎がいやがるもんだ。

 まあ俺には関係ない。推しのチャンネルやツブヤイチャッターにも配信予定は立っていないな。なら推しが所属してる箱全体を軽くさらってみて……お、あった。今日は後輩とコラボするのか。

 あー、でも13時からやんのかよ。それじゃリアルタイムで追えるか分からんな。仕方ない、本当はリアルタイムで見たいがアーカイブで追うのも視野に入れておくとしよう。

 ……ん? 新しいグッズが出るのか。買いだな。今の俺ん家は殺風景だし、前の家だとやってなかったけど推しのグッズで満たすのもいいかもしれん。私生活はオタク全開で暮らしていこう。


「ちょ、ちょっとお姉さーん? 無視はひどいって。もしもーし!」

「……ん?」


 目の前から声がして不審に思い顔を上げると、そこには二人の男がいた。遊んでそうな大学生ぐらいの男どもだ。明るく染色した髪と着崩した衣服とも相俟って、元気そうな印象を受ける。

 彼らは困ったような半笑いの表情で俺の方を見ていた。

 何だコイツらと半眼で見詰め、左右を見渡してみたりする。俺の周りには特に人はおらず、男どもの視線の向きから事態を認識した俺は半信半疑で声を上げた。


「……もしかして、俺に声かけてるんですか?」

「そうそう! やっとこっち見てくれた!」

「……? おい、このヒト今、俺って言ったぞ……?」


 ポリシーを守って敬語で訊ねる。相手が舐めた口を利くクソガキどもでも、親しくもない相手に崩した口調は使わない。人によって態度を変えるなんて、そっちの方がダサいだろう。

 すると片割れの男は嬉しそうに絡んでくるが、もう一方は耳聡く俺の一人称に眉を顰めた。が、相方はそれを慌てて窘めている。


「やめろって。ダチでもねぇのにいきなりツッコむなよ。気ぃ悪くされたらどうすんだ」

「お、おう……」

「いやぁゴメンねお姉さん! コイツって空気読めなくてさー! それよりこんなとこで突っ立ってどうしたの? もしよかったらオレらとどっか遊びに行かねぇー?」


 よく気がつく奴なのか、ナンパしてきたのにこちらを不快にさせないように言ってくる。俺は苦笑させられた。漫画の影響で、昔はこういう手合いは一纏めにして気に食わんと思っていたが、今は行動的な奴だなと偏見なしに見れるようになっている。軽薄な野郎は良くも悪くも態度は軽いのだ。タチの悪い一部の奴が目立っているだけで、喧嘩腰で応じるような相手じゃない。

 あと、俺はお姉さんじゃない、お兄さんだ。悲しい勘違いをしている奴らの認識を正してやる義理はないが、今のところ悪印象はないしきっぱりと言っておこう。


「悪いですが、今待ち合わせてる子がいましてね。その子には大事な用に付き合ってもらうんです。貴方達に付き合う暇はありません」

「あ、そうなんスね。それならしゃあないっスわ。先約があるのに声かけてごめんねぇー? オレら邪魔になんねぇようにもう行くっスわ。じゃあねー、お姉さん! また今度遊ぼうよ!」


 はっきりと断ると、男はツレを伴ってさっさと立ち去った。

 無理矢理に因縁をつけ、強引に絡もうとするようなDQNもいるにはいるが、大多数はそうではない。むしろ断られたら時間も有限なのだし、さっさと次に行こうとするものである。

 コイツらはそうした点を心得ている奴らだったのだろう。立ち去る様はあっさりとしていて、こちらに不快感を与えてはいかない。人付き合いの上手い本当の陽キャって感じだ。

 女と思われたのはアレだが、仕方ないとは思う。苦笑いしたままヒラヒラと手を振ってやると、野郎どもは嬉しそうに手をブンブン振り返してきた。俺が男だと知ったらどう思うんかな。

 いやまあ、性別ないんだけどね、俺。


「――うわぁ。エヒムさん、めっちゃナンパされてるじゃん」


 すると今の場面を目撃したのか、聞き知った声で話しかけられる。

 振り向くとそこには私服姿の家具屋坂さんがいた。

 イエローのブラウスで華やかさと品の良さを添え、黒いロングスカートでそれを際立たせている。革のロングブーツを履いて、物干し竿並に長い竹刀袋を背負った彼女は、一房の黄色いメッシュを前に垂らして残りの黒髪をアップにして纏めていた。

