2003年2月14日 12時52分

「レオ君、今日が何の日か知ってる?」

「聖人の命日。古代神話の神に生贄にされた日だから、絶対めでたい日ではないな」

 

 ダンの表情が曇る。きっと、バレンタインデイとか言いたかったのかもしれないが、起源としては人が死んだ日だ。

 

 リビングのソファーに寝っ転がり、携帯型ゲーム機でRPGを進める。さっきからローディングを繰り返しているし、真面目にレベ上げを進めていかないと。

 

 ダンが俺の足元に座り、寝っ転がる俺の膝をペシペシ叩いてくる。

 

「そうかもしれないけど、世の中では恋人の祭日って、ロマンチックな日でしょ?」

「お前がロマンチックと言っているイメージ、多分菓子メーカーの思惑通りだぞ?」

「思惑に乗ったらダメなの? 元々恋人の記念日なんてないんだから」

 

 やけに記念日にこだわっているが、多分チョコレートでもくれようとしているのだろう。だが食べないと決めている。

 いつか、「チョコレートには恋をした気分にさせる成分が含まれている」と聞いて、ダンが俺を糖尿病にしようとしたことがある。あの時期は毎食何らかの形でカカオが出てくるので、あとで問い詰めたら内海うつみ部長の入れ知恵だった。

 さすがに無理やり食わせるものだから、カカオの産物は嫌いになった。

 

 もう鬱陶しいし、目の前のゲーム機に全集中力を向ける。

 雑魚相手に全体攻撃で数を減らす。初期段階でボスだったモンスターの色違いが蒸発していく。あとは残ったモンスターを倒せば——。

 

 ダンが現れた。

 

 ゲーム機との間に顔があるから、スクリーンが見えねえ。きっとゲームオーバーだろうな。

 

「邪魔すん——」

 

 防御態勢を取るまでに、口を塞がれた。

 結構本気で暴れているんだが、力で優るダンには適わず、顔を押えられ好きなようにされている。

 

 放された時には、酸欠状態だ。

 

「バレンタインデイに、特別なキスだね!」

「またトラウマが増えたよ……」

 

 見やれば、いぶきが弱肉強食の一部始終を見ていたようで、俺はしっしと軽く手で追い払う。

 子どもに見せるものではなかったと思う。

 

「そういえば、若葉わかばさんが来るって」

「そういうのは早めに言うんだよ。いつ来るんだ?」

「もうそろそろかな」

 

 実際、チャイムが鳴った。

 

「お前って奴は。俺にもタイミングがあるんだよ」

「レオ君時間くれないじゃん。だから油断させないと——」

「若葉大司教のこと言ってんだ、今日はとことん休むつもりだった!」

 

 玄関に行くと、若葉大司教が赤ん坊を抱き抱えていた。いぶきが家に招き入れたようだ。

 

「恐れ入ります。ルナちゃんが『入ってもいいよ』と仰るのでお言葉に甘えましたが、よろしかったでしょうか?」

「まあ、ここまでなら問題はありません。どうぞ上がってください」

 

 外に付き人を待たせているようだが、その人たちは入ってこないようだ。

 

 先程まで俺が寝転がっていて襲われたソファーに、若葉大司教は赤ん坊を寝かせる。まあ彼は何があったか知らないし、何も言わなければこの気まずい感じも伝わらないだろう。

 

 その赤ん坊は、設計通り真っ白な髪で、肌も両親より数段白い。寝ているから虹彩の色は伺えないが、多分視力に問題は無いはずだ。

 

 大司教と俺たちは、ダイニングテーブルに座る。大司教の隣にいぶきが座り、俺たち夫婦は対面に座る。

 

「もう、3ヶ月半ですか。落ち着きましたか?」

「ええ。お陰様で、育休も貰えましたよ。教皇聖下からお許しもいただけたので、摂津知事の仕事も、副知事にお任せしております。この子が6ヶ月になるまで、緊急時以外はお休みです」

 

 あえて、だろうか。皐月さつきさんのことは触れない。でも、俺が気にしているのは、亡くなった奥さんのことだ。

 

「それもですが、寂しくはありませんか? もちろん、さつき君がいるのは知っていますし、これでも親です、赤ん坊がいると忙しいのは分かります。でも……」

 

 さつき君には、母親がいない。俺もそうだから、とてもいたたまれないのだ。

 話を続けようとしたが若葉大司教は、手で優しく制止する。その左手の薬指には、外さないつもりなのだろう、指輪が光っている。

 

「こうなることは、わたくしたち皆の予想していたことです。皐月も、死ぬことは覚悟の上でしたし、あなたも生理学者なら分かることでしょう。彼女は、それでもこの子を産むと決めていたのです。誰も責められません」

 

 誰も責められない。だからこそ、辛いのだ。

 

「だからと言って、俺にも責任はあります」

 

 そう俺は自分の罪を認めるが、若葉大司教は相変わらずその罪を否定する。

 

「責任とは?」

「だって、俺は彼女の死を止められた。なのに、死因になってしまって」

「いいのです。彼女は、それを望んだのです。アルバーン博士、あなたは私たちの夢を叶えてくださったのです。皐月が、命をかけて望んだ夢を」

 

 もう、分からない。何が正しかったのか。

 俺が、さつき君に刻み込んだ烙印が、どういう意味を持つようになるのかも。

 

 大司教は、さつき君が眠るソファーを見つめ、まるで懐かしむように呟いた。

 

「今も、時々思うのです。私は今、夢の中を生きているのではないかと。あの子が産まれてきたことも、妻が死んだことも。

 でも、あなたも知っている通り、確かにさつきは産まれました。そして、皐月も死にました。主観的にも、客観的にも。

 アルバーン博士には、お礼をしてもしきれません。しかし、せめてもの形として——」

 

 彼は懐から、横長の手帳のようなものを取り出す。何かを書き込むのを覗き込み、それが小切手帳だと気がついた。

 

「よしてください。今回、研究所を通して相談に乗ったのです。うちの部長か所長に渡してください」

「ええ、そうしようとアポイントを取りましたが、断られてしまいましたので、博士に直接お渡しいたします」

 

 大司教は小切手を切り取り、俺の前に差し出す。小切手には今日の日付が書いてあるだけで、金額のところは空白だった。

 

「さつき君に、値段はつけませんよ?」

「ええ、そんなことをされては心外です。でも、あなたの払われた努力には、埋め合わせをしなければと存じております」

 

 思わず鼻で笑ってしまった。

 俺の努力ねえ。

 

 それならば、俺の答えは——。

 

 小切手には、ゼロを1つだけ書いた。

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