28. 【別視点】樹海の魔本使い2

 俺たちは森の中でゴブリンに追われている。先頭を走るのがローザ。そのあとに、リムアを担いだタックが続き、最後が俺だ。体格の良いタックであっても、人を担いで走るのは負担が大きい。必然的に、タックの走りに合わせる形になる。


 俺たちを追うゴブリン。奴らと遭遇したのは依頼にあった幻霧草の採取を終えた直後だった。こちらが四人に対して、奴らも四体。数が同じならば十分に対応できると考えたのが、そもそもの間違いだった。樹海のゴブリンは、一般的なゴブリンより強いと聞いていたというのに。


 奴らは魔人種。人類の敵ではあるが、本能のまま人を襲う魔物とは違い知恵が回る。

 知っていたはずなのだが、すぐに認識が甘かったと思い知らされた。奴らは想像以上に巧みな連携で、俺とタックの隙を突き、攻撃をリムアへと集中させたのだ。その結果、あいつは腹部に傷を負うことになった。


 すぐにタックがカバーに入ったおかげで命は助かったが、一人負傷した状態で戦える相手ではないのは明らかだった。俺たちはすぐに撤退を決断。負傷したリムアは体格に優れたタックが担いで逃げることになった。そのせいで、タックは盾を捨てることになったが、仲間の命には代えられない。


 幸いなことに、奴らは飛び道具をもっていなかった。また、俺たちに比べると小柄であるためか、移動速度はそれほどでもない。おかげで、タックはリムアを抱えた状態でも、なんとか追いつかれずに済んでいる。


 だが、状況は極めて悪い。ゴブリンと遭遇したとき、奴らは街の方角からやってきたのだ。したがって、俺たちが逃げているのはその逆……つまり森の奥へと逃げる羽目になっている。


 当然ながら、森の奥では救援など望むべくもない。このまま逃げ続けたところで、いずれは体力を消耗して走れなくなるか、それとも魔物と鉢合わせして退路を断たれるか。どちらにせよ、愉快な状況にはなりそうにもない。


「あれは……? シリル、前方に建物が!」


 先頭を行くローザが声を上げた。

 ゴブリンたちの攻撃を警戒して後方へと注意を払っていた俺は、前方への注意が疎かになっていた。言われて前方に目をこらすと、たしかに木々の合間から土壁のようなものが窺える。さらに、その奥には明らかに人の手が入った建物もある。


「どうする?」


 タックが問いかけてきた。


 ディルダーナ大樹海には、国を追われた流民が住み着いているという話は聞いたことがある。だが、それもせいぜい樹海の浅い部分の話。この辺りまでくると、手強い魔物が増えて、集落を維持するのも楽ではないはずだ。


 それでもなお、こんな危険な場所に住まうには何らかの理由があるのだろう。よほどの狂人か、人目を避けなければならない身の上か。いずれにせよ、まともな住人ではない可能性が高い。


 いや、それどころか、果たして住んでいるのは本当に人なのか。ゴブリンたちの根城に追い立てられているのではないか。そんな危惧さえ頭をもたげてくる。


 だが。


「あれを目指すぞ! 安全な場所でリムアを休ませなければ!」


 リムアの傷は深い。走りながらで止血すら十分ではないのだ。もう、相当な量の血が流れている。すでに意識すらない危険な状態だ。賭けではあるが、リムアを救うには他に打てる手段がなかった。


 タックとローザからも異論はない。

 危険は承知の上だろう。それでも、リムアを救うには賭けるしかないと判断したのだ。


 防壁が近づいてきたところで、ゴブリンたちが不快な声で騒ぎ出した。その声に混ざる感情は興奮だろうか? まるで、新たな獲物を見つけたことを喜んでいるような下卑た笑い声だ。


 もし、そうなら、あの建物はゴブリンたちとは無関係だということ。俺たちが生き残る可能性が幾ばくかは高まったと言える。あとは、あの防壁の中に入れてもらうことができれば――……


