第35話 そして

 呆然と、ただ静かにゴールリングを眺めていた。

 終わったのか。

 長いマラソンを走り終えた時のような、妙な達成感と虚しさが胸を埋める。

 今更になって、疲労感が湧き上がるのを感じた。


 不意に、ポンと肩を叩かれる。

 鉄平だ。


「ハル、整列」


「あ、あぁ……」


 試合が終わって整列した時。

 部員の皆が泣いているのが分かった。

 泣いていないのは、俺と鉄平だけだ。


 とぼとぼとベンチに戻る皆の背中を見て、俺は肩を落とす。


「みんな……あんな啖呵切ったのに、マジですまん」


「謝るな、ハル」


 頭を下げた俺に、鉄平が言葉を被せた。


「お前が居なきゃ、誰もここまで来れてねえよ。俺らはベストを尽くした。それで負けた。それだけだろ?」


 鉄平の言葉に、全員が頷く。

 その優しさに、その厳しさに、心が救われる気がした。


「ああ……。ありがとな」


 ベンチに戻った俺に開口一番「近藤、お前は医務室行け」とコーチが言った。


「手首、かなり酷くなってるぞ」


「本当だ……」


 見ると俺の手首は真っ赤に腫れ上がっていた。

 骨折していないといいが、どうなっているかは最早分からない。


「女バスの試合もさっき終わってな。見神が手当てしてくれるそうだ。医務室で合流しろ。それ終わったら、俺の車ですぐ病院に迎うぞ」


「はい」


「深山、付いて行ってやれ」


「いいです、コーチ。一人で行けます」


 ユニフォームのまま、医務室に重い足取りで向かう。

 すると「ハル先輩!」と向かい側から柚が走ってきた。

 ジャージを着ている。


「めちゃくちゃ腫れてるじゃないですか! すぐ手当しましょ!」


「お前も試合だったのに、迷惑かけるな」


「言いっこなしです!」


 柚に背中を押されながら医務室に入り、シップとテーピングをしてもらう。

 相変わらずの上手さだ。

 安心して任せられる。


 すると、不意にポロポロと水滴が零れ落ちた。

 柚が涙を流していた。


「おい柚、何でお前が泣いてんだよ。女バス、インターハイ出るんだろ?」


 しかし柚は大きく首を振った。


「だって、だって! あの怪我が無かったら、男子だって絶対勝ってたのに!」


「アレは実力で負けたんだ」


「そんなことありません!」


 ギュッと柚の手に力が入る。


「あだだだ! 痛いって!」


「あ、すいません。つい……」


 その時、不意に人の気配がして。

 入り口に水樹たちが立っていた。

 皆が皆、沈んだ顔をしており、水樹と尚弥は泣いている。

 椎名と小島は泣きこそしていなかったが、今にも泣き出しそうではあった。


「おいお前ら、ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ」


「だって、ハルにぃ……僕、悔しくて」


「尚弥、お前が泣いてどうすんだよ」


 俺が手招きすると、水樹と尚弥が中に入ってくる。

 水樹は鼻水まで流して、ぐしゃぐしゃの顔で泣いていた。

 思わず笑ってしまう。


「水樹お前、酷い顔だぞ」


「だっでぇ、ハルにぃ。私、何も気づけなくて……」


「馬鹿、お前のせいじゃねぇよ」


「でも!」


「アレは、俺の負けなんだ」


 額からポトリと汗が落ちる。

 地面にぶつかって爆ぜた水滴を、俺は静かに眺めた。


「……あの時、あのシュートを外した時。時間はあった。それだけあれば、走ってリバウンドを拾うことも出来たし、仲間にパスすることも出来た。でも俺はそれをしなかった」


 俺は顔を上げる。


「あのシュートを外した時、俺は負けを受け入れちまったんだ。気持ちで負けたんだ。あの時だけじゃねぇ。去年出れたから今年も余裕とか、予選は目じゃないとか、そんな気持ちがどこかにあった。でも、相手のチームは違った。必死だった。めちゃくちゃ強くなってたから、かなり練習したんだろうな。気持ちで負けたんだ、俺は」


 俺はそっと、水樹の顔に手を伸ばすと、頬を伝う涙を拭った。


「泣くなよ、水樹。俺はもう、お前らからたくさんのものをもらってんだからよ」


 俺は尚弥と水樹に笑みを浮かべる。


「決勝の最中、何度も心折れそうになったよ。交代させてもらってもよかった。でも、諦めたくなかったし、諦めなくてよかったって思ってる。それが出来たのは、お前らのおかげなんだ」


「私たちのお陰……?」


 水樹の言葉に、俺は頷く。


「お前らの兄貴でいようとしたから、今まで頑張って来られた。俺がここまでこれたのは、お前らのおかげなんだ……」


 だから、これだけは伝えておきたい。


「ありがとう」

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