第十五巻 やっぱり見て見ぬフリなんてできない

 意識がない花中かなかを教室に運ぼうと、彼女の体に触れる。


「あれ? 首の痣が消えてない」


 ヨホロは、この痣は七人御先しちにんみさきのマーキングだと言っていた。

 最後の一人は、ヨホロの銃で死んだ。

 なら、どうして。


「まさか」


 顔が青ざめる。

 床から赤い手に腕を掴まれていた。そのままずるずると、屋上の端へ引きずられていく。


「ちょっと待って! 赤い手さん、まさか屋上から落とすつもり⁉︎」


 しかも俺だけではなく、花中と一緒に引っ張っていった。

 俺は必死にその赤い手を離そうとするが、びくともしない。それどころか次第に掴む力が強くなってる気がする。

 様子を伺うように現れた頭は凹んでいた。それは今朝見た怪異と同じだった。


「今朝の……! ヨホロ! 助けて!」


 恥を偲んで叫んだ。

 だが——


「マズイ。僕も捕まった」


 あっけらかんとした様子で答えた。


「アンタはバカなの⁉︎」

「おめーに言われたくないわ〜」

「銃でなんとかしてよ!」

「弾がもうない」

「アンタ、バッカじゃないの⁉︎ 脳筋なの⁉︎ 少しはこういう時の為に武器を仕込んどくとかしてないのかよ⁉︎」

「ああ! それ良いね。採用」

「今、採用すんな!」


 全員が捕まった。

 ピンチに駆けつけてくれるようなヒーローはいない。

 絶体絶命である。


「ああああああああああああああああ‼︎」


 俺の悲鳴が虚しく空へと昇っていく。

 必死に爪を立てて抵抗するが、何の意味もなく、とても虚しくなる。

 全身グルグル巻きにされたヨホロも、ゆっくりと転がされていた。


「シャチになれない」

「無能!」

「朝、ちゃんと殺したはずなんだがな〜」

「少しはこの状況に慌てろ!」


 俺のツッコミを気にもしない。


「わああ! もうダメだぁ!」


 いざ、屋上から落とされると思った瞬間、突然手が止まった。

 影から出てくるように、歪な体の女子高生が姿を現す。


「あたし、独りは嫌。だから一緒に落ちて」


 この七人御先は流暢りゅうちょうに喋った。ナワミサキより力が強い現れなのだろう。

 赤い瞳で、じとっと俺らを見下ろす。いや、正確にいえば、花中だけである。

 すると、彼女の閉じていた瞼が動いた。

 何が起こっているのかわからず、恐怖で叫ぶ前に、怪異は彼女の細い喉を絞めた。


『いっぱい怖がって。ナワミサキが選んだあなたが七人御先になれば、あたしはやっと自由になれる……!』


 七人御先は花中の歪む顔を見て、嬉しそうに笑った。

「そういうことか」やっと俺の中で燻っていた疑問が解けた。

 ナワミサキが言っていた『アノ子』とは、目の前にいる怪異のことで、ナワミサキはこの怪異の為に、次の七人御先になる候補を屋上で殺すつもりだったんだ。

 全てこの怪異を自由にする為に。


「そんなことを繰り返してたら、七人御先は永遠に存在することになるじゃないか!」


 俺を無視して、七人御先は呪いを込めるようにゆっくりと花中の体を落とす。

 腕がぶらりと揺れる。

 このままでは体が落ちてしまう。


「やめろ」


 長い睫毛が影を落とす。

 紅音と同じだ——そう思った途端に蘇る紅音に姿。


「あ」


 睫毛が微かに揺れる。

 震えるように、瞼が開いた。

 その目と目が合う。


「え」


 花中は僅かに微笑んだ。

 それは、死ぬことを悟っているように見えた。

 ずるりと頭から先に屋上から落とされる。


「何でそんな顔をするんだよ」


 諦めたような顔を見たくない。


「さよならみたいな、顔をすんなよ!」


 体が動かない。

 助けなきゃ。花中を屋上から落とされないように。

 そう思っても、人間の体は怪異の力には対抗できない。

 彼女の小さな体が、屋上から落ちて姿を消した。


「見て見ぬふりができないじゃんか!」


「クソ!」自棄になって叫んだ。

 腹の底から吠えた。

 吠えて吠えて吠えて、俺は今だけ人間でいることをやめた。

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