オークの帰還。 そして邪神が耳を聳てる

「だっだいまー!」

 元気よくドアを開けると、執務室のテーブルで誰かが書類の山に埋もれて死んでいた。

 なんと、殺人事件である!


「……まだ……死んでない」


 あたしが名探偵としての決め台詞は何がいいかなーと考えていると、その書類の山からチベスナ2号ステファンの声がする。


「え? そうなの?

 もしかしてゾンビになったからというオチはないよね?」


「……お前が……死ね」


 うわぁ、なんかすごい恨みのこもった声なんですけど。

 そういえば、あたしが温泉に行くにあたって、ステファン一人にここの業務を押し付けてきた覚えがある。


「ドーラ。

 弱ったステファンで遊んでないで、さっさと仕事に入るぞ。

 まずは引継ぎからな。

 それが終わったらステファンは帰っていいぞ。

 ステファンは明日から慰安旅行だし、その準備も必要だろう」


 マウロがそう言うのでしかたなしに席に着くと、書類の山から這い出してきたステファンがヨロヨロと緩慢な動きで引き継ぎに必要な書類をまとめはじめた。

 ……しばらく時間かかりそうだし、その間にお茶でも飲んでこようかな。


 そう思って椅子から腰を持ち上げた瞬間だった。


「ドーラは未処理の書類に目を通しておけ。

 団長であるお前が率先してサボってどうする!」


「ふぇーい」


 すかさずマウロにお小言を貰った私は、仕方なく机にたまった書類に目を向け、まずは内容ごとに仕分けする作業に入った。


 うわぁ、水道局からの予算の請求だ。

 配管の老朽化が激しいから入れ替え工事をしたいからって……ちょっと請求額が多すぎる気がするから、これは精査した方がいいわね。

 はい、マウロ行き案件。


 ……とまぁ、こんな感じで片づけはじめて、ふと気づく。


「あれ?

 婚活パーティーの案内が来ていない?

 この間、書類請求したはずなのに」


 すると、隣で同じ作業をしていたマウロがステファンの方を見る。

 どういう意味?

 ステファンが何かしたの?


「ちょっとステファン、あんた何をし……」

 あたしはステファンを問い詰めようとするが、まるでそれを阻むようなタイミングでマウロが立ちあがった。

 そして積みあがった書類をバンと平手でたたき、告げる。


「さて、そろそろ引き継ぎを始めようか」


「ちょ、まって、何その書類の量は!

 山と言うか、壁みたいになっているんですけど!?」


 それはまさに絶望の壁。

 温泉によって火照った体とテンションが、一気に冷めてゆくような感覚がした。


 それから半刻ほど時間が過ぎただろうか……。


「……じゃあ、引き継ぎ終わったんで俺は帰りますね!」


 ゾンビから人間に戻ったステファンが、元気溌剌げんきはつらつと言った笑顔で部屋を出てゆく。

 一方、仕事と共に部屋に残された私は、ロダンの考える人になっていた。


 ちなみにかの彫像の人物が何を考えているかをご存じだろうか?

 憶えておくといい。

 あれは、地獄について考えている像なのだ。


「ほら、考え込んでないでさっさと手を動かす!

 ハロルドは怪我で入院しているし、ステファンは慰安旅行だ。

 モタモタしていると、街の皆さんに迷惑がかかるぞ!」


 そう言いながら、マウロはさらに書類の山を一山積み上げた。

 あぁ、万里の長城の幻が見えるよ……。


「早めに処理しなきゃいけない奴はこっちにまとめてあるから、優先的に手を付けてくれ」


「ふへぇーい」


「返事はハイだ。

 お前、それでも騎士か?」


「もぉ、やれはいいんでしょ、やれば!」


 書類の津波と闘う事が騎士の仕事だなんて、ひどい冗談もあったものである。

 あぁ、いっそ緊急事態でも起きて現場にゆく用事でもできないものだろうか。


 そんなあたしの願いを、邪神あたりが聞きつけてしまったのだろう。

 突然、乱暴な足音が近づいてきて扉を開く。


「団長、緊急事態です!」


 血相を変えて執務室に飛び込んできたのは、外回りをしていた騎士たちの隊長だ。

 叶ってはいけないあたしの願いが、どうやらかなえられてしまったようである。


「何事だ!」

 ちょっと、それ、あたしの台詞!


 くっ、書類と格闘していたせいで、マウロに台詞を奪われてしまった。

 仕方がないので、あたしはペンを動かす手をとめて報告を聞く体勢に入る。


「繁華街で傭兵の集団が大規模な抗争を始めました!」


「一般人の被害は!?」


 まず確認すべきはそこだ。

 守るべき者を守れなければ、騎士の体面は成り立たない。


「現場の人間が早めに避難を開始したので、今のところは建築物のみの被害で収まってます!

 ですが、抗争の規模が大きく、場合によってはさらに広い範囲への非難警告が必要になります!」


 ちっ。

 ……あたしとしたことが、思わず下品な舌打ちをしてしまった。

 だが、これは非常にまずい事態なのである。


 そこらのチンピラやゴロツキならば騎士を数人向かわせるだけでも方が付くけど、相手が傭兵は別だ。

 なにせ戦闘の専門家だけあって、プラーナを扱える騎士崩れが混じっている事も多い。

 ましてや、この街にいる傭兵たちは軒並み実力が高いのだ。


 ――うちの可愛い騎士ワンコロが傷つくのは見たくないわね。

 隊長クラスの騎士ならばともかく、巡回の騎士たちでは怪我人が出てしまうだろう。

 そう判断してしまえば、結論が出るのは早かった。


「わかりました。

 私が現場に行きます!」


「ちょっ、ドーラ!?」


 あたしは即座に席を立った。

 だが、すかさずマウロが責めるような視線を向けてくる。


 けど、これはダメよ。

 なにせ相手は傭兵の集団なのだから。


「だって、私が行くのが一番早いでしょ?

 心配しなくても、書類の量を大幅に増やすようなヘマはしないわ」

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