犬はなぜ留守にした家の中で暴れるのか?

 朝目覚めても、この街に彼女がいない。

 それだけで何もかもが色あせて見える。


 チベスナ2号……ことステファンは、陰鬱な気分に襲われてベッドの中で乱暴に髪をかき乱した。

 そして朝の訪れを拒むように布団の中にも繰り込む。


 だか、そんな事をしていても現実は変わらないと悟ったのだろう。

 5分ほどして、不貞腐れた顔が布団の隙間から覗いた。

 太い眉の似合う男前といった顔立ちである。


 それでもしばらくはベッドから動かないでいた彼だが、しばらくすると大きなため息を吐いてベッドから上半身を起こす。

 寝るときは服を着ない主義なのか、布団の中から覗く体には何も着ていなかった。


 騎士団の訓練で鍛えた体を惜しげもなく晒しつつ、彼はベッドサイドに立てかけてある一枚の絵を手に取る。

 騎士団広報部が販売しているドーラの姿絵だ。


 彼はフレームの中で笑顔のままピースサインをしているドーラの絵を切なげな視線で見つめると、繊細なものに触れるようにそっと唇を押し当てる。

 そしてベッドの脇に落ちていた下着を拾い上げると、布団の中でもぞもぞと着替え始めた。


 ベッドから出てきた彼はまず汲み置きの樽から水を飲み、続いてマウロの似顔絵を張り付けたサンドバッグを叩く。

 何度も、何度も、思いを込めて。


 そして一息ついたあと、彼はマウロに殴られた脇腹を手でなぞって「いつかブッいつか倒してやる」と小さな声で誓った。


 朝食のあと、彼はいつものように騎士団の詰所へと出勤する。

 自宅から歩いて行ける距離のため、馬車はいらない。


 出勤すると、そこはどんよりした空気がたまっていた。

 原因は言うまでもない。

 この騎士団のトップである女性……ドーラだ。


 彼女がいないせいで、今日も騎士たちの多くはやる気が出ない。

 しかも、彼女たちは一部の騎士を連れて温泉旅行中なのである。

 これが妬ましくないと言ったら、嘘にしかならないだろう。


 見れば、デスクの上で肘をつき、歯ぎしりしながらのたうち回っている騎士もいた。

 その様子は、まさに主人に置いてゆかれた犬。

 寂しさの余り、今にも遠吠えしそうである。


 みんながんばれ。

 今日のお昼には帰ってくるはずだから。


 そんな台詞を心の中でつぶやきつつ、ステファンは自分のデスクの上に書類がほとんど無い事に気づく。

 本来であれば、山のように積みあがっていなければならいのに……だ。


 つまり、仕事全体がかなり滞っていると言う事である。

 これは……ドーラが返ってくるまでウチはまともに機能しそうにないな。


 そんな事を考えながら席に着く。

 ふと隣を見れば、同僚であるハロルドの席は今日も空っぽだった。

 マウロとのお話し合いでこっぴどく殴られた様子を思い出し、心の中で溜息をつく。


 あれはもう二日ぐらいは出勤できないかもしれない。

 その間、自分が二人分の仕事をしなきゃいけないのか。


 そう思うとさらに気分が重くなる。

 手に取ったペンが、トレーニング用の鉄アレイのように重い。


 そんな感じで書類を片づけ始める事五分。

 届いた書類の中に、ドーラ宛の手紙が混じっていることに気づいた。


 貴族相手に送るような、装飾の多い封筒である。

 送り主はあまり趣味が良くないのか、わりと嫌味な高貴さが目に付いた。


 成金趣味という感じではない。

 むしろ由緒正しすぎておかしな迷路に入り込んだ感じのタイプである。


 差出人を確認するが、まったく見覚えが無い名前が記されていた。


「情報部の奴を呼んでくれるか?」

 卓上ベルを鳴らし、ステファンはそんな命令を騎士に下す。


 ほどなくして部屋にやってきた情報将官たちも、その手紙を見て首を傾げた。

 ドーラのストーカー上がりである彼らをもってしても心当たりがないとなると、かなり怪しい。


「中身を空けてみるか?」

 誰ともなしにそんな言葉が飛び出すが、ステファンはためらう。

 おそらくこれは、ドーラ相手の私的な手紙だ。


 どうする?


 しばらくして、彼はボソリとつぶやいた。


「……開けてくれ。

 ただし、明けたことがバレないように」


 反対の意見はどこからも出ない。

 なぜか?


 彼らが寂しかったからだ。

 同時に、彼らはドーラの持つ秘密を暴くという甘美な誘惑に抗えなかった。

 

 情報部の連中が、彼らの秘儀をもって封蝋を綺麗にはがし、中身を抜き取る。

 そして広げた手紙に記されていたのは……。


「婚活パーティー開催のお知らせだとぉ!?」


 そう、騎士団の事務所に届いたのは、好条件の独身者のみを対象とした婚活パーテイーの宣伝だったのだ。

 秘密の情報どころか、私的な手紙ですらない。

 ただのチラシである。

 帰宅したら家のドアに挟まっているような代物が、単に騎士団長としてのドーラ宛にきてしまっただげの代物だ。


「ちょっとこれはイラっと来たな」

 そうつぶやきつつ、ステファンは周囲の騎士たちと目配せをした。

 誰もが自分と同じ、どんよりとしたくらい目をしている。


 さて、こんな動画を見たことはないだろうか?

 自宅に帰ると、ペットの犬が家の中で暴れて滅茶苦茶になっているという動画だ。 

 トイレットペーパーなどを噛みちぎって床一面にばら撒いた光景は、見る人を絶望のどん底に叩き込む事請け合いだろう。


 さて、ここで問題だ。

 犬はなぜ留守にした家の中で暴れるのか?


 寂しいからだ。

 そしてここにも、ご主人を待つ寂しい生き物が……。


 ステファンは無言で手紙を罪むと、それを暖炉の中に放り込んだ。

 そして灰になった手紙を、火箸で念入りに砕く。

 まるで彼らのためこんだ鬱屈した感情を叩き込むかのように。


 彼らは知らない。

 この手紙が、ドーラを誘い出すために、とある犯罪者が出した代物であることを。


 かくして、ドーラを狙う悪事は未然に防がれてしまったのであった。

 ……一旦はだが。

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