第4話 男子高校生に抱きついて歓喜と絶頂の声を発する不審者おじさんと成り果てる

 朝、目がさめるとバッタに転生してしまったかと思うようないきおいではね飛んで、かけていた布団をふき飛ばす。


 ――えっ、いま、何時?


 スマホで時計を確認すると、7時まえだった。

 大急ぎで、母親へ送信予約していた遺書メールを取り消す。

 ギリギリ間に合った。


 ほっとひと息をつきながら、スマホのカバーに入れていた名刺を1枚取り出す。

 以前、お客さんへのごあいさつのときに名刺をわすれてしまい、社長の口内って火炎放射器が仕込まれてたんだなと思うほど怒られたことがあった。


「絶対に、100%、忘れないところに何枚かは入れとくモンなんだよ名刺ってモンはよぉ!!」


 それはもうぐうの音も出ないほどそのとおりだと反省し、以来スマホカバーに常時4枚ほど入れるようにしている。


「また後日、ちゃんと連絡するからよ」


 そのおかげで渡せた名刺を手にもち、そう言ってお兄さん(タケシさんと名のっていた)はおばあさんと去っていったが、まあお礼目あてにたすけたわけでもなし、「ごはんだけで、ダイジョブです。うまかったです。あざました」と頭をさげて別れたのがきのうの夜。


 部屋のなかの布団とブルーシートをながめながら、死神を名乗っていたカバネちゃんのことを、思い出す。


 ――彼女は、本当に存在したんだろうか。


 といって、おれが見ず知らずのおばあちゃんの危機を夢に見るような特殊能力があったとも思えず、実際に彼女の言うとおりにコトが起きた以上、どうも存在をてんからうたがうこともできそうにない。


 きょうはさいわい、土曜日かつ休日出勤せずに済んだ日(なぜならサービス残業をして仕事をきれいにしていったため)なので、ひとまずきょうのノルマをすませてしまおうと、インターネットで資格の勉強のための動画講義を4時間ほどみる。

 おわったら、きのうの疲れものこっていたのか、少しねてしまった。


 自殺しようとした翌日に、いつもどおりの日常を送ろうとしている自分に、違和感をいだく。

 と言って、実行の寸前まで行き、どんな理由であれ中絶された気もちは、またかんたんにもとにもどるものでもなかった。


 ――いま死ねないなら、この先も、みじめに生きつづけるしかない。


 そんなことばが、頭にうかんだ。

 同時に、いやいや、やむなくおなかにたらふく入れてしまったからいまは一時休止しているだけで、ちょっとおなかをからっぽにするのには足りないだろうが、しょうがない、日曜の夜に再挑戦してもいいはずだ、という思いも去来する。


 ふと、ドアノブに引っかけたままのロープが、目にとまった。

 地獄への入り口のように、人の首を入れるためにあけられた輪っかが、じっとおれのことを見ている。


 マンガとかだと、死に瀕した際に特殊能力に目ざめるケースは多々あり、もしかしたらおばあちゃんの危機を察した自分もそんな感じなんではないかという仮説がふと頭にきざした。

 ちょっとためしてみようかと、ロープの輪っかに首を入れる。

 そうすると、


「……まだあきらめてないのぉ?」


 というのんびりとした声がきこえた。


「やっぱり、夢じゃなかったのか」


 おれは窓からニュルリと上半身を出して侵入してきたカバネちゃんを見て言う。


「夢、うたがう要素あったぁ? こんなかわいい子つかまえて、出会えた奇跡をうたがうだなんて、ニンゲンは失礼だねぇぇ」


「かわいい、ねえ。顔色はゾンビみたいだけど」


「死神だからねぇぇ。それはしょうがないよねぇぇぇ」


 カバネちゃんは、たのしそうに両手で顔をはさみ、絶叫するようなポーズでくるくると空中を縦回転した。


 まあ、カバネちゃんの顔立ちが非常にととのっており、かわ、うん、まあ、顔色がゾンビっぽいだけで顔立ちそのものはかわいい、ものすごくかわいらしいことは否定しないけど、と内心思っていると、カバネちゃんは空中で横になりピタッととまった。