 早速とばかりに新しい俺の名前を口にした辺りに律儀さを感じつつ、俺はまず会釈をする。


「おはようございます、家具屋坂さん。いきなり呼びつけるような真似をしてすみません」

「あーあーいいですよ別に。あとその敬語もやめて、名前で呼んでくれると助かります。名字、そんなに好きじゃないんで」

「ん……んー……よし、分かった。考えてみたら長い付き合いになるかもだしな。すっと堅苦しくしたまま通すのもなんか違うか。そんじゃ、改めてよろしく、刀娘さん」

「さん付けも要りませんって」


 苦笑しながら言ってくる家具屋坂さん、改め刀娘。ポリシー的には今まで通りの態度でいきたいところだが、そう言ってくる相手にまで丁寧にしていたら却って嫌味になってしまう。仕方なく口調を崩したが、それでもまだ不服らしく、刀娘はめげずに訂正してきた。


「それで、仕事の話ってなんですか? アタシってバイトだし、収入が入るから誘われる分にはウェルカムなんですけど、肝心の仕事内容聞いてないんですよねぇー」

「そうなんか。んじゃ、俺が知ってること話すね」

「その前に【聖領域】張ってもらっていいですか? 一般人に聞かれてもゲームの話だってシラを切れますけど、いちいち変な目で見られるのも嫌ですし」

「了解。ほれ」


 言われるがまま【聖領域】を展開する。

 刀娘まで俺を認識できなくなるんじゃないかと、結界を張ってから気づいたが、どうやら刀娘は【聖領域】の影響を受けなかったらしい。こちらを見る視線にブレはなかった。はて、どんなカラクリだ? まあ今はいいか。後で聞こう。

 それより秋葉原にある喫茶店を合流場所にしたもんだから、てっきり知っているものと思っていたが違うようだ。危ない仕事をバイトと言い切る刀娘に思うところはあるものの、踏み込んでいい話でもなかろうと今はスルーして、アグラカトラから聞いた話を伝える。

 もう少し深い仲になったら、刀娘が退魔師として【曼荼羅】で働く理由も話してくれるだろうか。案外こちらの気にし過ぎで、訊ねたら気軽に話してくれるかもしれない。その辺を見極めよう。


「――なる。把握しました。それなら三日と言わず今日の内にサクッと終わらせましょう、時間掛けてたら厄介なことになりかねませんしね」

「へぇ……? 異界だから厄介、って判断したふうでもないね。なんで今日中に片ぁつけるべきって思ったか聞いていいか?」


 業界未経験のド素人としては、指導役の判断理由は今後のために是非とも聞いておきたい。

 俺が訊ねると、刀娘は真面目な顔で言った。


「経験則って奴? ですねぇ。お家柄、そういうのに勘が働くっていうか、放置決め込んでもいい奴と悪い奴の見分けがつくんです。今回のはダメな奴で、これこれこういう要素が混じって自然発生してない異界は、なるべく早期に片付けるのが吉って感じです。最低でも威力偵察カマして、どの程度の難度なのか把握しておきたいんですよ。アタシ達で無理そうなら応援呼びますし」

「なるほど」


 相槌を打ったはいいが、感覚的な話しすぎてあまり参考にならない。俺なりに要点を纏めると、自然発生してない異界は臭いって感じか。肩の上のフィフを見ると、彼女は何も言わずにいる。

 フィフは二人きりにならないと喋らない傾向にあるらしい。なんでだ? 疑問に思ったのが伝わったのか、フィフは耳元に口を寄せて小声で囁いてくる。


「(わたくしはあなたの頭脳なのよ、エヒム。わたくしがどんな用途の使い魔なのかを知られたら、わたくしを潰せばエヒムはカモになると思われかねないでしょう? この小娘には知られてもいいかもしれないけど、用心するに越したことはないわ。どこから話が漏れるか分からないのだし、誰を信用するかはわたくしが判断するから、エヒムは余計なことを言わないでね)」