 不意に防壁の中から男の声が聞こえた。まだ少し距離があるため、何を言ったのかは聴き取れなかったが、おそらく俺たちのことは把握しているのだろう。


 少し遅れて巨大な何かが防壁を飛び越えて姿を現した。


「うわ、なんだ!?」

「リーガルタイガー!? いや、違うか……?」


 一瞬にして血の気が引いたが、リーガルタイガーではなさそうだ。体の模様はそっくりだが、顔立ちはかなり違う。リーガルタイガーの恐ろしい顔に比べると、かなり愛嬌があるというか緩いというか……率直に言えば猫っぽい。鳴き声もニャー。完全に猫だ。


「トラキチは味方です! あなたたちは防御に専念してください!」


 再び、防壁の向こうから男の声が上がる。今度は明確に俺たちに向けられた言葉だ。


 トラキチというのが、この生き物の名前らしい。声の主の従魔なのだろう。そして、何よりありがたいのが俺たちの味方であるという言葉。無論、その言葉だけで声の主を無条件で信じることはできないが……それでも、ゴブリンたちの手にかかって死ぬことは避けられそうだ。


 実際、トラキチと呼ばれた従魔の強さは圧倒的だった。リーガルタイガーに匹敵する……いや、おそらくそれ以上の強さでゴブリンたちを蹂躙して見せたのだ。


 助かったという思いとともに、新たな不安が頭をよぎった。トラキチは俺たちでは逆立ちをしても叶わない絶対的な強者。その主に借りを作ってしまったのだ。場合によっては理不尽な要求を突きつけられる可能性もある。それでもリムアを救うためには助けを請わなければならないのだ。


 だが、そんな不安はいい意味で裏切られた。


 開門してもらい対面した男は思いの外、若かった。まだ少年と言ってもいい年頃で、とてもこんな場所で過ごしているとは思えない穏やかな性格のように見える。


 とはいえ、従魔師としての実力は疑いようがない。トラキチの他にも、二足で立つネズミっぽい従魔が三体に、大柄なタックよりも更に二回りほどは大きい従魔が控えている。トラキチほどの強さがなかったとしても、それなりには戦えるのだろう。樹海で暮らすにも不足はない戦力が揃っているはずだ。


 そんな従魔たちに囲まれている状態。普通なら、かなりの圧迫感を覚えるものなのだが……ここにいる従魔たちは全体的に雰囲気が緩い。まるで、御伽噺の妖精の国に迷い込んだようだ。特に、あの巨大な従魔。あれはもしかして、熊なのか? それにしては緩すぎないか?


 思いがけない光景に立ち尽くしていたようだ。

 従魔師の少年の気遣うような視線を受けてようやく正気に戻った俺たちは、リムアを救うために必死に頭を下げた。すると、彼は見返りを求めることもなく、ヒールポーションを渡してくれたのだ。


 ヒールポーション自体は珍しいものではないとはいえ、それも場所による。普通なら樹海では手に入らない貴重なものだ。しかも、下級のヒールポーションと言いながら、その効果はかなり大きかった。リムアの傷はすぐに塞がり、痕すら残っていない。よほど品質が高かったのだろう。


 そんなポーションを譲ってくれたにも関わらず、彼は――レイジは何の見返りも求めなかった。それどころか、こちらから言い出さなければ代金すら受け取るつもりがなかったようだ。


 しかも、レイジは魔本使いだという。

 強大な力をもたらすと言われている魔本。その所有者であるにもかかわらず、レイジには驕ったところはない。聖人とは彼のような者を言うのかもしれない。


 そんな彼が樹海でひっそりと暮らしているのはどんな理由なのだろうか。興味本位で尋ねることではないが……もしかしたら、人の悪意に晒されてこんな場所で過ごさざるを得なくなってしまったのかもしれない。


 もしそうなら……いや、そうでなかったとしても、俺はレイジの助けになろう。彼はリムアの……そして、俺たちの恩人なのだから。

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