第5話

 結局、ただ突っ立っているだけの6限は終わりを迎えていた。

周りの移動を始める音や何やら始まる会話の音がたちまち大きくなっていく様子を呆然と眺めていると、背中まわりに触感を受ける。


「ホントになっちゃったね」

「......」


 にやりと嬉しそうな山本に、顔をしかめる。


「怖いよ」


 怯えるようなリアクションを取る彼女は依然楽しげだった。


「ほんとに誰も挙げなかったな.....」

「まあ結果的に私の予想が合ってたね」


 山本は笑いながら、卓上に置かれた紙類をまとめて縦に整える。


「二川ー黒板私たちがやるからノートやっちゃいな」

「ありがと〜じゃあ写真だけ先撮らせて」

「はいよー」


 書記の二川さんが教壇から下がってスマホを構えると、山本に合わせて窓側の方へと捌けた。


「こっち半分も撮るね」

「ゆっくりでいいよ」


 昼下がりの射す光は思うより眩しく、片手を額の辺りにかざす。


「はいおっけーありがと」

「了解!」


 山本は再び中ほどに戻ると近くの黒板消しを両手に二つ取り、その片方をこちらに差し出した。


「はいミナトくんもお手伝い」


 黙ってそれを受け取ると、右端からチョークで書かれた上部に手を伸ばす。


「......ミナトくん?」

「あれダメだった?」

「いや別にいいんだけど」


 彼女はそうと頷いて、ちょうど真ん中辺りから取り掛かるようだった。

そして左腕を掲げるところで、ふっとやわらげに息をつく。


「いやまさか上げてくれるってのはちょっとあんまり想像してなかった」

「おい......」


 中途半端に発したそれは届いていたのか、山本がくしゃりと表情を崩した。


「私から声かけといてなんなんだけどね」

「まあ挙げたのは自分だしな」


 選択し行動を取ったのは確かに自分だった。

彼女は想像していなかったとは言え、多少なりとも俺が出てくることに期待はしていたのかもしれない。

それが誰も名乗りを上げない状況と合わさって、余計な善意が働いただけなのだろうか。

単純に突発的なやらかしと捉えるなら、今持つべき感情は後悔だけのはずだ。


「その自分から挙げた理由っていうのは、何かあったの?」


 興味深げにこちらの反応を伺う女子の方を見る。

それは好奇というより、もっと真面目な態度だった。


「......いや俺もよくわからない」


 今はそう答えるより思い浮かぶものが無い。

分からないままここで無理矢理捻り出した所で、伝わらなければこちらも納得が行かないだろう。


「そっか」


 山本はそう言って少し下の方に目をやった。

長い睫毛の先は、室内の天井の方を向いている。


「でもいつか分かるかもね」


 挟むように消した双方の距離は既に狭まっていて、彼女の穏やかに笑んだ顔が近くに映る。


「そうなんすかね」


 弱く漏れ出たその声に、山本が小さく首を動かす。


「うん。その理由がほんとに正しかったかというより自分の選んだ事に意味があればいいんじゃないかな」

「意味?」


 少女然とした雰囲気に含む誠実さには、不思議な感覚があった。

合わせられた真剣な眼差しに、否応なく顔を向ける。


「そうその選択が良かったか悪かったかっていう。それを決めていいのはミナトくんだけじゃない?」

「まあ、そうか」


 腑に落ちるような落ちないような、曖昧な心中で適当な返事をする。

こちらの無気力な振る舞いとは反対に、山本はまた覗き込むように微笑みかけた。


「でしょ。じゃああっちも消そっか」


 整理のつかないまま、言われるままに指差す残りの半分へと動く。

前を歩く衣服の柔らかい匂いが鼻をかすめた。


「あとさ」

「ん?何?」


 背後にぼそりと呟かれた一言に彼女が振り返る。

潤んで光る瞳に少し目をやった。

この役についてしまった以上は、一応確認しておかなければいけない。


「結局学級委員って何やるんだって思って」

「そうだねえ。今みたいな係とか行事の仕事とか分担する時の議長をしたり先生とか他クラスの学級委員との集まりに出たりとかかな」


 淀みなく伝える様を映すと、かゆくもない額の上部を擦るように指でなぞる。


「いやそれもそうなんだけど」


山本は、次の言葉を静かに待っていた。


