第4話

「おいミナトー」


 昼終わりの五限を襲う睡魔に耐え切れずすっかり落ちていたのだが、周りの雑多な音と右肩への感触で目が覚める。


「......五限終わった?」

「終わった終わった。お前休み時間またいで睡眠キメようとしてるじゃん」


 目をこすりながらそのまま前を見ると、椅子に跨がって寄りかかる村上がケラケラと笑っている。


「そこ海人の席でしょ」

「大丈夫あのイケメンはこんなのでキレない」

「あっそう。色々移動すんねキミ」


 何故か自信たっぷりな茶髪の男子をいなして、言及したい座席を軽く指差す。


「あー羽根田の席もしばしお世話になるよ」


 隣の羽根田、スポーツ少年という印象、と言うより外見が日中体操服のままであった男子生徒の姿は既に消えていた。


「いやこの席だとさノダショーにちょっと遠いんよ」


 片目で視線を送るその先を追うと、見ていたちょうど奥あたりに焦点が合うような気がした。

村上の、む。


「おっす」


 今度は声の主に顔を動かすと、移住者むらかみの隣に座る大人びた雰囲気の男子が手を挙げている。


「おうノダショーおっす」


 と、こちらも軽く首肯する。

なるほどね。

この二人は元クラスとか、何かしら関係があったのだろうか。


「まあともかく羽根田には言ってるし大丈夫。去年も一緒だったけどあいつ休み時間とかよくいなくなるし」

「いるよねそういうやつ......」


 まあそんな事は正直何でも良かったのだが、掛け時計に目をやるとあと少しで次の六限が始まる事に気付く。


「えもう次始まるんだけど」

「寝すぎなんだよお前。そろそろ新さんくんぞ次LHRだから」


 そう言って村上が席に戻っていく所で、始業の合図を知らせるチャイムが鳴るとほぼ同時に扉を開いた教師が入ってくる。

担任の鎌谷は名前が新一なので、多くの生徒から新さんと呼ばれている。

おそらく定年に近いはずなのだが、スラッと伸びた背に渋めのスーツを羽織った見た目からは年ほどのものを感じさせない。

 今日も素晴らしい姿勢で教卓の前まで来ると、まだ大して落ち着きを見せないクラスに一人話し始める。


「はい皆さんこの時間は委員会決めですかね」


 先に勘づいた前方から伝わっていくように、話声は次第にフェードアウトしていった。


「そうですね、学級委員を決めてあとはその方達に進行してもらいましょうか」


 あ。

学級委員という言葉でようやくハッとする。

寝起きで完全に気が抜けていた、昨日の彼女がまた明日、と言っていた事を思い出す。

嫌な汗がシャツの中を流れると、段々と心拍数が上がっていくのが分かった。


「はい、私立候補します」


 後方から、明瞭な声が肩の辺りを通り抜けていく。

山本楓が立候補する事は当然だった。


「おお〜さすがかえちゃん」


 彼女を称える女子の歓声に、合わせてパチパチと拍手が連鎖する。

彼女らの反応もまた、山本が名乗り出る事を予想していたかのようだった。


「他どなたかいませんかね?」


 他の候補者を募る自身の呼び掛けにしばらく反応のない周囲を確認した新さんがこくりと頷く。


「では山本さんお願いできますか」

「はい」


 今一度小さな喝采が起きるとがらりと椅子を引く音が聞こえて、教卓の前に向かう優等生の姿が右から入り込んだ。


「ここからの進行もお願いできますか」


 山本が頷くと新さんは丁寧に会釈し、窓側の端にあるパイプ椅子に腰掛ける。

前についた所で彼女はゆっくりと目を配り、やがて口を開く。


「学級委員になりました、山本です!みんなよろしくー」

「かえちゃーん」

「頑張れー」


 再び讃するその様子を、黙って伺う。

人望や交友関係に裏打ちされた、ある意味必然の反応。

この後出られるような男子側の枠に自分が当てはまるはずもない。


「じゃあまず男子の学級委員からやってくれる人いませんかー?」


 誰か一人に向けた訳では無いそれが、体の内側のどこかを掴むような感じがする。

昨日山本の言っていた事は絶対条件では無かった。

あれは、立候補者がいなければという話。


「山本ー」

「はいなんでしょう井口くん!」


 早速反応したのは、昨日村上との話題に出てきた井口だった。

正直はっきりと目にしたのはこれが初めてだ。

サッカー部の、短髪に赤めのカーディガンを羽織った、声量が自分の3倍くらいありそうな男子。

 舞い降りたワンチャンスに細やかな期待を寄せる。


「部活が忙しくてちょっとキツイかも!ごめんー」


 脆弱な所期はあっさりと打ち破られた。

両手を合わせる井口が、山本に申し訳無いといった意を示す。

終わった話に視線を戻し、心の中で肩を落とす。

誰がいつどこでどう稼働しているかなど正確には誰にも分からないもので、だから本人が忙しいと言えば忙しいのだ。

