15,新しい朝が来た






 三階建てのシニヤス荘には12部屋があって、俺に与えられたのは二階の一番奥のものだ。

 2−5号室。マンションやアパートだと、4と9の数字は不吉として飛ばすことになっているが、それはこのシニヤス荘でも例外ではなかったらしい。

 鍵を開けて中に入ると、線香を焚いたような匂いがした。

 子供の頃に嗅いだ、爺ちゃんの家みたいな匂いだ。無人の静けさが横たわる部屋に上がると、精神的な疲労からすぐ畳の上で大の字になって、見慣れない板張りの天井を見上げる。


「あら。みすぼらしい部屋ね。曲がりなりにも神を名乗る不心得者のくせに、住処を飾り付ける見栄すらないのかしら。貧乏くさくって嫌なところね」


 俺の肩から飛び降りていたフィフは、どうやらこの部屋が気に食わないらしい。不満を隠しもせずに吐き出して、ぷりぷりと怒っている。清貧を推奨する神書の天使とも思えない発言だった。

 だが揚げ足を取るようにツッコミを入れる気にはならない。何かをする気になれないぐらい、なんだか疲れてしまっている。激動過ぎる一日に俺の精神は参っていたようだ。

 しかしフィフの言う通り、部屋の中には何もない。引っ越しのために荷物を持ってきていたわけでもないのだから当然だが、これでは生活感がなさすぎて寛げる気がしなかった。


「……そうだな。『言霊』で色んなもん作ってみるか」

「天力を使うの? 全快したわけじゃないのだから、多用しない方がいいと思うのだけど」

「つってもこのまんまじゃ俺の気が休まんないんだよ。出掛ける気分にもなれねぇし、ちょっとぐらいイイだろ? 不必要なもんまで作る気はねぇしな」

「うーん……まあ、それなら仕方ないわね」


 俺はズブのド素人だ。俺なんかが持っていても上手くアウトプットできない大量の知識を、天使フィフキエルの人格を元にしたフィフが引き出して、否と言ったのなら素直に従うつもりでいた。

 だから強く反対されたら諦めていたが、知恵袋がゴーサインを出してくれたので上体を起こす。部屋の間取りはリビング・キッチンが八畳、ダイニングが六畳で玄関に隣接している。トイレ、洗面台、浴室はちゃんと分けられていて寝室が四畳半ってところだ。

 最初に部屋に上がった際にチラ見した程度で、完璧に間取りを把握している自分の脳が立体的なイメージを描き出し、俺は若干の薄気味悪さを覚えつつ家具やらを設置していった。


「えー……『寝室にベッド、エアコン。窓とガラスドアにカーテン。リビングに座卓とソファー、液晶ディスプレイ。ダイニングにテーブルと椅子二つを設置しろ』……後は追々だな」


 言いつつ、なんか足りねぇなと思って頭を捻る。

 虚空を見詰めたままだが、天力が毛筋の先ほどの少量が消費され、部屋の中に次々と家具が現れるのを知覚していた。元の俺の部屋にあったのと同じものや、以前店頭で見て欲しいなと思っていたものなどだ。だがこれだけではまだ俺らしい家じゃない。

 何が足りない? ……ああ、そうだ。こういう気分の時にこそ、必要なものがあるだろう。


「『寝室にデスクとクライニングチェア、最新のデスクトップパソコン一式。ネット環境を設置。あとはビールと枝豆も』」

「お馬鹿。そういうことするなら一括してやりなさい。天力を多用して力を乱発したら、あなたを探す輩に感知されかねないのよ。潜伏する時の基本じゃない、力と生体反応を誤魔化すのは」

「んっ……そうなのか。すまん、それとありがとう。忠告助かるよ」


 こういうことをすると、金なんか要らない気もしてくるが、その点に関しては自戒した方が良い。呆れ混じりのフィフの忠告へ素直に感謝すると、力の行使を自重する方向で意思を固めた。

 しかしふと思った。そういえば『言霊』で作ったネット環境って、使った場合不正になったりするんだろうか、と。立ち上がって寝室に向かう短い時間考えてみたが、限りなくアウトな気がする。

 忽然と出現していたベッドを横目に、クライニングチェアに腰掛けるとパソコンを起動する。初期設定なんて面倒なものは既にクリアされている不思議仕様は無視して、流れるようにネットに接続すると推しのVtuberのチャンネルを開いた。推しの配信予定は事前に予告されている場合全て覚えている。土曜日である今日この時間からは、推しが案件配信おしごとをする予定なのだ。


「おっ、ラッキー。ギリ間に合ってる」


 推しが宣伝を兼ねて先行プレイするのは『お帰りあそばせ地獄村』だ。たしか前作は鬼畜ゲーだったらしいが、新作の難易度はどうなっているのだろう。配信がスタートするまでのオープニングを見ながら、俺はもう面倒臭い思考は全て放り出すことにした。アウトだろうがセーフだろうが知ったことか、推しの配信を見ること以上の優先事項などあまりないのである。


