どうか悪夢を永遠に
「よし、明日の夜には花のパリだ!」
ロビンはシャーロックのフライトチケットを偽名でつつがなく予約し終え、PCを畳み伸びをした。
「席はファーストクラスにしたよ。シートが広いから僕も一緒に座れる」
「やめろ暑苦しい。お前は飛行機の後を追って飛ぶことも出来るだろうが」
シャーロックは唸ったが、「ところで、」ロビンは話題を変える。
「冷蔵庫に君の助手が貯め込んでいた輸血袋は僕が飲んでしまっていいかい? 例の治療用のやつだけど。旅に出るなら片付けなきゃ」
「ああ。飲みたきゃ飲んでくれ。俺の身体は輸血くらいででどうにかなるもんじゃないとお前も知っていただろう。俺は無駄だと言うのに
「じゃあさ、冷凍庫に入ってる教授の生首も片付けていい? もう血液実験もしないんだよね?」
「ああ。つくづく世話になるな」
ロビンはくすりと笑って、シャーロックの首に腕を回した。
「死体の始末くらい、これからも幾らでも、何処に行ったって手伝ってあげるよ。ヴァンパイアは怪力だし普通は目に見えないし、魔法もあれこれ使えるからね。ねえ、シャーロック。僕は嬉しいんだよ。君という友人が出来て、僕は二百年の退屈からやっと解放されたんだ」
「退屈なら、何故教授を友人にしなかったんだ?」
「そりゃ退屈だったからさ――本能の赴くままに殺したいだけ殺して、ついでに金と権力まで得ようとするなんて、やってることがまるっきり人間と変わらない。でも君は違う。殺しはするけど本能を制御している。意識がなくても面倒でも相手を選んでいる。大丈夫、君にはあんな最期は迎えさせない。警察にも渡しやしない。絶対に」
「随分と厄介な男に見初められたもんだな俺は。レストレードが可哀想だ」
「泣かせとけばいいじゃないか」ロビンは笑った。
そしてリトマス試験紙の束の下から、木製の名刺入れをつまみ上げる。
「――これも捨ててしまって言いかい?」
束の間シャーロックは沈黙し、目を伏せて頷いた。
“諮問探偵シャーロック・ホームズ”の名と、“ベーカー街221B”のアドレスと、数々の冒険の思い出が、バラバラと不思議の国のトランプの如く宙に舞う。それを残らず呑み込んで炎は一瞬、煙突を駆け上るように大きく燃えた。あたかもそこに青薔薇が咲いたかのように、それはそれは美しく。
「もっと早くこうするべきだったのかもな」シャーロックは呟いた。
「まあ潮時には違いない」ロビンは言う。
「もう悩まないでくれないか。善良な悪魔は怒れる天使に変わりないと僕は思う。生も死も運命だ。どれだけ人間が死のうが、君が自分を責める必要はないんだ。ねえ、せっかくの旅なんだから楽しく過ごそう。お願いだから思い出さないでくれよ。死んだ探偵と生き別れた助手のことは」
「うるさいな、当たり前だろう」
「本当に? 僕みたいに開き直れるかい?」
さらりと白銀の髪が鳴る。間近に迫るロビンの青い瞳の闇は、シャーロックを何処までも誘った。身を投げれば楽になれる、しかしもう戻ることの出来ない深淵へ。
ロビン自身、その類い稀なる美貌が永遠であることを望んだ母の神に背くほどの愛によって、無理矢理にヴァンパイアの血を受け継がされたという話だった。ただ彼は、太陽を奪われても、尽きぬ時間に囚われても、神の怒りを恐れても、愚かな母を想うが故に全て受け入れた。諦めて、忘れて。そうしてシャーロックに出会うまでの永の孤独を耐えた。
「……考えても仕方がないのは分かっている。努力はしてみよう。お前と同じ悪魔として生きるために」
「やれやれ、皮肉にしか聞こえないんだよなあ」ロビンは溜め息をついた。
「一つ覚えていて欲しいんだ。僕はね、君自身がどう思おうと、狼になっている時の君が好きなんだよ。今までは君がそう望むから探偵業を応援していたけどね、本当は違うんだ。出会ったその日から満月が恋しくてならない。どんなに血で汚れようと君の毛並みは流星みたいに銀色で、とても綺麗だからね」
齢二百のヴァンパイアが紡ぐ言葉は幼子のように純粋で、シャーロックは幽かに笑った。
ただ、彼が言葉にせずに隠したもう少し歪な本心には、気付かぬふりを貫いた。
“Please, have the same nightmare as me forever.”
どれほど甘美な誘いでも“Yes”と答えるわけには行かない。この身にかけられた呪いを解き、死んだ探偵を甦らせ、失われた正義を取り戻す、その望みが全て潰えるまでは――
やがて二人の間に降りた沈黙はそれ自体が幻惑の調べとなって、揺らめく炎と滲む雨の陰影の中へ溶けて行く。
【BL短編集】嵌められたスパイ Fata.シャーロック @sherlockian-1
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