第44話 残念な符牒

 その部屋はとても散らかっていた。

 神話の人物、アブソルト=カレルギアの部屋。小さい頃からその悪名を聞かされて育ってきたが、その圧倒的な能力は疑いようもなかった。

 そこは王宮の王族が住まう区画の奥の奥、王族以外入れない厳重な封印が施された部屋。そう思ってリシャール様は入り口のノブにふれて出た音でげんなりした。部屋に入る前は少しだけ高揚していたのに、期待を返せ。


ー月にかわって。

「マルセス、この符牒の意味がわからぬのだ。月に変わるものとはなんなのだ。星でも太陽でもなかったのだ」

「……」

 頭を抱えたい。

 ああ知っているとも。あんあんあんに匹敵する符牒を。そしてこの世界の人間は知りようもないだろうさ。デュラはんは反対側を向いて変な顔をしている。お前も知ってるだろ。

 こんな人がいる前で言うのか、アレを。

 糞。だがリシャール様の必死の表情には変えられん。それに今この国が危機に瀕しているのも確かで。糞糞糞。

 それにしてもこの世界では異世界人が落っこちるときには時空でも超えるものなのかな。大昔に落っこちてきた転生者や転移者の資料を調べても、どれもこれも私の認識する現代前後からの転移者がほとんどだ。地球側の穴が空いたのが最近なのか、この世界の時間の進みが地球に比べて遅いのか。よくわからんがそのうちの研究課題としよう。

 ……現実逃避は終わりにしなければ。

「おしおきよ」

 頭を空っぽにして符牒を唱えると無情にもカタリと音がして、長い年月開かなかったはずなのにその扉は軋みもなくすらりと押し開かれた。

「さすがだ! マルセス!」

 リシャール様の言葉になんと答えてよいのか判断が付きかねるまま足を踏み入れれば、そこには魔法なのか機甲の作用なのかはわからないが、予想されたような大量の埃や積年の汚れというものはなく、どこまでも予想外の出迎えがあった。


「おかえりなさいませ、ご主人様」

「ふむ? しゃべる魔道具か?」

 こたつの上に置かれたツインテールの粘土人形的なものがそう答えた。他にもヘッドフォンとかトランシーバーとか地球儀とか、なんだ懐かしいものがあったが見なかったことにしよう。

 ざっと見渡した10畳ほどの部屋の中は数百年という時間の経過は全く感じられないものの、部屋全体がもともと薄汚れていた。私の知識に基づけば、そこは物が詰め込まれて整理されていないヲタクの部屋だった。


 符牒の時点で嫌な予感がしていたんだよ。

 ともあれ開いた部屋の真ん中には布団の挟まったこたつがドンとあり、その四方をスチールラック的なものが囲んで本やら物やらが乱雑に押し込まれ、床には脱ぎ散らかした服と食べかすやらが腐りも劣化もせずに転がっていた。

 友人の部屋にアポなし突撃した時のように居たたまれない……。

「マルセス。ところでお仕置きとはなんのことだ」

「ただの標語で意味はありません。私の役目は終わりですよね。ここで失礼致します」

「まて、お前の役目はここからだ」

 役目。

 正直神事についての知識はない。この部屋が神事に関係があるとはあまり思えない。そもそも数百年前の神話も小さい頃に寝物語で聞いたくらいだ。と思いつつ目の前に展開される、今の幼少時代より遥か以前から知っている妙に親近感溢れる光景に妙な気分になる。


 そして続く隣の部屋を見て混乱した。

 その細長い部屋には私の担当する工房に勝るとも劣らない器具機材が片側壁面に並び、もう片側の壁全面はたくさんのメモ紙片が所狭しと埋め尽くしていた。

 なんだここは。今の工房にある機材がそっくりそのままここにある。それどころではなく見たことがない機材も。確かに機材の中には作りが甘いとか合理化されていないとかそういった点は目につくが、そんなのは効率化とか冗長性の排除とかそういった問題で、原初の発想はすでに全てがここにある、のか。ここを研究すれば機甲のさらなる発展が見込める。