 俺は推しの案件配信が長時間の配信になるよう身勝手に祈りながら、頭を空にして配信開始の瞬間を待って――果たして俺の祈りは推しに通じた。


 誓って言うが、『言霊』は使ってない。推しは9時間プレイしてもステージクリアができず、まだまだ配信を終わらせられる気配がなかったのだ。

 想像を絶する難しいゲーム難易度で、推しの悲鳴や罵倒が聞けて大変満足できた。非常に有意義で楽しい時間を過ごすことができたし、これには疲れ切っていた俺もニッコリである。

 缶ビールも美味い。子供形態でいた時は吐くほど不味く感じていたが、大人形態だとしっかり美味だと感じられる。いいね、この喉越しが堪らん。枝豆もきちんと美味いしビールに合う。


「ふぁぁ〜……あ、まだやってるの?」

「ン? そうだな。やっと中間まで来たぐらいだし、あと何時間やるんだろうなぁ。…お、また死んだ。こりゃ1時間2時間じゃ終りゃせんっぽいぞ」

「……あなたって変な趣味持ってるのね、こんな絵がゲームをしてるのを見て満足するとか、頭おかしいんじゃないの? 知ってるわよ、人間ってゲームが好きなんでしょ。暇を潰したいなら自分でした方が絶対に有意義じゃ――」

「――フィフ、それ以上言うな」


 退屈そうにデスクの上で待機していたフィフが、大欠伸をしながら言ってくるのに、俺は一瞬で怒りのボルテージを臨界までブチ上げ、危うくマジギレするところだった。

 だが俺は大人なので、怒りを抑えてフィフに言う。


「人の趣味に余計な茶々を入れる奴の方がおかしいんだよ。理解できない上にする気もない奴が割って入ってゴチャゴチャ抜かすなや。俺は楽しい、それで話は終わりだろ。違うか? あ?」

「な、なに? 怒ってるの? ご、ごめんなさい……」

「怒ってないが? 俺が何をどう怒ったって証拠だよ」

「言語野がイカレるぐらい怒ってるじゃない!」

「俺の趣味に口出しすんな。別に迷惑掛けてるわけじゃねぇんだから。アイドルの応援もアスリートの応援も同じだろ? な、理解したかなフィフちゃん」


 ブンブンと頭を縦に振るフィフを見て、ひとまず溜飲を下ろす。

 いかんな。仲良くしてた同僚にVヲタだというのがバレて、馬鹿にされた時みたいにキレちまいそうだった。あの時は同僚のアウトドア趣味を馬鹿にし返して、キレてきたところに『お前が先に俺の趣味を馬鹿にしたじゃねぇかタコ助』と言って喧嘩別れしたんだったか。微塵も後悔してないが、フィフと喧嘩しても良いことは何もない。反省してくれたみたいだし我慢しよう。

 ふ、俺も大人になっちまったな。我慢を覚えることで子供は大人になるって聞いたが、俺の大人レベルがこれ以上あがっちまったら聖人君子になっちまうよ。心のゆとりは人生を豊かにするね。


「ん……」


 我ながら頭空っぽな思考を垂れ流すと、頭の中に軽薄な自分が帰ってきているのに気づく。全ての物事を軽く捉え、責任重大な仕事中でも自分のペースを保てるバカな部分の俺が帰宅していた。

 おかえり、バカな俺。やはり推し事は偉大だ、メンタルが一気に回復した。

 すると現金なもので、心のどこかで張り詰めていた糸が緩んだらしい。睡魔がここぞとばかりに押し寄せてくる。天使の体でも眠くなったりとかするんだな……と、他人事のように思いながらクライニングチェアから小さなベッドに移動し、横になってパソコン画面を見る。


「天使に睡眠は不要よ。あなたが眠いと思ってるのは、心が疲弊してるからでしょうね。人間的で実に結構なことじゃない」


 不貞腐れたようにフィフが言うのを、どこか遠くから話しかけられている心地で聞いて、俺は重くなる目蓋をゆっくりと閉ざした。そっか、俺の心はまだ人間なんだな、なんて安心しながら。









  †  †  †  †  †  †  †  †









 ドンドンドン、と扉を叩く音で目を覚ました。


 閉じきったカーテンは微かに明るみ、外では日が昇りだしたのを悟る。

 一夜が明けて朝になったのだ。くぁぁぁ、と大口を開けて欠伸をすると、起きていたらしいフィフが「はしたないわね、やめなさいよ」と小言を言ってくる。


「おぉー……おはよう、フィフ。今何時?」

「午前8時よ。随分熟睡してたわね、あなた」


 おお、時計代わりにもなるなんてフィフは高性能だなと感心した。ベッドから出て両腕を伸ばし、ポキポキと体の節々から音が鳴るのを聞いてから、未だにノックをやめない人に呼びかける。


