レイジの拠点づくり

1. こんにちは、異世界

 気がつけば森の中にいた。本当に意味が分からないくらい突然に。さっきまで、古書店にいたはずなんだけど……。


 まあ、それはいいや。いや良くはないんだけど、一旦棚上げ。何事にも優先順位ってものがあるからね。今、問題にすべきはそれじゃない。


 差し迫った問題は、目も前でグルルルと喉を鳴らしている猛獣の存在だ。

 あれは……虎かな。判断はつかないけど、獰猛な生き物であるのは間違いなさそう。ご機嫌は斜めなご様子。いや、むしろご機嫌なのかな。僕という餌を見つけたわけだし。


 ……うん、冷静に考えている場合じゃないね!


「いやいやいや! 洒落しゃれになんないって、ほんとに!」


 気持ちが萎えないように敢えて大声で愚痴る。あわよくば声に怯えて逃げてくれないかと思ったんだけど、そんな素振りはまるで見えない。


 さて、どうしようか。選択肢としては“逃げる”しかないんだけど、だからといってただ走るだけでは全くの無意味だ。どう考えてもあいつの方が足が速いもの。背中から襲われてあいつのお腹に収まる未来しかない。


 こんな状況だというのに、意外と冷静に頭が回るものだね。自分でもびっくりだ。


 でも、いくら頭が回っても、解決案の出ない空回りでは何の意味がない。喉を鳴らしてこちらを窺っていた猛獣が様子見は終わりとばかりに、こちらに駆け寄ってきた。


 どうしよう?

 いや、どうしようもない。


 それでも、せめての抵抗に手に持っていた本を虎らしき獣に投げつけた。獣は避けることすらせず、飛来してくるその本に向けて大口を開ける。そして、ひと噛み。


 その瞬間、ガキンと、およそ書物が立てるとは思えないような音が響いた。まるで金属同士がぶつかったような音だ。続いて、獣の悲鳴のような鳴き声。歯でも欠けたのか、虎は悶えるように地に転がっている。


 何が起こったのかはわからない。だけど、間違いなくチャンスだ。

 脇目も振らずに逃げる。できれば絶好の機会を作ってくれたあの本も回収したいところだけど、さすがにそれほどの余裕はないかな。何より、一刻も早く危険から逃れたいという一心で、ただひたすらに足を動かした。


 どれほど走っただろうか。それほど長時間ではないはずだけど、すでに息が上がっている。ペース配分を考えない全力疾走だったからね。当然の結果といえる。足下もおぼつかない森の中で、転ぶことなく走りきっただけでも褒めて欲しい。


「全くどうなってんの!? なんでこんな場所に――」


 苛立ちのまま声を上げたところで、不意にそれが視界に入った。


 本だ。虎から逃げ出すときに置き去りにしたはずの本が何故かそこにあった。いや、あったというか浮いていた。


 とりあえず、見なかったことにして数歩進んでみる。すると、本もふよふよと僕のあとを追ってきた。気のせいじゃない。途中で走ってみても、急に方向転換しても、本は僕についてくるようだ。


 明らかに普通じゃない。浮いていることも、僕のあとをつけてくることも、虎にかじられたのに傷一つ無いことも。


 そもそも、僕がこんなわけのわからないところで理不尽な目にあっているのも、この本のせいじゃないだろうか。




 僕は大学に入学したばかりの十八歳。初めての一人暮らしで、少々浮かれていた。普段はあまり興味も無い古書店に入ってみたのはそのせいだろうか。


 その古書店はやけにボロボロだったけど、それがかえって独特の雰囲気を醸し出していた。なんとなく大人になった気分で本の背表紙を眺めていると、目についたのがこの本だ。


 背表紙に並んでいたのは、見たこともないような文字だった。だというのに、何故か意味が分かったんだよね。背表紙には“ディルダーナ開拓記”と書かれていた。


 見たこともないのに何故か読める文字。どう考えても怪しい。関わっていいものか真剣に考えるべき事案だよね。

 だというのに、あのときの僕は興味を引かれ、軽率にも本を手にとってしまった。


 その結果が突然の森!

 そして、虎!

 挙げ句に、このよくわからない状況だ!


 いったい、どうなってるんだよコンチクショウ!


 おっと、ついカッとなってしまった。深呼吸で心を静めよう。戦場では冷静さを失った者から死んでいくって言うからね。ここは戦場じゃないけど危険度は大差ないだろう。たぶん。


 とにかく、状況が知りたい。一体、なぜこんな森の中にいるのか。手がかりとなるのは、やはりこの本になるだろう。


 宙に浮いた本へと恐る恐る手をのばす。触れた瞬間、本は浮力を失ったかのように僕の手の中に収まった。


 どんな内容が書かれているのか。少し緊張しながらページをめくる。最初のページにはただ一文だけ「朔魔怜司さくまれいじ、ディルダーナの地に降り立つ」とだけ書かれていた。


 朔魔怜司というのは僕の名前だ。ディルダーナというのは地名だろうか。この本の表題にもあった名前だね。


 ……ええと、これだけ?


 いやいや、慌てるのは早い。まだ最初の一ページだ。

 沸き上がる感情を強引に抑えつけ、震える手でページをめくる。


 次のページは――白紙だ。

 その次も、その更に次も白紙。めくってもめくっても白紙。どこまでいっても白紙。


「まったく! 役に! 立たない!」


 ついつい苛立ちのまま本を地面へと叩きつけてしまった。普段なら絶対にしないような行動だ。極限状態のせいかな。


 自分の精神状態を分析していると、本がプカリと浮かび上がった。抗議するかのように、バサバサとページを開けたり閉じたりして音を立てている。とはいえ、本当のところはわからない。本の気持ちを人間が汲み取ることなんて、できるわけがないんだ。もしかして、構ってもらえて喜んでいるのかも――……


『さっきから、扱いが酷くないですか! ポイポイ投げないでください!』


 どうやら、紛れもなく抗議だったみたいだ。ここまではっきりと言葉にされれば認めざるを得ない。というか、喋れるんだ……?


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よろしくお願いします!

本日は三話更新予定。

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