「誰かを誘ってまでしたい何かがあるんじゃ無いかと思って」


 それは興味というより、純粋な疑問だった。

そしてあわよくば、今しがた自分の取った不明な行動に理由を付けられるなら、それも良い。


「うんそうだね」


 目当ての質問を得られたのか、山本が嬉しげに口角を少し上げる。

そしてすぐさま思案に入るように、指を顎の辺りに持ちあてた。


「うーん逆に現状のイメージってどんな感じ?」

「ん何だそのクラスをこう、まとめる的な」


 元々曖昧な疑問に持ち合わせる答えも、やはりまた中身の無いようなものだった。

だからいざ答える側に切り替わると、焦りが声に重なる。

加えて自分には思い当たりもしない事を、さも当事者のように口にしているのが変な気分だ。

 そのの中に入る気も無い人間が、おかしな事を言っている。


「いや悪いこんなふんわりしたイメージしかない」

「全然大丈夫クラスをまとめるってのいうのは私もそう思う」


 首を横に振って目を細める様子に他意は見えない。


「まあ、部活に部長がいるように、クラスにもそういうまとめ役がいるっていう事自体は、別に不自然ではないとは、思う」


 ぎこちない口調と内容が、会話に絶妙な噛み合わなさを生み出している気がしてならない。

 だが考えてみても、小中あるいは部活その他にいた数々のリーダー達に不満を覚えた経験など確かに無かった。


「うんリーダーって色んなところにいるよね」


 それは同時に言ってしまえば、自分に関しては大した思い出がある訳でも無い事を指してもいるのだが。

当たり前だがその集団の中で目立つ人間や成績の良い人間が、率先して何かやっているな、と。

 いや、彼らが何をやっていようと別にどうでもよかったのだろう、それくらい特に思う所が無かった。


「で、まとめるっていうのは結局どういう事だと思う?」


 脱線しかけた思考から引き上げるように、山本が変わらず俯く俺に問いかける。

おおかた、既に板書は無くなっていた。

互いに作業が終わると、彼女は手にしていた物を銀のレールの上に置く。

こちらはそのクリーナーを3本指に引っ掛けたまま、板に体が付かないくらいに寄りかかって口を開いた。


「それは何だ、集団でいる以上考えや行動を一つに決めないと埒が明かない時もあるから。そういう時の調整をする事、みたいな」


 淡白で面白みに欠けた、明白に置きに行った回答だった。

同時にあちらが待っているようなものでも無いのだと、そう悟っていた。


「それも合ってると思う」


 意外にも彼女は否定する事なくそのまま穏やかな表情を崩さない。

その清廉な様子に、思わずぎくりとする。


「私が付け加えるなら」


 目の前に立つ彼女を見て思う。

伸びた姿勢、落ち着いた声音、視線。

これらの所作には、どうにも違いがあった。

俺の方がどこか遠くから、彼女のような人間を見ている。


「クラスっていう一つのチームを成長させるため。みんなに同じ方向を向いてもらえるように頑張る事、かな」


 聞こえた言葉に、体の奥からひやりとする感覚があった。

強張った肩を緩めようと、ゆっくり息を吐き出す。


「......」


 耳にすると、追ってむず痒さが喉元まで近づいてくる感じがした。

彼女の熱量は確かにそこにあるのだろう。

それでも、これは理解や納得とはまた別の所にある。

崇高で自分にとっては遥か遠くにあるような、その何か。

少し関わってみて、改めてそれを実感する。

彼女と俺とでは、いる場所が違う。


「悪い。それだとふわっとしてて分かりづらい」


 嫌味な言い方になったのかもしれない。

それでも山本は臆面もなく頭を巡らすようだった。


「確かにそうかも」


 のこんな一言くらい、の人間にとっては関心を寄せる事ではないのだろう。


「ん」


 やや悪態づいた事を見透かされたような気がして、すぐさま顔をそらす。

自分の中ではある程度間を取ったつもりでそっと向きを戻すと、なぜか口元を綻ばせる山本が目に飛び込む。


「え何」

「顔に出てるよミナトくん」

「えマジ」

「あはは」


 誤魔化すように、爪先で頭のあたりをかく。


「無表情には定評があるんだけどね」

「全然隠せてないから。あとマジ、って言っちゃってるし」


 山本は笑んだ表情を変えず、その目をしっかりとこちらに据える。


