第10話 試験を受けたら爆死するしスマホの画面もバキバキに割れる


 5歳ほど年上の原さんが「わ、若さだよ」とイスに背なかをあずけ、遺跡で発掘されたミイラのようなゲッソリ顔でおれを見て、おれの若さをたたえた。


 若さと言われても、休みまったくなしで事務所に泊まることもたびたび、休日出勤も深夜労働もくそくらえの22連勤のすえ、どうにか、どうにか仕事をこなしつづけて月末をのりこえることができたおれもまた、イスに横たわりつつなかばミイラのごとき様相ようそうとなっていたと思う。


 いっそたおれてしまったほうが楽だったと思えるほどの苦行だった。


「おう、ようやったな」


 利根とね先生がくると、むぞうさに封筒をおれと原さんの机に置いていった。


「すくねぇけど、ボーナスだ。金がありゃあ疲れなんてものぁ吹っ飛ぶからな!」


 ガッハッハと豪快に笑ったあと、イスにドスンとすわっておれたちを見ながらつづけた。


「急すぎて最初の月はどうしようもなかったがな、おめぇーらの根性もわかったし、今月はひたすら客まわりして、報酬と労力の見合わない客に値上げか解約かをえらんでもらっていくぞ。そうやって仕事しぼっていけば今回みてぇな苦労はしずにすむだろ。だいたいこぉんなやっすい金額で仕事とりゃがって、安けりゃどんな無能だって仕事とれんだよ、ったく常識だろうが」


 とブツブツと元社長への不満を言っているので、おれと原さんはとりあえず「ありがとうございます!」とおがみながら封筒をいただきつつ、ちらと顔を見合わせる。


「そのー、客まわりというのは、ぼくたちで行くんでしょうか……?」


「金の話は所長の仕事だよバァーヤロー! 正式にうちの事務所で引き取ってやるよおまえらふたりともよ。なぁに、おれはジジイだから『老い先短いんでそんなにお客さんを維持できなくってぇゲホゲホ』って言や向こうも『同じ金額でなにがなんでも継続しろ』とは言えねぇだろ!」


 またガッハッハと笑うが、お年寄りジョークにおれと原さんは笑っていいものか判断がつかず、なんともいえない表情でとりあえず頭をさげる。

 反応はしにくいが、元社長にお客さんの値上げが必要なとき「さらっと言っといて。さらっと」と丸投げされたことがある身からすると(めちゃくちゃ言いにくかったし、言われたお客さんからは「未来永劫この値段だって言うから契約したんだぞ!」と激怒された)、利根先生のことばはものすごくありがたい。


 とはいえ、やはりまだ2~3カ月は先月のような日々がつづくであろうとのことで、結局すぐには生活が変わらないまま必死に仕事をこなしていると、1年に1度しかない資格試験の日が来た。

 受験のための願書こそ出していたものの、もうやる気もゼロに等しく、こんないそがしすぎる状況で試験なんて行けるわけがない、と、てんから仕事をする気でいたら原さんが声をかけてきた。


「ことしの試験、いつ?」


「火曜ですけど……もう、ことしはいいですよ。ムリムリ。この1カ月まったく勉強できてないですし」


「でもそのまえは勉強してたんでしょ」


 めずらしく、原さんがするどい語気をはなってつづける。


「行きな。行かなきゃ受かる可能性はゼロのままでしょう。受ければ、1パーセントでも2パーセントでも合格する可能性が生まれる。ゼロか1かは、数字としてはほんのわずかでも、実際にはものすごく大きなちがいだよ。1日ぐらい、仕事はこっちでなんとかするからさ」


 原さんは、大学生のときから8年試験を受けつづけ、自分にはほとんど受かる見込みがないからやめてしまった、ということを以前ちらと話していたことがある。

 その思い入れもあるのか、真剣な表情に押され、おれは試験の日だけ休ませてもらうこととなった。


 そのあいだに元社長が東南アジアへ出国しようとしていたところを逮捕された、というニュースを聞きつつ、タケシさんと電話して夜逃げの件を陳謝すると、


「まあ、ちょっと、うさんくさかったもんなあんたんとこの先生。おれはリョウタロウっていうひとりの男にたのんでるつもりなんだから、あんたがつづけてくれるんならそれでいいんだ。まあ、ただ……」


 タケシさんは一度ことばを濁したあと、受話器のむこう側から涙がにじんでくるような声音こわねで、つづけた。


「ばあちゃんが、ついこないだ肺炎をこじらせて亡くなっちまってよ……。年も年だったし、大往生って感じで眠るようにったから、きっと、苦しくはなかったろうと思うんだが、おれぁ、最近なにも手につかなくてよ……」


 おれは電話ごしに絶句し、「えっ、そ……そうなんですか……ご愁傷さまでございます……」となんとかお伝えするのがせいいっぱいだった。


 おれがカバネちゃんと出会うきっかけになった、おばあちゃんが亡くなってしまった……


 まだあれから2カ月程度しかたっていない。

 あのとき、おれが必死に走ってどうにか成し得たことは、結局おばあちゃんが2カ月間ながらえるだけの意味しかなかったのか?

