第37話 賭け

 玄関のドアを開くと、そこに水樹が立っていた。

 会うのは試合ぶりか。

 あの試合以来、尚弥とも水樹ともまともに話せていない。


 俺の前に立つ水樹は、酷く不機嫌そうな顔をしていた。

 腰に手を当てて、ふんぞり返っている。


「よぉ、今日部活休みか」


「休みだけど、そうじゃない! 何やってるの、ハルにぃ!」


「何がだよ」


「可愛い幼馴染みほったらかして、連絡しても全然まともな返事こないし、会いに来たらゾンビみたいな顔して引きこもってるし!」


「そりゃ……心配かけたな」


「違う!」


「何がだよ」


「いつもならとぼけた顔して『そうかぁ?』とか言うとこじゃん」


「そうだったかな……」


「どうせ試合に負けてへこんでるんでしょ? ハルにぃは本当にヨワヨワのザコザコなんだから」


「そう、かもな……」


 俺は俯く。

 自分の声が尻すぼみになるのを感じた。

 そんな俺を見て水樹は口をへの字に曲げる。


「出かけよう! ハルにぃ」


「今からか?」


「今から! ちょっと散歩するだけだから」


「お、おお……」


 水樹に左腕を引っ張られ、外に連れ出される。

 俺はほとんど部屋着のまま、サンダルという簡素な出で立ちだった。


 今日はずいぶんと強引だな。


「いつまでも家でウジウジジメジメしてたら腐っちゃうよ!」


「やれやれ」


「ため息吐かない!」



 水樹と街を歩く。

 ぼんやりとした夕焼けの風景だ。

 河辺の道を二人で歩く。


 そう言えば以前もここ歩いたな。

 あの時は柚や聡実と会ったんだっけ。

 アレから随分色々なことがあった気がした。


「この前は悪かったな、みっともない試合見せて」


「みっともなくなんかない」


 水樹は唇を尖らせる。

 その顔は少し照れているように見えた。


「格好良かった」


「そっか。ありがとな」


 水樹はそう言うと、チラリと俺の方を一瞥する。

 その視線は、俺の手首に向かっていた。


「怪我、酷いね」


「見た目ほど大したもんじゃねぇよ」


「骨とかは? 折れてないの?」


「ただの捻挫だ」


 水樹はそっと俺の手を取った。

 痛めないように、慎重に。


「どうしてあんな無茶したの?」


 俺は頭を掻いた。


「格好悪いところ、見せたくなかった」


 何となく目が合わせ辛くて、川を眺める。

 夕陽を反射した水がキラキラと輝いて、視界を光で照らしていた。


「お前らの前で、ちゃんと俺が頼れる兄貴分ってところ、見せたかったんだ」


「それって、私たちが見てたせいでハルにぃに無茶させたってこと?」


「違ぇよ。……どのみち、あの試合は自分で出るつもりだったんだ。お前らが居たから、俺は頑張れた。最後まで立っていられたんだ」


 俺は目を瞑って思い出す。

 去年のインターハイ予選の情景を。

 インターハイ出場が決まった時、嬉しかった半面、少しだけ引っかかる部分もあった。

 心から喜べていない自分が居ることに気づいていたのだ。


「去年は先輩たちのおかげで出れたところもあったし。俺の代で、ちゃんと自分の手でインターハイへの切符を勝ち取りたかった」


「まぁ、出来なかったけどな」と、思わず乾いた笑みが漏れる。

 そんな俺の言葉を、水樹は笑わず聞いてくれていた。


「でも、まだ終わりじゃないでしょ?」


「何がだ?」


「バスケ部の三年生って冬も試合あるよね」


「詳しいな」


「お兄ちゃんが言ってた。ハルにぃも、それに出るんでしょ?」


 俺は俯く。


「俺な、部活引退したんだ」


 すると水樹が体制を崩してけそうになった。

 慌てて体を支えてやる。


「おい、大丈夫かよ?」


「聞いてない……」


「今初めて言ったからな」


「だから、聞いてない!」


「だから今初めて言ったって言ってんだろ」


「そうじゃなくて!」


 水樹は声を荒げる。

 何を怒っているんだ。


「そんな大切な話、全然相談してくれなかったじゃん……」


 彼女の瞳は、酷く悲しそうだった。


「ハルにぃ言ったじゃん。色々片付いたら、彼女になってって」


「あぁ……」


「じゃあ、何で相談してくれないの? 私はまだ、ハルにぃにとってただの妹なの……?」


 水樹の声は震えていた。


「知ってたけどさ。私じゃ頼りないし、ハルにぃと対等じゃないって。でも、話くらいして欲しかった」


「これは別に他の奴にも言ってねぇよ。バスケ部の三年だけで決めたんだ」


「それでも! 私は、ハルにぃが悩んだり、しんどかったりした時、力になりたいの!」


「つっても、お前、雑魚だの弱いだの言って来るじゃねぇか」


 俺が突っ込むと、水樹は「うぐっ」と言葉に詰まった。


「確かにいっつもバカにしてるけど。ちゃんと、時と場面くらいわきまえるよ……」


「それに」と水樹は続ける。


「ハルにぃは、本当にそれで満足なの?」


 満足、か……。


「納得はしてるよ。俺たちが居たら、下の代が活躍出来ねぇからな」


「でもみんな、反対したでしょ? あんなに慕われてたんだし」


「まぁな。でも決めたことだしな」


 水樹はこちらにずいと歩み寄る。

 俺の胸元に、水樹の顔があった。


 すると水樹は、そっと俺の頬に両手を添える。


「悲しそうな顔してる」


 ドキリとした。

 ずっと言葉にしなかったことだ。

 胸の奥に仕舞おうとしていた、自分の気持ちを言い当てられた心地だった。


「ハルにぃは、私にとって頼れるお兄ちゃんで、大好きな人で、いっつもまっすぐで、自分の気持ちを貫く人だよ」


 水樹は真剣な表情で、俺の顔を覗き込む。


「自分の目標とか、信念とか曲げなくて。昔からそうだったし、久々に再会した時も変わってなくて、すっごく安心した。だから、そんな悲しい顔したままなのは嫌だよ」


「水樹……」


 すると水樹は、俺の方を向いたまま、前方へ歩いていく。


「ねぇハルにぃ。賭けしない?」


「賭け? 何だよ急に」


「私ね、今度水泳の試合があるんだ。って言っても、いくつかの水泳部と合同でやる練習試合なんだけど。大会で記録持ってる人も何人か出るって。学校のプールじゃなくて、公式戦で使うような大きいプールでやるんだよ」


「良いじゃねぇか。応援するよ」


「だからさ、そこで私が勝ったら。そしたら――」


 水樹は俺を見る。



「もう一度バスケやってよ、ハルにぃ」


 その言葉に、俺は息を呑む。



「ハルにぃが本当に納得してるならそれでいい。でも、納得しようとしてるだけだよね?」


 言葉を返せない。

 図星だった。


「受験もあると思うけど。ハルにぃなら、部活と両立出来るんでしょ?」


「そりゃ……出来なくはないけどよ」


「だったら、諦めないで。ちゃんと夢を追ってほしい」


 夕焼けに照らされた水樹の瞳は大きく、真剣なまなざしは光が宿って見えた。

 今までにない、強い意志を感じる。


「ハルにぃが納得する結末にたどり着いて。だってハルにぃは私の……ヒーローなんだから」


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