第24話 そして、わたしたちは

 仕事をしていても、力が入らない。


 力が入らないというか、ここは自分がいる場所ではないような、疎外感を感じる。


 ブイに掴まっていたはずが、大きな海に、何一つ持たずに彷徨っているような心細さ。


 直哉さんと別れた私は、自分の存在理由を、直哉さんに押し付けて保っていたことを、別れてから知った。


「すみれさん、少し休んだら?」


 小雨が降っているというのに、真梨子さんに心配されてしまう。本当は私が気を使わなくてはいけないのに。


「大丈夫です。最近、良く寝れていなくて……」


 半分は本当で、半分は嘘だった。眠れなくてボロボロになっているのではなく、直哉さんがいなくてボロボロなのだと、言いたかったけれど言えない。


 怪訝そうに眉をひそめた真梨子さんを遮って、私は付け加える。


「すみません。本当に大丈夫ですから」



 そう言った時、ドアチャイムが鳴った。杖をついたおばあさんが、入ってくる。


「いらっしゃいませ」


 真梨子さんが、さっと近寄り扉を開けるのを手伝う。おばあさんは、店内に入ると真梨子さんの方を向いて、お辞儀をした。


「先日、こちらでお買い物したの。これよ」


 おばあさんは、左胸につけたブローチを見せる。こぐまの形をしたブローチには、星座が描かれている。確か、ポラリスの為に作ってくれた作品だ。


「それは……」


 真梨子さんが、戸惑った顔になる。私は、真梨子さんの後ろに近づき、両手を体の前で合わせる。


 商品に不備があったのかもしれない。咄嗟にそう思った。



「ありがとう」



 おばあさんは、再びお辞儀をした。表情は柔らかだった。私は、真梨子さんを見る。


「これは、確か。お客様がプレゼントにと購入されたものですよね」


「そうよ。あなたに包んでもらった」


 おばあさんは、微笑む。真梨子さんの戸惑いを楽しんでいるようだった。


「私ね。とっても嫌な事があった時、自分にプレゼントをする事にしているのよ」

 

 そう言って、おばあさんはこぐま座のブローチに触れる。



「嫌な事があった自分が、"次の自分"に『次は良い事があるわよ』ってプレゼントを贈るの。そうして、私は立ち直る事が出来たの。


 今までに何回かプレゼントをきたけれど、今回のプレゼントは、とても温かい気持ちになれたのよ。ここに着けていると、お守りみたいに力が湧いてくる気がするの。だから、こうしてお礼にきたの」



 おばあさんは、真梨子さんと私を見る。


「あなたの包装には、心がこもっていたわ。包装紙を一つずつめくっていく度、新しい気持ちになれた。ここの商品がとても大切にされていることが、伝わってきたわ。それから、この素敵な作品を作ってくれた人に、可能ならお礼を伝えて頂戴」



 そう言うと、おばあさんはドアベルを鳴らして、店を出た。真梨子さんは、ドアが閉まっても頭を下げ続けていた。




『次は良い事があるわよ』




 おばあさんの言葉が、頭の中でリフレインしていた。




 次は良い事がある。



 次は。








 ポラリスを出て、小港荘へ向かっていると、坂の途中でひかるが立っていた。仁王立ちで、こちらを睨むようにして。


 その姿が面白くて、私はくすっと笑った。汗をぬぐって、小さく手を振る。降っていた雨は止んで、代わりにムッとする暑さがあった。


 ひかるが坂を下りてくる。怒ったような、むくれたような顔をしている。どうしたのだろう。


「ひかる、どうしたの?」


 そう言い終わる前に、抱きしめられる。一瞬、直哉さんの姿が脳裏をよぎる。


「ごめんね」


 私はすごい勢いで首を横に振っていた。あの日が、フラッシュバックする。心がえぐれそうだ。


「ごめんね」


 二度言われて、異変に気がついた。顔を覗き込むとひかるは、泣いていた。静かに、泣いていた。


 手をひいて、小港荘へ案内する。


 ひかるも、泣いたりするのだと不思議な気持ちになる。私は「ごめんね」の理由を聞かなかった。



 グラスに氷をいれて、アイスティーを注ぐ。窓際で、外を見ているひかるにそれを渡す。


「坂の途中からでも、海、良く見えるね」


 ひかるの隣に座って、私も窓の外を見る。グラスの中の氷が、涼しい音を奏でた。


「すみれに言ってなかった事がある。あたし、実は浮気されたんだ」


「えっ」


 チクリ、胸に何かが刺さった。「早く別れた方がいい」と言った時のひかるの表情が思い出された。


「……ごめんね」


「違う。謝るのはあたしの方なんだ」


 こちらを見たひかるの輪郭が、ぐにゃりと歪んだ。ひかるも泣いているのかな。強くて、向日葵みたいなひかるも、笑顔の裏では泣いていたのに、気がつかなかった。



「嫉妬に、八つ当たりに、最低だよ、あたし」


 鼻をすする音が聞こえた。首を振って俯いたら、ふふふっと声が漏れた。それは止められなくって、私は軽快に笑った。


「やっぱり、ひかるは坂の上の住人だね」


 目尻の涙を拭いながら言うと「ナニソレ」と、ひかるも笑った。


 目の前の海は、暗い。ビルの赤い光が生き物みたいだ。


「あたしはさ、結局のとこ、涼が恋しくて待ってるんじゃない。涼にフラれた自分が虚しくて、可哀相でさ、認めたくない気持ちがあったんだと思う」


 ひかるは、グラスをぐるぐる回しながら言う。氷がキラキラと音を立てた。


「今日、火葬してきた。赤パンツ」


「火葬?」


「そう。燃えるゴミの日」


 ひかるは、にいっと笑う。スッキリした顔。


「もう、必要ないから。それに、男のパンツ持ってるのも変態みたいで、嫌だし」


 いつもの調子に戻ってきて、私もつられて元気が湧いてきた。心はまだ痛むけれど、そのままでいいと思えた。



「あのね、今日お客様が言ってたの。嫌な事があったら、次の自分の為にプレゼントを渡すって」


「自分で自分にプレゼントするってこと?」


 私は頷く。


「『次は良い事があるわよ』って」


「次は、良い事が……。いいね」


 私たちは黙って、窓の外を眺める。


 夜空の中を、星を探す。こぐま座はどこだろう。北極星ポラリスはどこだろう。




「坂の途中が好きなの。終わらない物語の中にいるようで。中途半端なところが、私に似ているから」


 空に向かってそう言うと、隣のひかるはくすりと肩をふるわせる。


「あたしは坂の上が好き。何だって上の方が良く見えるから。憧れは、遠くにある方がいいから」


「青春っぽくない?」


 とひかるが呟いて、


「そんな歳じゃないか」と互いに笑った。


「青春ついでにさ、お互いにプレゼント贈り合わない? 自分にプレゼントするのもいいけどさ、やっぱりプレゼントは貰いたいものだよ」


「いいね。今、行こう!」


 私は立ち上がる。


「今?」


 とひかるが変な声をあげたけれど、構わず玄関へ向かう。




『次は良い事があるわよ』



 うん。きっと。



 だから、大丈夫。



 私たちが立ち直れる、目印のような、輝くプレゼントを選ぼう。


 玄関のドアを開ける前に、私は飾り棚を見る。


 その上には、瞬間接着剤で繋ぎ合わせた「恋を運ぶ鳥」がこちらを向いて、ちょこんと座っている。

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坂の途中のすみれさん あまくに みか @amamika

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