第18話 感情


「すまない。私がしっかりしていないせいで、君を怖いめに合わせてしまった」


 園石に腰掛けた藍影は、うなだれながら謝罪の言葉を口にした。


「いいえ、怖くはありませんでした」


 藍影は苦笑をこぼすと紅玉に手を差し伸べた。


「みなさまは青龍帝様を心配して、私に会いにきたようでした」


 その手に己の手を重ねる。藍影は優しく手を引くと、自分の横に座るように促した。


「……失礼します」


 藍影の隣に腰を下ろすと膝の上に暁明が飛び移ってきた。翼をしまうとまるくなり、うとうとと首をもたげては、持ち上げる動作を繰り返している。疲れたようだ。紅玉が手で囲いを作ると安心したように寝始めた。


「彼らが心配するのは、私が半神。中途半端な存在だからな」

「そんなこと……。青龍帝様がお優しいから、みなさまは心配なさっているのではないのでしょうか」

「驚かないな。私が半神と誰に聞いた?」

「朱加様からお聞きしました。青龍帝様のお母様が私と同じだと」

「藍影と。青龍帝ではなく、藍影と呼んでくれ」


 藍影はぎこちない手つきで紅玉の髪に絡めた。


「朱加だけずるい」

「藍影、様……」


 真っ赤な顔を見られたくなくて、紅玉は暁明を見つめるふりをする。


「様付けもしなくてもいい」


 そう言われても呼び捨てになんてできるわけがない。藍影からのお願いだとしても。

 紅玉が困っているのを察したのか、藍影は小さく笑う。


「難しかったか」

「……ごめんなさい」

「いや、いい。ゆっくりと。時間はたっぷりある」


 実際はたっぷりではない。紅玉は近いうちにこの常世を去るつもりだ。いつまでも藍影に甘えていては、朱加の言うとおり、彼女を傷付けてしまう。


「……藍影様のお母様ってどういう人だったんですか?」

「母は、君と正反対な人だったよ」

「正反対?」

「ああ、立場も見た目も性格も。あの人は奴婢ぬひの身分から花嫁に選ばれ、父に嫁いだが気丈というか強情というか」


 思い出したのか藍影は吹きだす。「玄琅が教えてくれたんだが」と震える声で続けた。


おきて通り、父が母を食おうとしたら、強烈な一発を食らわされたらしい」

「え。お母様が、先代様に……?」

「ああ、『ふざけるな! 奴婢になっても私は王族だ!』と叫んで、何度も殴ったそうだ」


 藍影の母親は斎帝国の捕虜となり、王族から奴婢の身分に落とされ、花嫁に選ばれた。花嫁に選ばれた当初は大人しくしていたが、当時の青龍帝と対面した時にまるで虫けらのような扱いに怒りを爆発させたという。


「それで、父は一つの提案をした」

「どのような提案ですか?」

「『三日間、我に食われなければ現世に返してやる』と」


 それは無理な提案では、と紅玉は思った。ただの人間が、未知の力を使う——後で知ったが神術というらしい——龍帝に敵うとは思えない。


「父は花嫁を食べるつもりはなかったんだ。当初はただの義務にすぎなったらしいが、抵抗し、怒る姿を見たら食べる気も完全に失せたと言っていた」

「だから、藍影様は私を食べなかったんですか?」

「母が人間だからな。私が青龍帝を継ぐ際に何度も『本人の意思を尊重しなさい』といわれたよ」

「お優しい方だったんですね。お会いしたかったです」

「私も君に両親を紹介したかった。でも、合わせたくはないな」

「……私が、母にき」


 ——らわれているから?

 紅玉の言葉を奪い取るように、藍影は言葉を重ねる。


「母は君をいたく気にいるはずだ。我先に世話を焼き、君が嫌がっても構い倒すだろう。そうなると私との時間が少なくなる」

「藍影様はお母様がお好きなんですね」

「君は勘違いをしているな」


 藍影は紅玉の頬に手を添えた。


「君との時間が少なくなるのが嫌なんだ」


 甘い響きを帯びた言葉に紅玉は顔をあげて、隣の麗人を見た。蜂蜜色の瞳に慈愛を浮かべたその人は、目が合うと一層と微笑みを深くさせる。頬に添えられた手が、顎へと滑り、指先が紅玉の唇を撫でた。


「私は、君を愛している」


 その言葉は、紅玉が一番欲していたものだ。家族に与えられなかったもの。これから一生、触れることがなかったもの。

 なのに、なぜだろうか。紅玉は嬉しさよりも、むなしさを覚えた。


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