伝えられた側は、通常それ以上は踏み込まない。


「いやいや全然、わざわざありがとね」


 おおよそ予想した通り彼女が微笑すると、その短髪の学生はどこか満足気な様子だった。

何か、違う意図が見えてしまったような。


「はいでは他誰かー」


 暫くの間、少しの静寂が流れる。

案じる彼女の不安は当たっているようだ。

 再度呼びかけに応じる男子生徒は出てきそうに無い。


「うーん困った......」


 ぽつりと彼女がつぶやいた瞬間、何かを探すような目が不意にこちらに向けられる。

いや、偶然では無いのだろう。

それを示すかのように、ぱちりと開いた片目を瞬かせて送るので、その白々しい合図を怪訝な表情で返す。

 やんねえよ。

考えもしない事だった、昨日言われるまでは。

これまで自ら矢面に立つような経験をした事があっただろうか。

いつだって他の誰かがやっていた、それは自分にとって縁のないものの一つに過ぎない。

だからいつもと同じようにやり過ごす、それだけの事。


ーー 高田くんならやってくれそうだから、きっと ーー


 本当に、大した意味は無いのかもしれない。

関わる事の無かった世界に無闇に飛び込んだ所で、結局残るのは面倒くさいとかしんどいとかいうマイナスな感情だけなのかもしれない。

 ......よく分からない。

ぐちゃぐちゃに混ざり合った頭の中を解決させるだけの時間は無かった。

なのに。


「お、高田くん」


 鉛のように重たかった左腕を、無理矢理引っ張り上げたのは本当に自分なのだろうか。


「ミナトから挙げてるわりには嫌そうな顔してんな」

「海人うるさい......」


 振り返ってどこか面白そうにする好青年を敢えて見る事なく、ただ挙げた手を維持するのに注力する。

 そうでもしないと、向けられた視線や自分でも不明な行動に、熱くなった体を誤魔化せない。


「他誰かいませんかー?いなければ高田くんにやってもらえればと」


 空々しく聞こえるその台詞も、他人には何でもないただの一連の流れだった。

山本の声に反応する生徒はいなく、続く沈黙は相当に長く感じる。

念じるように机の面に視線を寄せていると、一仕切りついたのかうんと小さく囁く声が聞こえた。


「では男子の学級委員は高田くんで。よろしくお願いします!」


 まばらに鳴る賞揚によれよれと立ち上がり、黒板前の段差になった所を上がる。

教卓の前に立つ山本は半歩横にずれて、自分のスペースを空けていた。

隣につくと、明るい表情の彼女がこちらを見る。


「......」


 ここまで予見通りだったのかもしれないし、本当の所は分からない。

負けじと彼女を見つめ返すのも変な気がして、とりあえず机上に手をおき前方の景色を見ることにする。

 コイツは誰なのだろう、などと思われてるのだろうか。

その事を示すように、全体的に諸々何かが伝わってこないのがまた苦しい。

とは言え、いつもならその反応を寄せない集団の一部に自分もいるのだという事に今更気づく。


「高田がんばー」


 先程の井口が潔く先陣を切る。


「じゃあ高田くん一言お願いしますー」

「え、は」


 その様を見て続く山本に小さく声が出る。

そうして促されるも落ち着かせるように一呼吸すると、改めて顔を上げた。


「えーと高田湊と言います」


 ぼそりと鳴る音に、やや緩んでいた空気がすぐにまた張り詰めたような気がする。

こちらの話を聞こうとする反応と分かっていても、実際当事者となるとこの雰囲気は正味苦手だ。


「正直なんで手を挙げたのか自分でもわかりませんがよろしくお願いします」


 何か言わねばと思い咄嗟に吐いた言葉がそこそこの笑いを生む。

結果的に、これで良かったのかもしれない。


「えー何それ」


 山本は仕方なさそうに笑って、近くに座る女子に何やら話しかけるようだった。

にしても、こういう時真っ先に反応してきそうな男子の声がまだ聞こえて来ない。

 予想の先を見やると真ん中の列、やや後方できょとんとするトモヤスの姿を発見する。


「ミナトお前マジ?」


 ようやく目の前の異変に気づいた様子のトモヤスの手元を凝らして見ると、横向きにしたスマホの画面からサッカーゴールのような白いシルエットが映る。

なるほど、ふざけてる。


「トモヤスおっそ!」

「トモヤスくーん?」

「え、いや聞いてたって」


 井口と山本がトモヤスの方をつつくと、教室内はまた弛緩する。

落ち着いては騒ぎを繰り返すクラスの波に揺られていると、先程の緊張感は既に無くなっていた。

 何か考えるべき事を忘れているような気がするのだが、この時間はとりあえずやり過ごす事にするか。

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