第22話 stay with me

 最近、天野さんはケーキを持ってこなくなった。


 少し残念な気持ちもあるが、今までがイレギュラーなだけだったのだろう。それに、と私は真梨子さんを見る。


 真梨子さんの雰囲気が変わったように感じる。柔らかくなったというか、穏やかになったような気がする。聞いてみたい様な気もするが、勘違いかもしれないので、やめておく。


「すみれさん。ちょっと銀行に行ってくるから、任せていい?」


 私は「もちろんです」と頷く。


 レジカウンター内に座り、店番をする。七月に入ってから猛暑日が続いている。ジリジリと焼くような日差しが、コンクリートから反射して眩しい。


 ポロロン、ポロロン。


 ベルが鳴って、ひかるが入ってくる。


「ども!」


「いらっしゃいませ」


 笑みを含んだ声で、私は挨拶する。ひかるは、いつもはつらつとしていて、パワーで溢れている。きっと、悩みなんてすぐ吹き飛ばしてしまうのだろう。羨ましい。


「あれ? 店長はー?」


「今、外出中なの」


「そっか。このあいださ、若い兄ちゃんと二人で飲んでるとこ見かけたんだ」


「本当?」


 それって、やっぱり、天野さんかな。


 私はちょっぴり嬉しくなる。天野さん、よかったねと心の中で拍手を送った。


「すみれは? 最近、どうなの?」


 店内が、少し暗くなったように感じた。


 ひかるは琥珀糖の入った小瓶を一つ一つ手に取っている。こちらは見ない。


 ピンクや黄色の琥珀糖が、不気味に光を落としていた。


「それが……まだ……」


 言い訳だ。私はうつむく。


 ひかるに相談していたのだ、直哉さんとの関係を。


「早く言うべきだと思うよ。お互いのためにもさ」


 ひかるは、まだこちらを見ない。

 軽蔑、しているのだろうか。私が早く言わないから。


 チクリと胸が痛んだ。机の下で組んだ手が、力を失って解けた。






「いち、に、さん……いち……」


 船の数を上手く数えられない。どこから数え始めたのか、どこまで数えたのか、わからなくなっていた。


 ひかるに言われたから、別れを告げるのか。誰かの後押しがないと、動けない自分が情けなかった。


 次、ちゃんと最後まで船を数えたら、直哉さんに連絡しよう。


 そう決めて数え始めた時だった。床の上のスマートフォンが鳴った。直哉さんからの、電話だった。





「急にごめんね」


 改札から出てきた直哉さんは、私を見つけると手を振った。


「時間が出来たから、会いに来ちゃったよ」


 私も顔に笑顔を貼り付ける。


 大丈夫。船はちゃんと数えられたから。 


「あの……。直哉さん」


「何?」


 彼は少しかがんで、私を覗き込む。


「海の方へ行きませんか?」


「いいよ」と何も知らない彼は、私の手を繋ぐ。いつものように。けれども私は、彼の手をきちんと握りしめることが出来なかった。


 夜でも生暖かい風が吹いていた。


 ビールを片手に、外で飲んでいる人たちが、ちらほらいる。


 なるべく静かなところで、ひと気がある方がいい。今から起こることに、心臓は警鐘を鳴らしている。胸が張り裂けて、死んでしまいそうだ。


 呼吸が浅くなる。

 言わなければならない。


「大丈夫?」


 声をかけられて、足を止める。


 今。今しかない。


「直哉さん、私……」


 顔を上げて言いかけた私を見て、直哉さんは顔を少しだけ傾けた。それから、困ったように微笑んだ。一歩近寄り、私の背中を引き寄せ抱きしめた。



「ごめんね」



 抱きしめられたまま、私は目を見開く。


 耳元で囁いて、直哉さんは私を優しく解き放つ。痛そうに微笑むと、彼は踵を返して去って行った。明るくて、賑やかな場所へ。



 生ぬるい風が、通り過ぎた。直哉さんの匂いが、消えていく。


 力無くその場にしゃがみ込んだ。


 呼吸がおかしかった。息はどうやってするものだったか、思い出せない。


「……ずるい」


 別れの言葉も、言わせてもらえないなんて。いや、ずっと言おうとして言えなかった私を、直哉さんは知っていたのかもしれない。





 中途半端な私の、中途半端な恋は、

 中途半端に終わった。




 涙で濡れた頰が、引きつっている。小港荘に帰ってきた私は、真っ先に飾り棚に向かった。


 足取りがふらついている。


 飾り棚の上には、直哉さんがくれた「恋を運ぶ鳥」がちょこんと、座っている。


 それを握りしめて、力を込める。腕が震える。涙がどっと溢れた。


 床へ向かって、鳥を力一杯叩きつけた。


 高い音が響いて、鳥の置物は真っ二つに割れた。可愛らしい表情の頭がとんで、ゴロゴロっと鈍い音をたてて、手をついた私の元へ転がってきた。



 粉々に、姿形も残らないように、割ってしまいたかったのに、最後の最後に躊躇してしまった。


 鳥の胴体と頭をかき集める。噛み締めた奥歯から、苦痛の声が漏れ出た。


 割れてしまった鳥を握りしめたまま、首を垂れて声を上げて泣いた。


 これでよかったのだ。これで。邪魔者の私は、消えなくてはならない。




 けれど、どうして。

 どうして、私じゃないのだろう……。

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