 

 カバネちゃん、予測できなかったんだろうか。

 いや、直近の情報しかわからないとか、防ぎようがないこともあるとか、言ってたような気もするなそういえば。

 病気だとまあ死神ではどうしようもない部分なのだろうな。


 というか、最近カバネちゃん見てないな。

 いそがしすぎて気づかなかった。

 おれが事務所に泊まることも多かったから、居場所がわからなかったのかもしれない。

 わるいことしたかな。


 など、受験会場にむかう電車内で、暗記した法律の条文を口のなかでとなえつつ、カバネちゃんのことを思い出し、ああそういえばあの経費についてお客さんに質問しないと、と雑多な思考が頭をめぐっている(つまりまったく集中できていない)状態のまま、気づいたら2時間の試験が終わっていた。


 ――もう、びっくりするほど、手ごたえがなかった……


 自分の理解力のなさ、記憶力のなさ、集中力のなさ、そうした絶望的なまでの自分のあらゆる頭のわるさに絶望しながら、ふらふらと駅まで歩いてトイレの個室にはいった。

 ドゴンと、後頭部がトイレのドアにぶつかる。


 原さんに気をつかってもらって、よけいな負担をかけたすえに、結局不合格まちがいなしってなんなんだよ…… 


 口からよだれがたれ流れてしまいそうなほど、全身にちからが入らない。

 おじいちゃんのようなプルプルとした手のうごきでスマホをとり出し、時間を確認すると、15時だった。


 そしたらまだひと仕事できるし、これから出社するか……


 あとから考えれば完全に感覚がぶっこわれていたのだが、試験会場のある、普段は来ないここの駅から会社までは、30分ちょっとあれば行ける。

 夕飯の弁当も買ってしまって16時から仕事をはじめても、7~8時間はできるだろうと無意識に勘定していた。


 あまりにも長時間労働になれてしまった結果、という感覚が生まれるようになっていた。


 そうしてはぁぁぁぁと深く、肺から空気をすべて追い出すような長いため息をついていると――


「んばぁ」


 目のまえにとつぜん顔があらわれた。


「んのわぁぁぁぁ!!!」


 とおれは反射的に大声でさけび、腰をぬかす。

 トイレの床にドスリと尻がついた。


「アハハハハハ、リョータロぉぉぉぉぉ」


 よく見ると、トイレのドアから死神のカバネちゃんの上半身(主に顔と、のびた舌とピアスと、ひらひらとふる両の手)が透過している。


「おま、おま」


 おれは舌がもつれながらもカバネちゃんへいきおいよく抗議をする。


「とつぜんやめろよぉぉぉ! いま、そういう気分じゃないんだよぉ!」


「あ、そうなのぉぉぉ? ごめんねぇぇぇ私に会えなくてさびしい思いをしてるだろうしサービスしてあげよっかなって思ったんだけどぉぉぉ」


「人間界における『サービス』をまなんでから出直してくれ!」


 言いながら、はぁはぁと呼吸をととのえる。


「ごめんねぇぇぇ」


「はぁ……でも、ひさしぶりじゃん。もしかして、あれ? 最近おれ会社に泊まってたりしたから、居場所がわからなくてさがしてたとか……?」


「んーん」


 カバネちゃんはふよふよと浮遊して、トイレの個室のなかへとはいってきた(自分がズボン脱いだ状態じゃなくてよかった)。


「私は、ときどき、リョータロのこと見てたよ。たまたまおねがいするようなことがなかっただけ」


「あ、そうなの。こっちからは見かけなかったけど……。声かけてよ」


「なんかいそがしそうだったからさぁぁ、わるいと思ってねぇ。リョータロ、ここのところずいぶん疲れはててたねぇぇ」


 カバネちゃんはあいかわらずのゾンビみたいな顔色で「フヒッ」と笑った。


「ああ、ちょっと、社長がタイホされたりまあなんかいろいろあってね……。きょうも1カ月以上ぶりぐらいに休みとって試験受けにきたんだけど、ボロボロで、ハハッ」


 かわいた笑いしか出てこない。

 が、これじゃただの愚痴だ、リアクションしにくいじゃんと気がつき話題を変える。


「あっ、で、きょう来たってことはこの近くでなにかあるの? また電車関係?」


「んーん。私だって、おねがいしたいとき以外にも顔出したりするよぉ。リョータロも私に会いたいだろうしぃ、サービスサービスぅ♡」


 と言いながら、カバネちゃんはギャル雑誌の表紙でしているようなポーズで両手をつきだし、ウィンクまでして見せた。

 こうして見ると、顔色こそ土みたいだが、非常にかわいらしさがかもし出されていろいろごまかされてしまいそうになる。


「サービスの意味わかってんじゃん……ってことはさっきの絶対おどろかせようとしてやっただけだよね!?」


「ワタシ死神だからよくわかりませんんんん」


 ケラケラと笑うカバネちゃんに、「ね、ちょっと移動しながら話そうよ」とうながされて個室を出ると、小便器で用を足している男性がギョッとした顔でこちらを見る。

 やっべ、個室でひとり奇声をあげてる人だと思われたかも、とあせってあわててスマホを耳にあて、だれかと会話してる感を少しでも出す。


「きょうはもう帰るの?」


「あー、どうしようかなと思ってて。まあでもこれから会社行ってもうひと仕事――」


 と言ったところで、おれはさっき以上にびっくりして、思わずスマホをとり落としてしまった。


 ちょうどトイレを出た先のホームで、たぶんおれと同じぐらいおどろいてフリーズしている、まったく連絡がとれなくなってしまったはずのミオナさんがすぐ目のまえにいたから――


 コンクリートと衝突したスマホの画面が、バキバキに割れてしまったことにも、反応ができない。

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