忍び込んだガラガラ蛇
湯煙の中に、いくつもの荒い息の音が混じる。
男たちは、大きな期待を胸にその時を待っていた。
なぜなら、この温泉が混浴だからである。
……とは言っても、裸で入るわけではない。
別のところで身を清めてから、湯浴み着と呼ばれる薄いローブのようなものを羽織って入るのがこの国の入浴ルールだ。
しかし、それでも男たちにとっては刺激の強い姿であり、いやがおうにも期待は高まる。
すると、そこに一人の人物が入ってきた。
残念ながらドーラではない。
その人物――湯浴み着姿のマウロは、いつものお祈りポーズのまま硬い表情で告げる。
「……ドーラ、女性専門の風呂がうったからそっちに入るってよ」
「ちくしょおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
男たちは天を仰いで
**********
「なんかうるさいわねぇ」
「狼でも出るのかしら?」
女性専用の温泉につかりながら、あたしは騎士団の女性陣とそんな台詞をつぶやく。
「それにしても、女性専用のお風呂があって本当に良かったねー」
最近は湯浴み着を着ていても男性と一緒に入るのは恥ずかしいという女性も多く、こうして女性専用の風呂が出来たのはうれしい話だ。
それに、混浴の方に入ったら、あいつら胸はだけたりして色々とアピールしてくるし。
セクハラだと思ってないのかな?
思ってないんだろうなぁ。
あいつら、無駄に顔良くてモテる奴ばっかだし。
「そう言えば……こっちに入るって言った時、マウロ副長の顔が一瞬こわばってたね」
「まぁ、あの人も雄だもんなぁ」
「でも、ちょっと嫌かも」
そんな会話をしていた時だった。
遠くから、ホテルのスタッフの悲鳴と怒号、そして足音が聞こえてくる。
当然ながら、このホテルは貸し切りだ。
騎士たちのプラーナに汚染されたお湯に浸かってほかの客が中毒を起こすのを防ぐためである。
では、この足音の主は何者だろうか?
あたしを狙った暗殺者の類ならば三流だ。
こんな騒ぎを起こせば警戒されてしまうからである。
では、ただの暴漢?
だったら、ホテルの警備の人間につまみ出されて終わりだ。
しかし、闖入者の足音は確実に、そして留まることなくこちらに近づいてきている。
気になるのは、ホテルのスタッフたちの声に、困惑するような色が混じっている事だろうか?
いずれにせよ、歓迎できる相手ではなさそうである。
あたしは他の女騎士たちと頷きあうと、お湯から出てプラーナを練り始めた。
準備の良い奴は、こっそり持ち込んでいたショートソードを取り出して構えている。
どこのどいつかは知らないけど、人のくつろぎの空間を邪魔したからにはただじゃ置かない。
必殺の『
あたしが鼻息も荒く待ち構える中、ほどなくしてその闖入者は姿を現した。
「ドォォォラちゅわぁぁぁぁぁぁん!!」
「ぎゃあぁぁぁぁぁ! マレブランケ公爵!?
なんであんたがここにいるの!!」
現れたのは、ガタイのいい40代のイケオジだった。
だが、イケてるのは見た目だけど、中身は放射性廃棄物よりも厄介で有害な何かである。
「もちろん、愛しのドーラちゃんに会うために決まっているじゃないの、ぐふっ」
語尾にハートマークがつきそうな調子で、マレブランケ公爵……略してマレ公はワイルドでダンディな顔を下心満載の笑みにゆがめる。
「ぎゃあぁぁぁぁ! キモい! 寄るな! 触るな! 近づくな!!」
あたしは手近にあった桶にプラーナを込めて投げつけたが、緑色をしたプラーナが即座に壁を作り、投げた桶を粉砕する。
暴力はいかんと思うが、こいつには言葉や常識が通じないのだから仕方がない。
なお、良識はもっと持ってない。
「もー、ドーラちゃんたら、テレちゃって!
本当に可愛いっ!!」
「あんたにだけはモテたくないわよっ!
とっとと自分の国へ帰れ、この害悪!」
これだけ手ひどく拒絶しても、このオッサンはニヤニヤと笑うだけ。
むしろ嬉々としてにじり寄ってくるのだから始末が悪い。
「いいのかなぁ?
ボクに無礼を働いちゃうと、戦争になるかもしれないよぉ?」
そう、このオッサン、何を隠そう隣の国の王族である。
それも、現国王の弟という重鎮だ。
「その戦争の原因が、女性用の風呂に突入した王族のせいって、どんだけ恥ずかしい理由よ!」
「えー、ボクの場合、いまさらだしぃ。
まぁ、お兄ちゃんには怒られちゃうけどね!」
「うわぁ、そういう奴だった!!」
なお、この男のこのキモいしゃべり方は私の前だけらしい。
しかしそれ以外にもこの男の黒い噂は数多く、その苛烈にして陰湿な策謀ゆえに
……私の治める騎士団領も、かつてこの男の策謀によって多大な被害を被っている。
私の前任者であった貴族は、この男によってそそのかされ、悪事の数々に手を染めた挙句に国を裏切ったのだ。
私がこの変態と知り合ってしまったのも、その内乱の討伐の時の話である。
「ふっふーん、ドーラちゃんと一緒にお風呂ぉ!
いやぁ、おじさん若返っちゃうわぁ!」
「やめろ、脱ぐな!
汚れるからお湯に入るなぁぁぁぁ!
助けてマウロ兄ぃぃぃぃぃ!!」
服を脱いで裸になろうとしたマレ公を見て、あたしは思わず悲鳴を上げた。
何考えてるの、このオッサン!!
「そこまでにしろ、このド変態め!!」
そんな叫びと共に、冷たい水が滝のようにマレ公を襲った。
「騒がしいからと様子を見に来てみれば……。
ウチのドーラに変な物見せようとするな!」
「……マウロ兄!」
駆けつけてきたマウロ兄に、私は思わず駆け寄って反射的に抱き着く。
はぁ、やっぱりこういう時は頼りになるわ。
「あらら、もう来やがったのか。
相変わらずドーラちゃんの事となると動きが速いねぇ。
ほんと、憎らしいほど優秀だよ」
緑の光が収まると同時に、一滴も水を浴びてないマレ公が姿を現す。
「で……マウロ君もいい加減こんな国に見切りをつけてボクのところにこない?
辺境の砦の副官なんかじゃなくて、将軍ぐらいにはしてあげるよ。
そうすれば、ドーラちゃんとの身分の差なんか気にならなくなるでしょ?」
「相変わらず人の気に障る事をズケズケと言ってくれる。
前にも言ったと思うが、お前のところでこき使われるぐらいならば、この小さな領地でドーラを支えて生きてゆく方が何倍もマシだ!」
「あいかわらずつれないねぇ。
まぁ、いいや。
今日はボクもここに泊るから、たっぷり時間をかけて口説くとしますか」
ご機嫌な口調でそんな台詞を吐くと、マレ公は自分の部下に命じて強引にホテルに部屋を取った。
隣国の公爵にねじ込まれればホテル側も嫌とはいえず……。
かくして、あたしの慰安旅行はすさまじい嵐に見舞われることとなったのである。
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