26. 情けは人のためならず

 しばらくすると、僕にも聞こえてきた。かすかに聞こえるのは、男女の声だ。それが、草木をかき分けるようなガサゴソとした音と一緒に近づいてくる。


 声色から判断すると穏やかな状況ではなさそうだ。おそらく、魔物か何かに襲われている。そして、この家に逃げ込もうとしているみたいだ。彼らにとっては謎の建物のはずなんだけどね。そんなことを気にしている余裕もないほど、切羽詰まっているのだろう。


 ここで僕はちょっとだけ後悔した。壁で囲ってあるから、冒険者たちの様子を確認できないんだ。物見やぐらくらい作っておけば良かった。


「何に追われているのかな?」

『おそらくゴブリンでしょう』

「ああ、たしかに……」


 ブランに言われて気がついた。冒険者たちの声に混じって、ゲヘゲヘと不気味な声が混じっている。たしかに、転移初日に目撃したゴブリンたちがあんな声で喋ってたね。


『どうします?』

「……助けよう!」


 魔物がいるような世界だ。きっと元の世界に比べたら、命の価値は軽い。だけど、助けられる命は助けた方がいいに決まっている。じゃないと、後でモヤモヤするだろうしね。


 それに冒険者たちに恩が売れるという打算もある。僕らの目的は樹海の開拓だけど、それには外との交流もあった方がいいだろうからね。彼らを助けることがその布石になるかもしれない。


 問題は助けた冒険者たちが恩を仇で返すような人間であった場合だけど……ゴブリン相手に手傷を負うような実力ならトラキチとクマドンで制圧できるはず。危険が全くないわけじゃないけど、許容範囲内だ。


「トラキチ、お願い!」

「ニャ!」


 指示を出すと、トラキチは一気に加速して防壁を飛び越えた。3mもあるのに何の補助もなしに、だ。


 うん、防壁はもうちょっと高くしよう。リーガルタイガーだと、同じように飛び越えちゃうかもしれない。


「うわ、なんだ!?」

「リーガルタイガー!? いや、違うか……?」


 冒険者たちが、突然現れたトラキチに驚いて声を上げる。かなり近くまで逃げてきているようで、内容まではっきりと聴き取れた。


「トラキチは味方です! あなたたちは防御に専念してください!」

「わかった!」


 壁越しに声をかけると、冒険者たちは意外にも素直に言うことを聞いてくれた。彼らにとって、僕もトラキチも得体の知れない存在だというのに判断が早いね。まあ、それだけ余裕がないのかもしれない。


 申し訳ないけど、門はまだ開けない。トラキチが門の外に出て、こちらの戦力が欠けている状態だからね。クマドンは呼び出したばかりだから実力は未知数だ。きっと強いんだとは思うんだけど、見た目がゆるキャラだから少しだけ信用しきれないところがある。


 問題はトラキチだけでゴブリンを排除できるかってところ。トラキチは探索者ユニットとして呼び出したので、元のリーガルタイガーよりも戦闘面で多少は強化されている。なので、五体程度なら撃退できると思うんだけど……冒険者たちが何体のゴブリンに追われていたのか壁越しだとわからない。それがもどかしかった。まあ、ゲヘゲヘ聞こえる声からそれほど多くないのはわかっているけど。


 ただ、その心配はすぐに杞憂だとわかった。冒険者たちの「すげえ」という声が、トラキチの優勢を伝えてくれる。すぐにゴブリンたちの断末魔が響く。全部で四つの絶叫が森に響いた後、「ニャ~」とのんびりとした声が聞こえた。たぶん、「終わった~」と言ってる。思ったよりも余裕そうだ。


 トラキチが防壁を飛び越えて戻ってきたので、門の閂を開けた。


「中に入ってください」


 声をかけると、冒険者たちが恐る恐る入ってくる。グレナの報告通り、四人だ。ただし、女性が一人負傷しているようで、大柄な男性に抱きかかえられている。


 四人は思ったよりも若い。とはいえ、僕よりは年上だろうけど。たぶん、20代前半ってところかな。


 死爪兎やマーダーアントは並の戦士でも苦労するような相手だ。そんな魔物が跋扈する場所に来るということは、年齢のわりには優秀なのかな。それとも実力を過信して、分不相応な場所まで足を踏み入れてしまったのか。その辺りはちょっと判断がつかない。


「き、君がこの屋敷のあるじなのか?」

「ええと、そうですね」


 リーダーらしき先頭の男性が僕を見て驚いている。いや、彼だけじゃなくて、負傷している女性以外みんな、かな。まあ、謎の屋敷の主が僕みたいな一般人だと驚くよね。屋敷の主なんて表現すると大仰に思えるけど、実際には樹海にぽつんとある一軒家の家主ってだけなんだけどね。


 というか、今は僕のことを気にしている場合ではないんじゃないかな。抱きかかえられている女性の傷は深いのか、傷口を押さえている布きれは赤く染まっている。


 僕の視線に気がついた冒険者たちも状況を思い出したみたいだ。リーダーらしき男性が、再び声をかけてきた。


「見ての通り、仲間が負傷しているんだ。回復薬が切れて、マナも枯渇している。すまないが、回復薬があれば譲ってくれないか?」


 男性は必死な様子で頭を下げている。それに続いて仲間たちも「頼む」と頭を下げた。彼らが信用できるかどうかはまだわからないけど、少なくとも仲間思いではあるみたいだ。たぶん、真っ当な冒険者たちなんだろうね。


 彼ら相手なら取引もできそうだ。用意していたポーションが早速役に立つね。

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