生意気盛りを殴ってみれば、フラグ破壊の音がする

 さて、この世界の事を少しだけ話そう。

 退屈かもしれないが、しばらくの間聞いてほしい。


 この世界の名はサールベニア。

 かつてここは、乙女ゲームの世界で"あった"。


 過去形なのは、私が根底から色々とぶっ壊してしまったからである。


 ここまでの語りでお察しというかいまさらではあるが、私……ことドーラ・アントニエッタ・フランザニアは元日本人の転生者だ。

 なお、昔の名前や死因については割愛する。

 どうせ興味を引くものでもないし、自分の過去を話すのは少々恥ずかしいからね。


 問題のゲームの名前は『ベルキャスト学園物語』という何のひねりもない物。

 盆と正月に開かれるお祭りで手に入れた戦利品……いわゆる同人ゲームと言う奴だ。


 なお、いわゆる表紙のイラストが気に入って買った代物であり、どこのサークルが作ったかなどは全く気にもしていないし覚えてもいない。


 絵はなかなかに好みであったのだが、6人いた攻略キャラの半分ぐらいは性格的に無理って感じで、ゲーム全体の出来栄えとしては『まぁ購入費の元は取れたかな』程度のものである。


 正直、続編が出ても買うことはなかっただろう。

 あぁ、ここまで結構な固有名詞のカタカナが出てきて面頭だと思っただろうけど、全部忘れて構わない。

 どうせ、今となっては大した意味はないのだから。


 そして、乙女ゲームでイケメンを攻略するならば、当然出てくるのが悪役令嬢。

 私が転生したのはその中の一人で、この国の第三王子を攻略する際にヒロインの邪魔をするキャラだった。


 王族とも近しい公爵令嬢で、ゲームの中では『スプーンより重いものは持ったことがございませんのよ』な、いかにも高飛車なお姫様ってタイプのキャラだったのだが……。


 私が転生した……というか、私の人格が完全に彼女を塗りつぶしてしまった時、彼女はまだ6歳。

 ゲームが始まる舞台よりも、9年も前である。

 思えば、これが物語が始まった後の話だったら、この世界はまだ乙女ゲームだったかもしれない。


 だが、時間は常に不可逆的で、現実は冷酷だ。


 全てが崩れ始めたのは、転生が完了してから数か月後。

 花が咲き乱れる美しい春の事だった。


**********


 私の目の前には、金色の髪をした人形のように整った顔立ちの少年がいる。

 猫のような顔立ち、繊細で長いまつげ、もはや人間であるかも怪しい非現実的な美少年だ。


 見た目だけならば非常に眼福だと言えるだろう。

 そう、見た目だけならば。


 私の存在に気づくなり、その少年はこの麗しい見た目が一気にマイナス方向に反転するほど醜悪な表情を作った。

 そして顎をしゃくり、見下すような視線でこちらを見ながら、フンと鼻を鳴らす。


「お前が余の婚約者だと?

 退屈そうな女だ」


 初対面の、最初の一言がこれだ。

 あぁ、やっぱり少年の姿をしていてもこの男は無理。

 ゲームでの台詞の数々を思い出し、私は頭に血が上る音を聞いた。


 目の前にいるクソガキの名は、クラウディオ。

 この国の第三王子にして、攻略キャラの一人であり、いつも心の中でクソウディオと呼んでいたキャラだ。

 このゴミムシには呼吸をする権利ですら認められない! ……と思う程度には嫌いな奴である。


 私が思わず絶句していると、誰かに背中を軽く小突かれた。

 確認するまでもなく、父のアントニオである。


 そう、私の後ろには父が付き添っていた。

 つまりこのクソガキ様は、父がいる前でその娘を侮辱したのだ。


 父は今、いったいどんな顔をしているのか。

 そっと振り向いた私は、その好奇心を心から悔いた。


 父は、笑っていたのである。

 ……自分の感情が外にこぼれないよう、強固な仮面を全力で張り付けるために。

 その手は握り締められたまま、小刻みに震えていた。


 あぁ、寒気が止まらない。

 そんな私の氷結地獄のような心持ちをあざ笑うかのように、近くの梢から小鳥たちの求愛の歌が流れはじめた。

 イギリスの詩人、ロバート・ブラウニングが彼の傑作である「春の朝はるのあした」の文章で描いた情景のように。


 だが、もしも私が今の情景をかの傑作になぞらえて歌うならば、こんな感じだ。


 揚雲雀あげひばりなのりいで、

 蝸牛かたつむり枝に這ひ、

 神、そらに知ろしめす。

 されど地は地獄絵図。

 理不尽な事この上もなし。


 なお、我がフランザニアは王家の血が流れる公爵家であり、クラウディオの母……第一王妃にとってわが父アントニオは再従兄はとこにあたる人物だ。

 つまり後見人の一人なのである。


 ゆえに、王家と言う魑魅魍魎の深奥の中で生き残りたければ、決して軽んじてはいけない相手なのだ。

 後見人の数と権力は、そのまま王位継承権に繋がるのだから。


 ――これは、場合によっては王位継承権に変動が起きるかもしれない。

 そっと周囲を見渡せば、立会人として居合わせた文官や女官の顔がどんどん青くなってゆくのが分かった。

 でも、みんな見ているだけで何もしないのね。


 私がこの国の未来の暗さに絶望していると、再び背中を父に小突かれる。

 もしかすると、挨拶をしてこのおぞましい空気を変えるきっかけを作れと言う意味だろうか。


 6歳の子供に無茶ぶりがひどすぎますよ、パパン。

 いや、そんな言い訳が許されない立場であるからこそ、高位貴族と呼ばれて人々にかしずかれる権利があるのだろうけどね。


 私は大きく息を吸ってからゆっくりと吐き出す。

 そして貴族の務めを果たすために口を開いた。


「おめもじかなって光栄に存じます。

 私は、ドーラ・アントニエッタ・フランザ……」


「名乗りなどいらぬ。

 お前になど少しも興味はないからな。

 だが、父から言われているから、少しだけ時間をくれてやろう。

 まったく……こんな無駄な事をするぐらいならば、部屋で侍女でも虐めている方がよほど有意義だ」


 少しでも希望をつなぐために、胃の痛みを無視して仕方なく始めた私の名乗りだった。

 だが、クソウディオはそれをどうでもいい台詞で遮ったのである。


 だが……きわめて遺憾だけど、同感ね。

 私だってこんな茶番をするぐらいならば、家でこっそり木刀を素振りするか、馬に乗って外に出かけたいんだよっ!


「おい、何か面白い事でもしゃべったらどうだ。

 余が時間を割いて付き合ってやっているのだぞ?

 退屈しないよう、歌でも踊りでもして、無聊を慰めるのが礼儀ではないか。

 本当に気が利かない女だ。

 いったい、余を誰だと思っている!

 フランザニア家も、こんな女しか用意できないとは嘆かわしい」


 私が心の中で愚痴を吐き取らしている間にも、クソウディオはどんどん言ってはいけない台詞をしゃべりだす。

 横で見ている文官たちは、もはや泡を吹きながら口をパクパクさせて、瀕死の魚のようだった。


 ダメだ、こいつに好き勝手しゃべらせると、それだけでこいつの後見をしている我が一族の派閥がぶっ壊れるかもしれない!

 なんとかしてこちらからも会話して、主導権をもぎ取らないと……。


 しかし、こちらが何か手をつ前にクソウディオが動いた。

 何か思いついたと言わんばかりにニヤリと笑うと、事もあろうか護身用の剣を引き抜いたのである。

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