第36話 引退

「じゃあ俺たちは引退するけど、お前らは頑張れよ」


 後日のバスケ部の練習にて。

 俺たちが最後の挨拶をすると、ヌマが「やめないでください」と言った。


「ハルさん、まだ辞めないでくださいよ」

「何言ってんだよ」

「ウィンターカップだってあるじゃないっすか! あんな状態で負けるなんて、俺、まだ納得してないっす」

「ヌマ……」

「ハルさんは推薦で大学行けるんでしょ? じゃあまだ部活出来るじゃないですか!」


 後輩たちの顔は真剣だった。

 受験勉強に入る他の三年と違って、俺は推薦で大学に行けることがほぼ決定している。

 ただ、インターハイに出れなかったことで、第一志望の大学への推薦は無理になった。

 今は、受験をしてでもその学校を目指すのか、諦めて他の大学に推薦で入るのかを迷っている段階だ。


 でも。

 ここにいつまでも残るのは、何だか野暮な気がした。


「俺はいいよ、もう……」


 俺の言葉を後輩たちは静かに聞いている。


「次はお前らの世代だ。俺がいつまでも居たんじゃ、邪魔になるだろ」

「邪魔になんかなるわけないじゃないですか!」


 ヌマがすかさず言葉を被せる。

 どうしたものかな。

 上手く言葉を紡げずにいると、鉄平がそっと俺の肩に手を置いた。


「やれやれ、人気者だなぁ? 俺たち」

「あ、鉄平さんは大丈夫です。受験勉強どうぞ」

「なんでっ!?」


 俺たちが体育館を去る時。


「ハルさん、怪我なおしたら戻ってきてください! 俺たち、待ってます!」


 背後から、ヌマが声を掛けてくれた。

 その声に、俺は左手をヒラヒラと振っておく。

 いつかの小島みたいに。


 俺の右手は、包帯でぐるぐる巻きになっていた。

 コルセットで完全に固定されている。

 骨こそ折れていなかったが、かなり酷い捻挫になっていたらしい。

 関節の炎症が酷く、一ヶ月は様子を見ろと怒られた。


 どのみちインターハイまで進めても、出ることは出来なかったな……。


 それでもよかった。

 やれるだけのことはやったし。

 仲間もそれで納得してくれた。


 最後の試合で無理をしたのは、俺のわがままだ。

 大人しく交代して仲間に託していれば、結果は違ったかもしれない。

 それなのに、俺のエゴに、全員を巻き込んだ。

 本来なら、恨まれてもおかしくないはずだ。


 でも、誰もが、あの試合では俺がいなければならなかったと言ってくれる。

 その言葉が、せめてもの救いに感じた。


 あの試合での俺のパフォーマンスは悪くなかった。

 むしろ集中していた分、普段よりもよかったかもしれない。

 得点率もかなり高かったし、俺だけじゃなくて全員調子はよかった。

 プレーにも遠慮はなかったと思う。


 それでも負けたのだから、単に相手が強かったのだ。

 仕方がなかったのかもしれない。

 でも、悔しさは胸の中に残っていた。


 大袈裟かもしれないが、あの試合以降は、まるで余生を生きているような心地だ。

 何をやっても空虚に感じるし、ハリもやりがいもない。


 何で俺、今まで頑張ってたんだっけ。

 そんな気持ちすら湧いてくる。


 部活をやめてからと言うもの、何となく学校に行って、何となく家に帰る日々。

 家で勉強をしてみても、何だかはかどらない。


「俺、今までどうやって時間潰してたっけな……」


 それすらも分からなくなっていた。


 ◯


 今日も放課後のチャイムが鳴る。

 ホームルームが終わると同時に、俺は立ち上がった。


「ハル、今日どっか寄っていかない?」


 小島が声を掛けてくる。

 こうして遊びの誘いをされるのは久々だった。


「どうしたんだよ、珍しいな」

「最近元気ないじゃん。たまには気分転換した方が良いよ」


 さすがに察しがいいなと思う。

 俺たちの関係が変わってないとは言え、以前のように声を掛けるのは勇気がいるだろう。

 彼女なりに気を使ってくれているのだと感じた。


「あー……、すまん。今日はやめとくわ」

「水樹ちゃんと出かけるの?」

「そういう訳じゃねぇんだけどな。ちょっと今は遊ぶ気持ちになれなくてよ」

「そっか……」

「せっかく誘ってくれたのに、悪ぃ」

「別に良いんだけどさ。ハルが元気ないと、こっちも調子狂うじゃん」

「……だな」


 小島に頭を下げて、逃げるように教室を出た。

 昇降口で靴を履き替え、校門へ。


「ハル先輩」


 やがて、校門を抜けたところで、背後から声を掛けられた。

 柚だ。

 息を切らしている。走って来たのだろう。

 俺は彼女にそっと手を振る。


「この前の試合はありがとな。無茶言っちまってすまん」

「それは……全然良いです。ハル先輩が決めたこと、私も、応援したかったんで」

「それで、どうした。女子はもうインターハイだろ」


 インターハイが始まるのは七月の終わり。

 約一か月後だ。

 今、女子バスケ部は来る試合に向けて追い込みの時期に入っている。


 すると柚は「今日、練習見に来ませんか?」と言った。


「シュートとか、見てもらいたくて」

「女子の練習に?」

「はい。怪我してる間だけでもって。どうですか?」

「それは……」


 柚のキラキラした目が俺を見つめる。

 俺にフラれても、彼女は以前と変わらず俺に接してくれる。

 それがとてもありがたいし、今の俺には少しだけ辛い。


 彼女のまっすぐさは、時に俺の澱んだ心を大きく照らす。

 いつもならまぶしく感じていたその光が、今は胸に痛い。

 バスケに夢中になれる俺の日々は終わったんだ。

 そう実感させられるから。


「悪い。やめとく。俺、もう引退したから」

「えっ?」

「三年で話し合って決めたんだ。元々みんな受験だったし、そろそろだなって」

「でも、ハル先輩は指定校があるじゃないですか!」

「それも……どうしようか迷ってる。とにかく、邪魔したくねぇんだ」

「邪魔なんかじゃないです! ハル先輩が来てくれたら、心強いです」

「すまん……」


 俺は、踵を返してその場を後にする。

 何だか、バツが悪い。

 自分の中の自信が打ち砕かれているのかもしれないと、何となく思った。


 いつもの皆の笑顔が、妙に心を締め付ける。

 期待に応えられなかった。

 失望させちまった。

 そんな気持ちが、自分の中にあった。


 以前は、迷い何てなかったはずなのに。


 水樹とも、あの試合の日以降会えていない。

 お互いに用事があってスケジュールが合わないのだ。


 ……嘘だ。

 本当は避けていた。

 水樹から連絡は来ていた。

 でも俺は「ああ」とか「そうだな」とか。

 まともな返事をせずにいた。


 部屋のベッドに横たわって、何となく目を瞑る。

 早く時間が過ぎちまえばいい。

 寝て、起きて、学校行って。

 それで残りの高校生活を消化出来れば、それでいい。

 そう思った。


 ピンポーン。


 不意に、インターホンが家中に鳴り響く。

 来客だろうか。

 放っておけばいい。おふくろが対応するだろう。


 ピンポーン。

 ピンポーン。

 ピンポーン。


 何度もインターホンが鳴り響く。

 かなりやかましい。

 俺はゆっくりと体を起こした。


「おふくろ居ねぇのかよ……」


 のそりのそりと玄関に降りてドアを開く。


「あっ……」


 そこには、水樹が立っていた。

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