 気にしすぎだろと思うが、そういうことなら納得しておこう。懸念事項を伝えられて無視するのは、前の会社のクソハゲみたいで嫌だ。事が起こったら責任転嫁をするような奴だからだ。

 それにフィフは本当に俺より頭が良い。ゴスペルはフィフを頭の良い馬鹿だと言っていたが、本物の天使フィフキエルではないからか馬鹿っぽくはない。説得力があるし、やはり基本的に言うことを聞いておいた方が賢明だろう。前より今の俺の方が迂闊っぽいしな。

 しっかし、刀娘も刀娘でサラッとお家柄なんて言っている。隠したいわけでもなさそうだし、今度暇な時に踏み込んでみるのも悪くないかもしれない。


「目の前でこそこそ話さないでくれますー?」

「ああ、ごめん。それじゃあ早速行動に移りたいんやけど。どうやって異界なんか探すんだ?」


 ジト目で咎めてくる刀娘に謝って、質問して話を逸らす。

 刀娘はすんなり誤魔化されてくれて、「んー……」と唸りながら辺りを見渡した。


「とりあえず適当に歩いてたら、澱んでるマモの気配がするはずなんで、そこらへんから異界に侵入する感じですかねぇ。とりま百聞は一見に如かずってことで付いてきてください」

「お、おう……随分フワッとしてんな」

「仕方ないでしょー。アタシって体系だった説明とか苦手なんですぅー」


 そういうのは困る。マニュアルが全てとは言わないが、ノウハウを普遍的な型に落とし込めないとできる奴だけができる、少数精鋭的な弱小企業の域を出られないだろう。アグラカトラ――社長は大手に成り上がるつもりみたいなのだし、明確に説明できる状態でないと後続になる新入社員が苦労しかねない。今回はもう仕方ないし、俺の体験を可能な限り言語化できるようにしよう。


「それじゃ後は歩きながら話しましょ」

「勉強させてもらいます、先輩」

「ちょっ、そういうのやめてくださいって。……あっ、そうだ!」


 歩き出した刀娘の後に続きながら揶揄からかうと、少女は快活な笑顔を浮かべる。そしてすぐに思い出したような声を上げると、懐からスマホを取り出して俺に歩調を合わせる。

 なんだと思う間もなく、肩を寄せてきた刀娘の香りが鼻孔を擽った。スマホを翳してピースサインを作った笑顔の刀娘が、パシャリとシャッター音を立てて写真を撮った。


「へへぇー。超絶イケメンとツーショット! 友達に自慢できるっ!」

「……おいおい」

「昨日約束したでしょー? エヒムさんもそろそろ自分の顔が世界遺産級だって自覚してた方がいいですよ! でないといざナンパされた時とか、いつかあしらい方ミスっちゃうかもだし」

「ナンパなぁ。一回二回はまだ流せるけど、流石に何度もされるのはなぁ。っていうか、刀娘には俺が男に見えるんだろ?」

「ですです」

「んで、男には女に見えると。難儀なもんだよ、この顔」

「女の人に声掛けられるのは役得ぐらいに思えば良いんじゃないですか?」

「それがな……女にも男にも、性的魅力を一切感じないんだよな。三大欲求の一つが明らかに欠けてんだわ。なってみたら分かるだろうけど、実際かなり妙な気分だぞ、これ」

「そういうもんです? アタシには分かんないかなぁー」


 十歳以上も離れた少女と、こうして肩を並べて歩くのも妙な気分だ。しかも刀娘はかなり可愛いし、普通に話せる雰囲気の持ち主である。男としての感覚があるなら今頃大喜びしていたはずだ。

 その場合見苦しい態度になるかもしれないから、平常心を保てる今の状態の方がいいのだろう。こんなに年の差のある女の子を相手にデレデレと鼻の下を伸ばしていたら、俺の体面は死んだも同然のものになってしまいかねない。何事も一長一短だなと思った。

