16. 【別視点】樹海の魔本使い
「レミアルーテ様、ファルデラーダ様、こちらに!」
先導する騎士エルダが私たちを急かす。
窓も無い石造りの通路には闇が巣くっている。周囲を照らすのは、手にしたカンテラの頼りない明かりのみ。足下も
石壁に反響して足音がかなり響く。大きな音は私たち三人のものだ。一方で、遠くから聞こえる足音は追跡者のものだろうか。それとも、私たちを逃すために残った護衛たちのものだろうか。
……わかっている。
護衛の足音である可能性が限りなく低いことは。
敵との人数差が違いすぎた。彼らにできるのは多少の時間稼ぎにすぎないだろう。それでも彼らはあの場に残った。私と弟を逃すために。自らの命を代償として。
彼らの献身を無駄にしないためにも、私たちは逃げ切らなくてはならない。逃げた先に希望がなかったとしても。
追跡者の正体は、エイダと同じく皇国の騎士たち。ただし、その忠誠は私の父でありミストリア皇国の皇帝であるジルデスタン・ロンデルトではなく、騎士団長であるダンゲストに捧げられている。彼らは不遜にも皇位簒奪を企てたのだ。
その企てはほぼ成し遂げられていることだろう。ダンゲストはそのカリスマで、騎士団の大半を従えている。謀反が起きたときに皇室側の戦力として残ったのは近衛騎士だけだった。兵力差は絶望的だ。
考えたくはないけど、父様たちはもう……。
頭に過ぎった不吉な想像を振り払う。余計なことを考えている場合でない。今はとにかく走らなければ。
そうして、たどり着いたのはこじんまりとした部屋。中央に置かれた台座には小さな水晶玉のようなものが載せられていた。これが転移の宝珠。失われた魔道技術によって作られた太古の魔道具だ。
私たち皇族は、かつて存在した古代文明の末裔だと伝えられている。もっとも、その証となりそうな物は、この転移の宝珠と私が身につけている不思議なペンダントだけ。伝承が真実か否か、それを知る手がかりはあまりに少ない。
とはいえ、この宝珠の効果は本物だという。年に一度は点検をかねて人を送っていると言う話は父様から聞いたことがある。
「転移先は皇室直轄領にあるお屋敷です。管理しているのは皇室への忠誠心が強い者ばかり。その者らがレミアルーテ様たちの助けとなってくれるでしょう」
「エイダは? エイダはどうするの?」
弟のルドが縋るような目でエイダを見つめる。ルドも気付いたのだろう。彼女の覚悟に。
「私はここに残ります。まだ、やるべきことがありますので」
「そんな! 駄目だよ! 一緒に行こう!」
「ファルデラーダ様……」
彼女の言う“やるべきこと”については想像がつく。
転移の宝珠は使用者を選ばない。つまり、追跡者たちにも使えるのだ。起動には特定の呪文が必要だが、皇国の上層部なら把握している可能性は高い。おそらく追跡者たちもダンゲストから聞いて把握していることだろう。
であれば、転移した先も安全とはいえず、そこからまた逃げなくてはならない。それを防ぐ最も簡単な方法は、私たちが転移した後に魔道具を破壊すること。
しかし、そうなればエイダはここに取り残されてしまう。つまり、彼女もまた自分の命を犠牲にして私たちを逃がそうとしてくれているのだ。
……果たして彼女の命を犠牲にしてまで守るべき価値があるのだろうか。皇族の血を引いているだけの無力な子供に過ぎない私たちに。
謀反が起きてから、私の中にある偽らざる気持ちだ。だけど、そんなことを考えて足を鈍らせて良い段階はとっくに過ぎている。すでに、私たちを守るために多くの血が流れているのだ。彼ら、彼女らの献身を……犠牲を無駄にするわけにはいかない。
「駄目よ、ルド。エイダを困らせては」
「姉様……」
窘めると、ルドはそれ以上何も言わなかった。この子はまだ六歳。それでも、今がどういう状況なのか理解しているのだ。
「……っ! いけない! すぐに転移を!」
追跡者たちが間近に迫っている。もはや一刻の猶予もなかった。
私はルドと手をつなぎ、宝珠に手を翳す。起動の呪文を唱えると、宝珠はかすかに光を発した。
「レミアルーテ様、ファルデラーダ様、生きてください! そして――……」
転移の間際、エイダが言った言葉。その続きはなんだったのか。それを確かめることはできない。おそらく永遠に。
ひどい目眩に襲われたときのように、視界が真っ白になる。平衡感覚を失い、自分が立っているのかどうかもわからない。そんな時間がどれくらい続いたのだろうか。
気がつけば、私たちは見知らぬ森の中にいた。周囲には木々が生い茂るばかりで、建物の影は見当たらない。
「……ここは?」
「わからないわ」
不安げな表情を浮かべるルド。安心させてあげたいけど、私にはそれも難しい。
転移の事故なのか。それとも、騎士団長派によって宝珠に細工がされていたのか。いずれにせよ、私たちがいるこの場所は想定していた転移先ではないようだ。
私たちを守ってくれる者たちは、もういない。絶望に押しつぶされそうな心を叱咤したのはエイダの言葉だ。彼女は私たちに生きろと言った。そのために多くの者たちを犠牲にした。
だから生きなければならない。
希望が見えなくても……必死にあがいて!
不意に近くの草むらがガサリと揺れた。キチキチと不快な音を立てながら現れたのは蟻。全長はルドの身長ほどありそうな、大きな蟻の魔物だ。しかも、一匹に留まらない。草むらから這い出てきた蟻の数は全部で六匹。武器すら持たない私たちが叶う相手とはとても思えない。
でも、だからといって――……
だからといって、生きることを諦めるわけにはいかない!
「ルド、石を拾うのよ。とにかく投げるの!」
「う、うん!」
私は……私たちはこんなところで死ぬわけにはいかない。エイダや、他の騎士たちの犠牲を無駄にするわけにはいかない。
力一杯投げた石が、蟻の頭に直撃する。だが、それだけだ。蟻たちは何の痛痒も感じていないかのように距離を詰めてくる。
それでも……、それでも!
「ニャァァアア!」
突然響いた咆哮に石を投げる手が止まった。現れたのは巨大な……猫?
その猫は、私たちを庇うように蟻の前に立ちふさがると、その前足で強力な一撃を放った。それを受けた個体が吹き飛ぶ。
大猫と蟻たち。強いのは大猫の方だろう。だけど、大猫は私たちを庇っているせいで動きが制限されている。そのせいで、膠着状態に陥ってしまった。
均衡を破ったのは、少し遅れてやってきた若い男性だった。少々不思議な格好をしているけれど、それ以外はごく普通に見える。ただ、一点。宙に浮く本を従えていること以外は。
あれは……魔本?
彼は魔本使いなの?
魔本は一見するとただの本にしか見えない。だけど、資格を持つものが手にすれば、不思議な力を引き出せると言われている。
丸腰だった彼の手には、いつの間にか杖が握られていた。杖から放たれた雷撃はその一撃で蟻の命を奪う。それから先は一方的な展開だった。魔本の使い手と大猫は瞬く間に蟻たちを一掃したのだ。
私たちは、助かったのだろうか……?
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