第20話 プレゼント

 髪をベリーショートにした。頭が軽い。首すじが露わになって、物足りないような開放的な気持ちになる。


 出勤すると後輩のひまりが、まつ毛をバサバサと羽ばたかせて近づいてくる。


「ひかるさーん。思いっきりましたねぇー! かわいいー! すっごい似合ってます!」


 小型犬みたいだと、あたしは思う。ひまりは、可愛い後輩だけれど、女子のこういう褒め合いって好きじゃない。


「ありがと」


 微笑んで、あたしはツカツカと自分のデスクに座る。隣の席の先輩、小島さんが椅子に座ったままこちらにスライド移動してきた。


「スッキリした?」


 小島さんだけには、話してあった。涼が出て行ったこと。あたしはパソコンを立ち上げながら、小さく頷く。すると、パソコンのキーボードに小瓶が置かれた。


「お誕生日、おめでと」


 肩を軽く叩かれて、小島さんは戻っていく。あたしは、頭を下げる。涼と別れてから、落ち込んでフラフラだったあたしを、さりげなくフォローしてくれた先輩だった。


 小島さんがくれた小瓶の中には、青や緑、白色の四角がころりんと詰まっている。それは透明に近くて、宝石みたいだ。


「小島さん、これ何ですか? 食べ物?」


 今度はあたしが椅子に座ったままスライド移動する番だった。


琥珀糖こはくとうっていうの、綺麗でしょ。商店街の雑貨屋さんで買ったのよ」


「こはくとう」


「砂糖と寒天だっけな? 要は、砂糖菓子だよ」


「小島さん」


「何?」と書類をめくりながら、小島さんは答える。


「大好き」


 呆れたような、嬉しそうな顔で、小島さんはあたしを横目で見る。それから「はいはい、仕事しな」と手を振って追い払った。


 琥珀糖が入った小瓶を眺める。海の水を結晶にしたら、こんな色形になるのだろうか。


 そういえば、初めてかもしれない。自分の誕生日を忘れたのは。


 一粒琥珀糖をつまんで、口に含む。シャリっとした食感の後、ミントの香りが口の中に広がって、すっと消えた。


「お誕生日おめでとう、あたし」


 心の中で呟いてみたけれど、なんだか、寂しいやつになってしまった。





 退社後、一杯飲んで帰ろうかと思ったけれど、やめた。ぶらぶら歩いて、ちょっぴり高いレストランに入ってもいいかもしれない。


 あたしは、とびっきり短くなった襟足に触れてみる。うん、そうしよう。誕生日くらい、贅沢してやろう。


 歩き出した時だった、カバンの中がふるえた。



 スマートフォンを取り出して、絶句した。


 通知の画面に、涼の文字。


 LINEがきていた。文字をなぞった指が震えた。





『お誕生日おめでとう』






 今更。

 今更、一体どういうつもりなのか。


 あたしは、やっと忘れようとしているのに。どうして、全てを台無しにするのか。吐き気がこみ上げてくる。


 けれど、わかっている。五年も一緒にいたのだ。


 あたしに対する罪悪感、もしくはトモから何か言われたのだろう。何か連絡するきっかけをと思っているうちに、あたしの誕生日が来たというわけだ。



 呪いたくなる誕生日だった。



 目の前が一気に暗くなっていく。底の見えない落とし穴に、突き落とされたように思えた。いっそのこと、息の根を止めてくれればいいのに。


 明るい繁華街を離れ、帰路につく。


 もう、どうでもよくなってきた。あいつとは、もう連絡をとらない。


 わざと既読をつけ、それから涼のアカウントをブロックしようとした。


 もう、二度と会わないために。


 けれど、あたしの手はブロックの文字を押せない。涼と一緒に祝った、最初のあたしの誕生日を思い出していた。



 お金がなくて、小さなケーキに沢山のろうそくを立てて笑ったこと。なのに、プレゼントは高いブランドのネックレスだったこと。一緒に住もうかと、話したこと。その時、握った手の柔らかさとか体温の温かさとかを、全部思い出した。



 全部、忘れると決めたのに。



 あたしって、こんなに意思が弱かったっけ。他人から見たら、涼はダメな男なのに、どうしてこんなにあたしは。



 あたしは、涼が好きなんだろう。



「直接……言いにきなさいよ、バカ。一発ぶん殴ってやるんだから……」



 目の前がにじんでいく。また、世界が灰色に戻っていく。灰色の渦に包まれていく。


 その、視界の隅に赤色が飛び込んできた。

 真っ赤な、赤色。


「……あっ」


 突然、世界に色が戻る。


 そこには綺麗に折り畳まれた、赤色のパンツがあった。


 思わず両手で口元を押さえた。ぐっと押さえても、嗚咽が漏れた。


 戻って、きた。失くしたと思っていたのに。帰ってきた、あたしの元に。


 その場に立ち尽くして、両手で顔を覆った。メイクがぐちゃぐちゃだろうけど、そんなの構わない。泣きながら、笑いがこぼれる。


「よかった……」


 誕生日プレゼントが、男の赤パンツなんて、笑っちゃう。ホントにダサい。ダサすぎる。


 でも、心から嬉しかった。

 だって赤パンツには、こう書かれていたんだ。





『迷い子を保護しました。

 お家に帰れるといいです。  

        坂の途中の住人より』

 

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