「寒いとか思ったでしょ」


 体のふっと浮くような感じがした。


「いやそれは何というか、まあ」


 にやりと歯を覗かせる彼女に、分かりやすくしどろもどろする。

怖いよ。


「素直だなあ」


 山本は教室の後方を眺めながら妙に大人びた様子でぽつりと呟いた。

誤魔化すように、咳払いを入れる。


「いやでも一部の人間をのぞけばそのまとめる、ってのも出来るんじゃないかと」


 咄嗟に出た言葉はやんわりと訂正の意味を含んでいた。

余計な一言である事は発した直後にすぐ分かった。

考えの無いまま外に流れてしまったものは、こうして大抵収まりがつかない。


「一部?」


 彼女が首を傾げる。


「......そう」


 次に出す言葉を模索した。

本気で何かに取り組める人間が間違っているとは思わない。

高校生活での集団行動において、それはつまり体育祭での応援合戦であったり、文化祭での出し物なり、その他諸々の勝敗や出来にこだわり、一喜一憂する事。

山本楓の言うみんなとは、おそらくそういった全体、集団を含んでいるのだろう。

そんな様子が正しく青春を謳歌する学生達の姿に映るのは、おそらく自然な事だ。

それでも。


「何にせよ、全員動かすってのは難しい、と思って。......無理に関わりたくない奴らだっている、と個人的には思う」


 真面目になれない一部の人間はイケてないとか、協調性が無いだの一言で切り捨てられる、それは果たして正しいのか。

たかが高校という小さな社会に、それほどまで評価されるような価値があるとは思えない。

 関わる理由があるなら、等しく関わらない理由があってもいいだろう。


「なるほど」


 本当は納得などしていないのだろうが、今度は鼻のあたりに手を押しあてる彼女の姿が映る。

別に衝突する気など無かった。

そんなつもりで言ってもいない。

呆れるほど薄暗い自分の声音は、目前の女子生徒にどう聞こえているのだろう。


「でも、一部の人ものぞくつもりは無いよ私は」


 清純な声音が飛び出して、それが自分の所をすり抜ける。

これ以上はもういい、か。

押し黙る俺に目をやる山本の姿が、顔を上げずともなんとなく視界で分かった。


「別にみんなで仲良くとかそういうことじゃなくてね。大事なのは、みんなで何か成し遂げるってことだよ」

「はあ」


 力なく発した空返事が、白くすすけた床に落ちていく。


「たかが高校生活に」


 その語り出しにびくりと体が反応した。

彼女は少し俯くと、降りたその前髪で目元が陰って映る。

 しかしまた、すぐに凛とした顔立ちが向き直った。


「全力でみんなで取り組むことが、結果的に一人一人のためになると思うから。だからミナトくんの言う一部の人たちも含めてまとめるって感じかな」

「......なるほど」


 頭の中で咀嚼しようとしたものを、適当な相槌と共に飲み込む。

今すぐには受け入れられない。

あるいはそんな瞬間は一度も来ないのかもしれない。

だが彼女の意図している事自体については、何となく理解がある。


「みんなで同じ方向を向いて取り組むっていうのは、例えば文化祭の出し物とかそういう事だよな。その手伝い的な事を、俺らがやると」

「そう!私がやりたいのはそういう事。それが本当にやりたいこと」


 まだ手元にはない宝物について夢想するような、そんな柔和な表情に淡い陽光が当たっていた。


「答えになってる?」

「まあ一応」

「そっかよかった」


 山本はそう言って優しげに頷くと、両手を背に回し少し傾げて見せる。


「だからさミナトくんもやってみない?」


 様になった仕草に特に反応する事はない。

ただ無気力にその光景を目に入れるだけだった。

とりあえずは、やるしか無いか。


「......なった以上避けられないし色々振ってくれると助かる」

「うん分かったそうするね」


 話の終わりが近づく予感がする。

山本がにこりと笑いかけ辺りを見回すと、何かに気付いたように目をパチリと動かした。


「あもう二川いないし」


 目線の先に合わせて振り返ると、既に彼女の座っていた席には誰もいない。

手前に戻ると、教卓の上に写したノートが置かれていることに気付く。


「なんか意外と喋ってたのかな私たち」

「確かに......」