 ――と、歩き出して数分としない内に、刀娘がぴたりと足を止めた。

 釣られて立ち止まった俺が刀娘の様子をうかがい、彼女の視線の向き先を辿ると、そこには先程俺に声を掛けてきた二人組の男たちがいるではないか。


「……エヒムさん。あれ、見てください」

「ん……? ああ、アイツらか」

「どう思います?」


 どうって、何が? 二人は普通に歩いているだけに見えるが……。

 しかし何も考えずに答えるのもやる気に欠けた態度だ。一応観察してみる。


 二人は何事かを駄弁りながら、特に目的もなく街を散策しているようだ。歩行スピードは遅いが、やはり変わったところは見受けられない。こりゃお手上げかなと思いかけて――気づく。

 エヒムの頭脳が些細な違和感を察知したのだ。俺はその閃きを後から拾っただけである。なんとも言えない奇妙な閃きの感覚を、俺は能う範囲で噛み砕き言葉として出力した。


「……誘われてる・・・・・?」

「ええ。ラッキーですね、アイツら異界の側から・・・・・・引き寄せられてるみたいです。後を追えば自然と案内人になってくれますよ」


 朗らかな空気を一掃し、真剣な表情となった刀娘の瞳に冷酷な光が灯った。

 年頃の女の子が極めて物騒な、暴力の気配を纏うのに面食らいながらも、俺も頷いておいた。


 あの二人の男は、目が虚ろなのだ。前を見ているようで、何も見ていない。だというのに目的地が定まっているかのように進行方向に迷いもなく、どんどん人気がない方へと進んでいる。

 加えて言うと、薄っすらとだが臭う・・のだ。強烈な臭気の片鱗とでもいうべきか、退廃的な未知の臭いが漂ってきている。しかも臭いとは言っても肉体の具える五感ではなく、もっと深いところにある根源的な感覚――とでも言うべきもので嗅ぎ取ったものだ。


「エヒムさん、その感覚は覚えていた方が良いですよ。これがマモの澱み、異界の気配です」

「……了解。なるほど確かに、言語化は難しいな、これ」

「でしょ?」


 他人に理解できるように表現する方法を考えておこう。今日の課題だなと思いつつ、二人の男の後を追う。するとビルとビルの隙間に男達が入って行ったのを見た途端、刀娘が駆け出して瞬時に男達へ接近するなり、その長大な竹刀袋で男達の頭部を一撃ずつ叩いた。

 容赦ない打撃で昏倒する男達。刀娘の後に続いていた俺は、つい苦言を呈してしまった。


「おーい……手加減してやれよ。頭殴るなんて、後遺症があったらどうするんだ」

「これが一番手っ取り早いし、安全で確実なんですよ。放っておいたら確実に死ぬんだし、むしろ助けられたんだから感謝してほしいですよ、まったく」


 ふぅ、と嘆息しながら竹刀袋から大太刀を取り出した刀娘が、すらりと白刃を抜き放つ。

 大太刀の柄と鞘の真ん中を掴み、腰を回転させながら一息に抜刀する様は、傍から見ていると惚れ惚れするほど様になっている。だが見惚れている場合ではない、特徴的な紋様をびっしりと刻まれた刀身を掲げた刀娘が、その場を一閃したのだ。

 すると空間そのものが断裂する。何かのゲームで見た、異次元に繋がっていそうな虚空の傷だ。


「すんなり異界は見つけられましたね。早速行きましょう」

「お、おう……何か気をつけとくべきもんとか、スローガンみたいなのはあったりする?」

「ありますよ。アタシの後に続けて言ってください。【曼荼羅】の神様の有り難いお言葉ですから」

「わ、分かった」

「それじゃいきますよ――『ファイト・イズ・マネー! 金のために戦え!』……エヒムさん?」


 まるで躊躇する様子もなく、刀娘ははっきりと言い放った。……凄まじい神のお言葉だ。資本主義の女神と呼んでやろうか。ドン引きである。

 早く言えと圧力を掛けてくる刀娘に、俺は半笑いになりつつ応えた。


「ファイト・イズ・マネー。金のために戦え」

「パッションが足りないけど、まあいいです。行きますよ!」

「お、おう」


 言うなり異界の入り口に飛び込んでいく刀娘を追って、俺も如意棒を抜きつつ異界に突入した。

 なんだか緊張感が抜けるなぁ……と、若干のやり辛さを感じながら。








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