第19話 上の事情
呪いが強い心部は直径3メートルほどの球体。2メートルほど浮き上がっている。そこからは薄い、と言っても可視化できるレベルの濃度の呪いが部屋の全体に漂っている。物体に当たると固体化し、さらに膨らもうとする感じか。境界の壁の効果も相まって部屋全体が膨張して膨らんでいるな。広がって戦いやすい。
一人でやれるか?
この状態の呪いの中に突っ込むのは海の中に突っ込むのと同じ。足をすくわれ、溺れたら消える。
あの日と同じ。
『薬って感情もコントロールできるんだ』
机の上に立ち、自身の腕に注射器を刺していた。
『お前は下がってろ』
止められて、動けなかった。
その時の後ろ姿に今でもうなされる。
『お前は結局そこで突っ立ってるだけなのか』
凪いだ海に囲まれた
『俺は境界を壊す。お前はそこで待ってろ』
その目は何も写していない、どこか遠くの理想郷を眺めているかのようだった。
『お前はきっと新世界を気に入る』
常に薄ら笑いの口元が、この時だけはきつく結ばれていた。
『もしヒーロー気取りやんなら俺が徹底的に潰す』
語調がいつもと違って荒い。机から降り、俺の横を通り過ぎた。奥に消えかけた
『お前は何者なんだ?』
「俺は…」
ショウコの方へ駆け出す。のたうちまわる呪いをすり抜け、飛び越していく。
『お前はぁ、俺たちはぁ悪くない。俺たちは世界を秩序を守るんだろぉ』
そのためには何かを諦めなくちゃならないんだ。
助走をつけて飛ぶ。
俺には翼なんてなくて、あるのは硬く冷たい鱗で。羽ばたくことなんてできずに、落ちていく。
でも仕方がないんだ。俺にはこの道しかなかった。世界を守るためにもこの道しかなかった。
そうなんだろ?
殺すしか、消すしか、ないんだろ?
ヒーローが必要なんだろ。
俺はナイフを振りかざす。
トラの能力なんだろうか。おっさんが飛び上がってからのコンマ数秒がとてもゆっくり見える。あれだけの呪いを込めたナイフで刺したら死ぬことは肌でわかる。そうか、ショウコさん死ぬのか。消えるのか。もう二度と会えない、嘘でも愛してくれないのか。
飛ぶな。
ただ叫んだ、力の限り。
「そんな呪いだらけの手でショウコを触んなっ!殺すなっ!!」
頭が真っ白なのに舌が回る感覚と足の震えだけがはっきりしている。
「ショウコもヒットマンも勝手に死んだり殺したりすんじゃねぇよっっ!!」
ごめん。今度はこの三文字だけが頭の中で回っている。私は何を言っているんだろう。自分だって勝手に死んだくせに。
ヒットマンがショウコの手前に落ちた。呪いに囲まれていく。
「早く立てよクソ野郎っ!!」
ルナの本当に欲しい物を少し分かった気がした。
ルナの欠落している部分を少し触った気がした。
月の裏側が少し見えた気がした。
全部見たい。
君の全てを見たい。
「キンコンカンコン。」
俺がおっさんを助けに行こうとしたら、不気味にアナウンスが鳴った。全員の動きが止まり、俺を含め、音の発生源はどこかと首を回す。しかし今まで見なかったように、スピーカーの類は見当たらない。
「呪いの暴走につき、死神ショウコの呪いを対人時無効化、限度調節を行います。」
高いような低いような、小さいような大きいような、細いような太いような。言い表し難い声。全てを兼ね備えた、というのが近いかもしれない。
きっと天使がいたらこんな声だ。
「キンコンカンコン。」
全てが幻だったかのように、黒い海が一瞬にして消えた。
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