「はいはい、朝っぱらから騒がしいですねー。どなたですかー?」

「アグラカトラ様だ!」

「あ? 誰? ……ああ、社長!」


 ほんの数秒知らない奴だと思ったが、意識が覚醒するにつれ昨日の出来事を思い出す。

 相手が社長だと分かると一気に背筋が伸び、急ぎ足で玄関に向かった。

 着たまま寝ていたスーツがれている、ネクタイも曲がり情けない格好だ。そういえば昨日は風呂にも入ってないし、着替えてすらいないなんて不潔である。ヤバッ、と今更焦ってしまった。

 仕方なく手で撫でつけて縒れを直し、ネクタイをきっちり締め直した。臭くねぇかなと内心緊張しながらドアを開く。


「はい、お待たせしました。おはようございます、社長」

「おうっ、おはよう花。早速だがこれを受け取りなって。ギルド入り祝い兼、約束の品よ」


 大人形態になった俺とアグラカトラに身長差はほとんどない。同じぐらいになっていた。

 しかし今目の前にいるアグラカトラは、俺よりも頭二つ分以上背が高い。思わず見上げてしまった赤毛の女神様は、困惑する俺には構わず黄金の指輪を押し付けてくる。

 ――シンプルなデザインだが、はっきりと感じる重量感。おまけに得体の知れない感覚――いや、天力に近い力の気配を指輪から感じた。

 指輪から目を上げてアグラカトラを見ると、彼女はまたもや弾丸の如く喋りだす。


「そりゃあたし謹製の護符よ。身に着けた奴の生体反応パターン、天力や魔力の波長を誤魔化しちゃう加護を内包しといたわ。そいつをつけてる限り、遠隔からオマエを見つけるこたぁあたしにしかできない。ちなみにあたしの権能をフルに使ってるから誰にも同じものは作れんし、あたしが破棄を決定したらすぐ壊れっから持ち逃げなんてバカな真似はするんじゃないぞ? 【曼荼羅】のギルド員の証でもあるから失くさんといてよね。ついでだから仕事を頼むけどいい? ああ拒否権はないから聞くだけ無駄か、無駄な質問をしてごめんなさいだわ。花、オマエは秋葉原に行って来て。あそこに異界発生の兆候があるって聞いたから。東京で異界が生まれそうなのをあたしが見過ごすわけないし、たぶんこれは人為的に作られかけてる異界じゃろうね。きな臭いし一人で行くのが不安なら刀娘に声掛けんさい。一人で行ってもいいけど無理だと思ったらすぐ引き返せ。そういうわけだから後は頼んだわ、期日は3日! 仕事は無事に完了するものとして皮算用立てとくから、なるはやで終わらせてね!」

「……あ、はい」


 アグラカトラは朝っぱらから元気一杯の絶好調だ。苦笑を誘われてしまう。

 言い終わるなりさっさと立ち去っていこうとする社長だったが、思い出したように振り返った。

 おいおい、まだ喋る気なのか。


「あ、そうだ。花、オマエの基本形態って子供の方なんじゃね。縮んどるのに気づいとる? 寝ぼけ眼で可愛いもんじゃけど、寝癖もついとるぞ。それからコイツはあたしから新人へのプレゼントよ、受け取っときな。大手を振って持ち歩いても公僕に呼び止められん、認識を阻害する代物よ。あたしの趣味じゃないから返品はお断り、ありがたくもらっといて」


 投げて寄越されたのは、アグラカトラが手に持っていたものだ。慌ててそれをキャッチする。

 渡されたのは朱色の漆で塗られた棍棒で、持ち手にはスイッチが二つ付いていた。小さい手でも握れるほど細く、辛うじて棒状だと言えるぐらいに短い。

 なんだこれ。武器? 武器なのか? このスイッチはなんだろうか、試しに押してみよう。


「うおっ……と」


 すると朱色の棍棒が一気に伸びた。長さにして三メートルまで。凄く長い。反対のスイッチを押すと縮小していき、元の長さにまで戻ってしまう。

 質量保存の法則どこいった? とんでもない代物だ。こんなの要らねぇよと呟き掛けて、思い直す。

 これから危ない仕事をすることになるんなら武器は必要かもしれない。となるといきなり刃物を渡されても怖いから、武器としては意外と助かるチョイスかもしれなかった。


「……よく分からん神様だな」


 寝ている間に体縮んでるし。騒がしく起こされるし。挨拶交わした後は喋り倒してすぐいなくなる。完全に社会不適合者だろう。人によってはとことん嫌いだと感じるかもしれない。

 俺は好きだけど。見ていて面白い生き物に感じるからだ。

 手の中で短い棍棒――撲殺丸なんて物騒な銘が彫られてあるのは見なかったことにしつつ――くるりと回してみて、朝の澄んだ空気にあてられもう一度欠伸をした。


「ふぁぁぁ……期日は3日だっけか?」


 やることもねぇし、散歩がてら見るだけ見てこようかねぇ。










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