2000年1月3日 9時22分

 暇というか忙しいというか。


 研究所は正月休み。することがない。


 だが育児に休みはない。離乳食を準備しないと。ほんの少しだけだが。いぶきが食べる量なんてまだ茶碗半分にもならない。

 その少量のお粥の作り方を三宅から教わり、今実践しているところだ。



 チャイムが鳴って、授乳中のダンに代わり俺が玄関に向かう。


 ドアを開けると、ダンによく似た黒い肌で金髪の女が待っていた。


「やあレオ。ルナに会いに来た」

マイクMikeか。そうか造船所も休みな訳か」

「君が家にいるってことは、研究所も休みなんだろ? 暇しているか?」

「ああ」


 相変わらず、俺が男っぽいあだ名で呼んでもまったく怒らない。慣れたんだろうけど。ミシェルMichelleなんだからミッキーMickeyでもいいのだが、気に入らないキャラクターが頭をよぎるので却下。


 相変わらずマニッシュな格好で、所作もそうだ。

 髪までショートカットだから、後ろから見たら少し背が低い男に間違えるだろう。

 瑞穂の社会では個性的すぎる。考えつく個性を詰め込んだ感じだな。



 ソファーでうつらうつら寝ていたダンも、久しぶりに姉に会って顔をほころばせた。


「どうだいダン、ルンちゃんの様子は」

「元気だよぉ、歯が生えていないのに噛むと痛いの」


 ガールズトークの一種なのか?



 最近はいぶきに対する態度も和らいだが、マイクの感情には戸惑いも感じる。

 時々、俺を刺すように見るのだ。


 できあがったお粥をダンたちのもとに持っていくと、ダンが意外な提案をする。


「お姉ちゃん、ルナに食べさせてみる?」

「えっ、そんな、分かんないよ……」


 いつもクールな彼女にしては珍しく狼狽した。

 まあ、赤ん坊のことも分からないのだろう。


「大丈夫、お姉ちゃんでもできる。ルナが離乳食に慣れることが目的だから、こぼれても大丈夫」


 マイクはかしこまった表情で頷いた。




 結果的にはドロドロだが、ダンの言った通り、まだ離乳食に慣れさせる期間だ。問題ない。


 でもマイクはなんだか落ち込んでいる。


「子育てって、難しいんだな……」


 これくらいで弱音を吐くな。ダンがどれだけ苦労しているか、いつも見ているから分かるさ。


「でも可愛いんだよ! 我が家にやっと産まれた子どもなんだから、もうこの子がいるだけで幸せ! 苦労も吹き飛ぶよ!」


 ダンがいぶきの頭に頬ずりすると、いぶきが楽しそうに笑った。


 その様子をマイクは、少し憂いを抱えた微笑みで見つめていた。




「この前は悪かった。なんだか、整理がついていなかった」


 最終的にダンは眠気に負けて、いぶきと一緒にお昼寝タイムになった。


 その傍らでコーヒーブレイクしていると、マイクが重々しく俺に謝った。


「いや、いい。確かに、お前の妹と姪のことだ。俺が一人で突っ走ってやったことだし、俺が悪いと思う」


 俺にも非がある。家族の生命を弄んだ。それは結果として事実だ。

 変えられない事実だ。


 マイクは俺の肩を掴んで、慰めるように俺を揺らした。


「わたしも君も、血迷っていたのだろう。でも、確かにルナは可愛い。この世に産まれてきたからには、尊ばれるべきだろう」


 いぶきがステラStellaの遺伝子を組み替えたクローンだと聞いた時、マイクはブチ切れた。

 冷静になって考えれば、妹が実験台にされ、さらにその娘を人工的に創られたと聞けば、怒り狂うと思う。

 いぶきが産まれた時も、病院に来なかった。

 結局はダンが強く促していぶきと会うことになったが、あの時の目が忘れられない。


 おおよそ赤ん坊に向ける目ではなかった。険しい顔で、くまなく探るような、疑うような目。

 いつか聞いたが、最初は自然界に生じた異物を連想していたのだと言っていた。


 そりゃそうだ。自然な受胎でもなければ、死んだ胎児の生まれ変わり。おまけに俺が遺伝情報に手を加えている。


 それが、いつからかこうして、いぶきに会いに来てくれるようになった。

 何の変哲もない人間の赤ん坊だと整理がついてからは、マイクもいぶきを可愛がってくれる。

 やっとできた姪だしな。待たせたとは思う。


「ありがとうな。


 ところで、お前はどうなんだ? そういう、予定は?」

「ん?」


 とぼけているのか、素なのか分からないが、マイクがきょとんとした顔を見せる。


「いや、そろそろ恋人くらいいないと、適齢期に子どもが作れないよなぁ、って思って……」


 変なことを言っただろうか。マイクが頭を抱える。


「わ、わたしだって、自分の血を継いだ子が欲しいさ。でも、まだ運命の人に会えていないというか……」

「こだわり過ぎんだよ。お前だったらひょいひょい男が惚れるだろ? そっち系の趣味の奴が」


 あっ、たまに女も来るって言っていたっけ。


「だがどいつもこいつも、ちょっと雄々しすぎるというか、可愛くないというか……」

「オカマは今までいなかったのか?」

「あいつは髭が濃い」


 いたんだ。


「運命の人ねぇ。お前も今28だっけ? どこかで会っているんじゃないか?」

「もう盗られた……」

「誰に!?」


 こいつの言う、可愛らしくて中性的で、女装させたらそのまま女にも見えるような男!?

 ……いついた? で、同じような趣味の奴が?


「……なんでもない……」


 マイクは気まずそうにそっぽを向いた。


 いつもより、ちょっと女っぽいな。

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