2. 相棒は本
『さきほどは非常時でしたから投げてしまうのもわからなくはありません。ですが、今のはどうです? 意味も無く地面に叩きつけるなんて信じられません! 野蛮な行為です! あなたは本の扱い方も知らないのですか? 全くどうしてあなたのような人が私のマスターに……』
よほど腹を据えかねたのか、その本は凄い勢いで不満をぶちまけ始めた。息継ぎが必要ないせいか、本当に途切れることのない言葉の奔流だ。黙って聞いていてはいつまで続くかわかったものではない。ここは頭を下げてでも、強引に止めた方が良さそうだね。
「待って待って。謝る! 謝るから、落ち着いてよ! 手荒く扱って悪かったって。よくわかんない状況で理不尽な危険に晒されて心に余裕がなかったんだよ。それでも、物に当たるのはよくなかったね。本当にごめん」
『物扱いは気に入りませんが……まあ、いいでしょう。謝罪は受け取っておきます。こんな異常事態に巻き込まれたのですから、余裕がなくなるのは無理もありませんしね』
話せばわかる本だったみたいで、必死に謝ると怒りを収めてくれた。ほっとひと安心だ。なにしろ、この本は僕の今の状況を知るための唯一の手がかり。文章から得られる情報は皆無だったとはいえ、喋れるなら情報を引き出せる可能性は高いからね。ここで関係が拗れると情報源が失われるところだった。
「ええと君は……なんと呼べばいいかな?」
『私ですか? 私の名前はディルダーナ開拓記ですよ』
「ああ、そうか……」
本だけあって、表題がそのまま名前になるらしい。
「それだと長くて呼びにくいね。何か他に名前はないかな?」
『そういうことなら、適当に名前をつけてください』
僕が名付けるのか。
そうだなぁ。この本は大部分が空白だった。空白を意味する英単語からとってブランクという名前はどうだろうか。さすがに安直すぎるかな? だとしたら……ブランにしよう! ブランはフランス語で白という意味だった気がする。白紙の白だ。ちょうどいい。
「よし、だったら君のことはブランと呼ぶことにしようかな」
『ブランですか? 悪くないですね。ブラン……ええ、悪くない』
気にいったのか、ブランは何度か名前を呟く。少なくとも悪い印象は与えなかったようだ。
「それで、ブラン。君はさっき“巻き込まれた”と言ったよね。つまり、僕がここにいるのは、君の意志ではないと言うことかな?」
『私の意志ではないですよ。ですが、マスターは少し勘違いしています。あれは“転移に巻き込まれた”という意味ではありませんよ』
「……ごめん。ちょっと意味がわからない。それなら、どういう意図だったの?」
『そうですね。では、初めから説明しましょう』
僕は“巻き込まれた”という言葉を聞いたとき、ブランの転移に巻き込まれてしまったのだと思った。だけど、その認識は間違いらしい。
ブランによれば今回の転移は間違いなく僕を対象としたもの。正確に言えば、ブランを最初に手に取った人間を転移させるように仕組まれていたらしい。仕組んだのはブランの創造主にあたる存在。ブランの言った“巻き込まれた”という言葉は、“創造主の企んでいるろくでもない計画に巻き込まれた”という意味合いだったようだ。
「ろくでもないって……一体、どんな計画なの?」
『ええと、それを聞いてしまいますか? 本当にしょうもないですよ。聞いたら後悔するかもしれません』
「……聞きたくなくなってきたなぁ。でも、聞かないと行動指針も立てられないからね。一応、聞かせてくれない?」
『わかりました』
それから語られた話は本当にしょうもない話だった。
ブランの創造主は怠惰と享楽を司る神。その神は、ある日、知識と書物の神に煽られたらしい。そのときの二柱の会話はこんな感じだったそうだ。
「お前、怠けるか遊んでるかで本当に役に立たないな? もう神やめたら?」
「はぁん? お前だって大して役に立ってねえだろ?」
「これだから無能は。知識がどれだけ大事かわかってねえとか、マジありえねえ! 知を集積させる書物がどれだけ偉大かわかってねえとか、マジ使えねえ!」
「ちっ! 書物がなんだ! 何が偉大だ! それくらい俺にも書けらぁ!」
「へっ、言ったな? じゃあ書いて見せろよ!」
あくまでブラン談だ。本当なら怠惰と享楽の神だけじゃなく、知識と書物の神もとんでもない。
ノリと勢いで書物を作ることになった怠惰と享楽の神だけど、やはりというか何というか、書く前に面倒になったらしい。そこで思いついたのが、
「ということは、使命や役目みたいなものは何もないってこと?」
『あえて言うなら、私を書物として完成させることでしょうか。しかし、あの神は飽きっぽいですからね。すでに忘れている可能性もあります』
「……本当にしょうもないな!」
『だから言ったじゃないですか』
これほどまでに下らない理由だなんて思わないって!
そう怒鳴りたい気持ちをぐっと抑える。ブランに当たっても仕方がないからね。
飲み込んだ言葉の代わりに口から漏れたのは大きなため息だった。
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