「凄い……」

「む、またこの文字か」

「文字ですか?」

「あぁ。アブソルトの残したものは文字どころか全ての遺物が王族以外には見せられぬ。ゆえに解析が全く進んでおらぬのだが……。異世界の文字かと思うのだが言語辞典と対照しても読めぬのだ」


 反対側壁際に移動して納得した。

 字がめちゃくちゃ下手くそい。自分にしかわからない文字で書いてある。まあ、当時は誰も理解しなかったのだろうから見せる必要もなかったのだろうな。

 うん? この機材は機甲を作るのに使う機材だよな。伝達腺の加工用。今のものに比べて格段にミニチュアライズされているけれども、それぞれ必要なパーツを作る機材が揃っている。歴史ではアブソルトの大惨禍の後に機甲が出来たことになっているけれども、この惨状を見るとそもそも最初に機甲を作ったのはアブソルトなのかな。目につくメモを眺めて目に入れたことを後悔した。

 アブソルト……動く萌えフィギュアを作りたかったのか……。こたつの粘土を思い出す。

 感動を返せ。そして隣の私室に目を移し、なんかやっぱり天才というものは奇人で、原動力はエロなんだなと納得した。


「マルセス、おぬし読めるのか?」

「読めなくは、ないですが。機甲のシステムを作るときのメモのようですね」

「おぉ、さすがだ。特殊な文字なのか!?」

「それよりリシャール様、私の役目とは何なのです」

 流石に字が汚いだけとは言い難い……。

 けれども部屋をざっと見て、その役目とやらの当たりはだいたいついた。

 先程リシャール様は魔女様と一緒にいるボニさんを助けたいとおっしゃっていた。そしてここに簡易の祭壇があると。

 この部屋の突き当りに妙に四角く囲まれた場所がある。おそらくそこが簡易の祭壇。部屋の開け方がわからなかったくらいだから、使い方もわからないのだろう。けれども祭壇の開け方なら神祇官の分野じゃないのか?


「この部屋と魔女様の領域を接続して欲しい。私が知る術式はすべて教える。神祗官も知らぬものだ」

「リシャ! 何を言う!」

「父様、マルセスはもとより術式を作る側です。これまでも機甲を解析して新たな術式を組み込んで来ました。だからきっとここを動かせるのはマルセスだけです。それにこれまでアブソルトについては触れないようにしてきましたが、それはきっと良くなかったのです」


 私としてはこの壁の紙の半分くらいは読まずに捨ててしまったほうがアブソルトに喜ばれる気がする……。絵心がなくてよかったな。機甲装備に見えなくもないけどこれ多分あのキャラだろ……。なんだナノたんて。けれども小さな自律的機甲というのは産業的にはとても有用なわけで、ううむ。

 いやそれよりリシャール様のご存知の術式?

 他にも術式があるのか?

 私が知っている術式は機甲を動かすためのものだ。魔力というものにプリセットされているコマンドを組み合わせて機甲を動かす。

 けれどもずっと違和感を持っていた。このコマンドは合理的すぎる。付与や展開などの特定の用語に応じて、あたかもプログラミングされたように動くのだ。だからひょっとして、この世界のどこかにこの言語を規定したオペレーティング・システム、つまりどこかに共通OSがあるのではないかとうっすらと思っていた。

 リシャール様がおっしゃる術式がそのOSに関するものならば。それでコマンドプロンプトとかあってコマンド追加とかできればもっと楽に新しい術式が作れるのじゃないかとか……。


「ボニはこの魔法回路を『初期化』して『再インストール』すると言っていた。どういうことかわかるか」

「ちょ、ちょっと待ってください⁉ 初期化に再インストール⁉ ボニさんは何をするつもりなんですか⁉ ていうか意味わかってるの⁉」

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