 スマホを取り出すと、画面の時刻は16時より前を表示していた。

教室内の生徒達もまばらになっている。


「私もそろそろ応援団の練習行かなきゃ」

「体育祭か」

「そうそう」


 応援団とは、スケジュール中間あたりにある応援合戦にてパフォーマンスを行う団体の事で、去年もほとんどの生徒たちが参加している事は知っていた。

もはや体育祭に最も注力されるのがその他競技よりこの応援団であると言っても過言では無い。


「もう動いてるのねそれ」


 前に立て掛けられた丸型の時計に目配せする山本に問いかける。


「今日から二年生と三年生だけ早めにスタート。去年は新入生だったからもうちょっと後だったよね」

「ほお」


 確か五月中旬あたり開催だから、準備もこの辺から始める事になるのか。

まあ、去年出てないから知らんけど。


「ミナトくん何組?」

「え夏すね」


 組は誕生月に応じ季節ごとに分かれる、おそらく一般的な方式。

露骨な人数差のせいで、春夏の二大勢力に圧倒されている冬組がかわいそうだと思った記憶が何故か残っている。


「へえじゃあうちのクラスだと、なっちゃんにはもう声かけてるの?」


 どうしてか自分が出る体で話が進んでいる気がしていて、またそのジュースみたいな名前の子も知らない。


「同じクラスの人?」

「ああそっかごめん、うちのクラスの夏組ダンス部の西野さん。参加するならまずはダンス部に声かけないとだから」

「なるほど?」


 そう言えば去年もそんな事があったような。

声を掛けてきたあの人もダンス部だったか。


「まだ声かけてないって事だよね、うちのクラスの夏組ダンス部なっちゃんだけだし。あそもそもまだやるか決めてない?」


 それを先に聞いてほしい。

だがこの学校の生徒の大半がこれに参加するせいで、この反応も妥当と言えば妥当なのかもしれない。

知らないけど。


「......決めてないね」

「ええ〜勿体ない」


 ここから切り返す術を捻出するだけの頭は無かった。


「とりあえずさやってみればいいんじゃない?途中でやめることも出来るしさ」

「何そのなんか怪しいセールスみたいな感じ」

「あはは、そんなつもりはなかった」


 再度何かを探すように首を回す仕草で、緩くカールした毛先が動く。


「なっちゃんもういないかな。あ、しほー」


 リュックに何かを詰める、支度途中の一人の女子が顔を上げた。


「んどうした?」

「なっちゃんってもう行っちゃった?」

「あーさっき話してたとこだけど夏組の練習行ったよ」

「ありゃー了解ありがと」

「私ももう行くけどかえちゃんも急ぎなよー」

「大丈夫体操着下にセットしてるから」

「さすがのやる気」

「んじゃまた後でね」

「おけー」


 過ぎゆく二人の会話によると、そのなっちゃん、はもういないらしい。

教室の出口へ向かう女子に手を振った彼女と改めて目が合う。


「さてまあ明日話しかけてみるといいかもね。まだ募集期間ではあるし」

「やらない寄りのやらないなんだよな今」

「絶対やらないじゃんそれ」


 山本は笑って教卓に置いてあるノートを手にする。


「明確にやりたくない理由がないならとりあえずやるのはアリだと思う。やってみないと分からないことは結構あると思うよ」

「まあ分かった。考えとく」


 強く意気込む彼女に、またおぼろげな反応をしてしまう。

今日の所はこれくらいで、また後日、考える予定は果たしてあるのだろうか。


「うんじゃあまた明日!」


 ひらっと手を見せられた方に、軽く首を下に動かす。

自席には、結局一度も開かれなかった英語の教科書やら単語帳やらが積み上がったままだった。

横フックに掛けたバッグと、その書類を手に取って教室の外に出る。


「俺らどこ?」

「小ホール」


 体操着の男子生徒二人が小走りで通り過ぎていく。

向かいの廊下でも、移動をする誰かの姿が窓越しに見えた。

おそらくどの組でも練習が始まっていくのだろう。

ロッカーの扉を開き、掴んでいたものを新調された列に戻す。


「......軽」


 初日も大した重さでは無かったスクールバッグが一層中身の入っていないものに感じられて、それがふと声に表れた。

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