そして舵は捨てられて、航路は地図に見放された。



「よかろう。

 お前に余を楽しませる術がないというのならば、勝手に楽しませてもらう」


「殿下、何を!?」

 さすがに横で見ていた父が声を上げる。

 だが、クソウディオはその声を無視して剣を持ったまま前に踏み出した。

 そしてレイピアの切っ先を下段に構えると、私のスカートの下にスッと潜り込ませたのである。


「なんだ、泣きも怯えもしないのか。

 綺麗なだけの、人形みたいな女め」


 何をする気だ?

 いや、何をするかは予想が付く。

 だが、それは王子としてあまりにも……。


「ほぉら、泣き叫べ! うはははははははははははは!!」


 想像を下回る王子のふるまいに、誰の理解も追いつけなかった。

 私の目の前を、フリルのついた濃い色のピンクが持ち上がり、下へと通り過ぎる。

 それが何なのかは理解したくもなかったが、私の着ていたドレスの色と同じだと言う事はよく理解できた。


 こみあげてきたのは激しい怒り……ではなく、もはやあらゆる怒りをも超えてしまった虚無。

 怒鳴りつけたくとも怒りが深すぎて、舌も唇も動かない。


「しかし、面白みのない下着だったな。

 いいか、俺の婚約者になるというのならば、もう少し余を楽しませるようなものをはいてこい」


 ほう、言いたいことはそれだけか?

 怒りのあとにやってきたのは、冬の空よりも暗く冷たい悪意だった。


 私は両足を肩幅の広さに開く。

 そして下げた腕の肘を曲げ、腰のあたりで握りこぶしを作った。


「殿下! なんと言う事を!」


 ようやくショックから立ち直ったのか、周囲から悲鳴が上がる。

 とてもじゃないが、あれは公爵家の姫に対してやっていい事ではない。

 それがたとえ王子であっても、子供であっても……だ。


 あぁ、この男は子供のころからクズだったんだな。

 気になるのは、このクソっぷりでどうやってゲームが始まるころまで第三王子でいられたかについてだ。


 確かなのは、元のドーラがこの恥辱に耐えたと言う事。

 しかも、それはきっと一度や二度ではない。


 耐えて、許し、目から血を流しながらもただ国と家のために彼女は尽くしたのだろう。

 でなければ、このクソゴミムシが派閥から見捨てられて路頭に迷わず、あの時代まで生きて呼吸をしているはずがないからだ。


 その苦痛、いかほどのものか。

 我慢しない私には想像することも許されない。


 さて、改めてゲームの事を思い出そう。

 何も知らない卑しい女が、他愛もない雑談と自己満足な価値観で、一族のためにどうしても引き留めなくてはいけなかった男をかっさらってゆく。


 何とかしようとあがけばあがくほど、返ってくるのは冷たい言葉と受け入れがたい現実。


 とても耐えられなかったに違いない。

 彼女の性格がゆがむのも当たり前だ。


 そしてその罪をクソウディオは何一つ償わない。

 苦痛と罵声の中で処刑されゆくドーラの前で、薄っぺらい涙を見せるヒロインを抱きかかえ、さも残念な顔をしながら軽薄な愛を囁くだけだ。


 やっぱり気持ちが悪い。

 吐き気がする。


 改めて思うのだが、あのゲームのクソウディオルートは、ゴミだ。


 プレイする価値もない、技術と労力の無駄である。

 脚本を書いた奴は、潔く腹を切れ。


「殿下、お望み通り余興をお見せしましょう」


 クソウディオ、お前には前世で兄から手ほどきを受けた技を特別に披露してやる。

 ゴミのようなお前にはもったいないぐらいの代物だから、良く味わうがいい。


「何? ふん、やるだけやってみるがいい。

 くだらない物を見せることは許さんからな」


「まぁ、怖い事を申されますのね。

 では、そのようなことにならないよう、心を込めて舞いましょう。

 これなるは遥か東の果ての国に伝わる美しい踊りで、その名を……空手と申します」


 そう告げながら、私は深く呼吸を繰り返し、集中力を上げていった。


 長く使ってないからうろ覚えに近いが、たぶんこれでいい。

 あとは、ここに本来のドーラが抱えていたであろう怒りと想いを乗せるだけ。

 

「これなる舞のお題は"正拳突き"……とても短い舞なので、しっかりと目を見開いてご覧あれ!」


 私はゆっくりと、奴に手の届く距離まで足を進めた。

 そして……。


「チェストォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」


 パキッ……と、小気味よい音が庭園に響き渡る。

 私の今の体では威力もたかが知れているが、目の前のクソガキは糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。


「で、殿下ぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 たちまち警備の騎士たちがすっ飛んでくる。

 やってしまった……だが、後悔はしていない。


 後ろで父が、いろいろと複雑に感情の絡まった声で、だが小さく優しさを込めながら「よくやった」と囁いた。

 ごめん、パパ。

 とても困ったことをしたとは思っている。

 でも、その言葉はすごくうれしい。


 もはや立っていることも難しいほどの罪悪感と爽快感の中、私は一度だけクソウディアを振り返る。

 そしてすべての終わりを告げるように捨て台詞を吐いた。


「さて、殿下。

 私の拳は気に入っていただけたかしら。

 それにしても、この程度で倒れるなんて、男として惨めすぎませんこと?

 私の婚約者にはふさわしくないと思いますので、今回の話はなかったことにさせてくださいまし」


 その後、この婚約の話は見事破談。

 殿下の態度も問題がありすぎたのでおとがめはなかったものの、私は兇状付きの訳あり令嬢となり、それ以来は一切の婚約話が来なくなってしまった。


 だが、今世の私の親は出来た人のようで、その事件の事で私を責めることは一度たりともなかった……ということは、自慢をもって語らせていただこう。


 その後、父と色々と話し合った結果……転生した私が芸術やお茶会よりも武術や乗馬を好んだことから、ゲームの舞台である王立学園には入学しない事となった。


 そして身分を隠して騎士の養成学校に入学。

 武術と騎士の作法にまみれた青春を送り、努力の結果、綺麗すぎる女オークと

いう受け入れがたい二つ名で呼ばれるようになったのである。

 ……実に理解しがたい。

 お前らも騎士ならば、もっと典雅な名で私をたたえるべきじゃなかったのか?


 ただ、我が最愛なる義兄弟ことマウロと出会ったのも、ちょうどこの学校でのことである。

 これに関しては、本当に運が良かった。


 そして、聞いた話によればクソウディオもまた王立学校には入らなかったらしい。

 どこか外国に留学したまま帰ってきていないという話は聞いているが、興味が無いので詳しい内容は不明である。


 とまぁ、そんなわけで主要キャラが二人も抜けて、ゲームの舞台は不成立。

 さらに今では私たちも大人になってしまい、ゲームのテーマだった学園生活と甘い恋の話は遠い夢の話とあい成った。


 ……でも、甘い恋だけはしたかったなぁ。

 ちょっとだけ未練があるのは、ここだけの話である。

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