 じっとりとおれのことをにらみつける。


「あなた、いま私が声かけなかったら、足をずるりとすべらして首が絞まって即死してたよ。それ、はずして」


 低い声色で、圧がある。ありていにいえば、こわい。

 またもらしてしまってはよくないので、おれは「はい」とこたえてすなおに首のロープをはずした。


「えっ、なに、死ぬかどうかがわかるの」


「直近で、この付近で死ぬ予定の人のね、情報がまわってくるの。おむかえに行かなきゃいけないからねぇぇ」


「それ阻止しちゃっていいの?」


「ニンゲンはさぁ、ふえすぎたよねぇ。ほっといてもバンバン死んで、どうせこっちは手がまわってないんだから、私ひとりぐらい好きにしててもなんも言われないよ。防ぎようがないときはふつうに仕事してるしねぇ」


「ふぅん」


「あなたが死ぬのをとめて、おばあちゃんも死ぬのをとめさせて、あなたの生きる希望みたいなのをわかせてそもそもの死ぬ気をなくすって一石三鳥の案だと思ってたんだけどねぇぇぇ。なかなか、しぶといねぇ」


 カバネちゃんは空中でさかさまになっておれにずずいと近づき、へらりと笑った。

 目のまえでだらりと垂れた舌のピアスに、その静脈の血のような赤とうずまる金に視界がそめられて、目をはなせなくなる。


「ね、死んだら、ダメだよ。私のためにも、生きてよ」


 カバネちゃんのまっすぐな、けれどひとみの奥に“病み”といえばいいのか、なにか黒く淀んだものをはらんだ視線にたえきれなくなり、どうにか首を落として視線をはずす。


「キミのためって、言われてもな……」


「…………ね、おもしろい情報が、あるんだぁ」


 カバネちゃんは、またおれからはなれ、「フヒッ」と笑った。


「あと10分ちょっとしたらさぁ、駅のホームに、仲のいい男子高校生ふたりがくるんだよねぇ。片方が、じゃれあってドンとからだをぶつけたら、もう片方がころんじゃって、線路のうえに顔が出ちゃうの。そこへちょうど通過電車がきて、甲高いブレーキの音と、まわりの人の悲鳴がひびくなか、その子の首からうえは、悲惨なことに……。ああ、かなしいよぉ。まわりの人たちもトラウマだよねぇそんなの。だれか、それをとめてくれる人が、いたらいいんだけどなぁぁぁ」


 カバネちゃんはその「だれか」をさがすように、あらぬ方向を見ながらしゃべるが、それがだれのことを指しているのかは明白である。


「なんであと10分で言うの!? また全力ダッシュしないと間に合わないじゃん。イヤだよただでさえきのうひさしぶりに走って筋肉痛なんだから。もう足パンパン。じゃれあってなんて、そんなん、自業自得じゃん。おれにできることなんてないってイヤイヤ」


「そんな事前にわからないよぉ。準備万端なときだけなにかが起こるなんて、ニンゲンの人生で、ありえると思う? あぁ~あ、そっかぁ。未来ある高校生が、むざんに、こんなところで命を散らすんだねぇ。いまならたすかる命なのに。きのう、あのお兄さんがすごく感謝してくれてたみたいに、その子の家族もきっとよろこぶと思うんだけどねぇぇぇ」


 そう言われて、きのうの、深々と頭をさげてくれているお兄さんのすがたが脳裏に浮かんだ。


 また、このあいだちょうど中学生になった、甥っ子のハルトくんが脳内でおれに手をふる映像もまた浮かんだ。

 ハルトくんは、これからはわからんが、いまはまだこんな冴えないおじちゃんにもやさしくしてくれるとてもいい子だ。

 そういえばまだ小学生のとき、突然電話がかかってきて「新しいポケモンがほしいのぉぉぉぉ」と泣かれ、しかたないと買ってあげたらこんなおれにも抱きついてきて「おじさん大すき!」と顔をうずめてくれたことがあった……


 そのハルトくんが電車にひかれてしまい、とつぜんいなくなってしまう想像にいたると、ホロリと涙がにじんだ。


「えぇいしかたない! 今回だけ、今回で最後だからな! 駅!? 駅のホームって言ったな」


 さいわい、きのうとはちがいラフな部屋着(小ぎれいともいえないがこの際しかたがない)は着ていたので、カギとスマホだけを手にとってまたはしり出す。


 きょうもまた、3分もはしると全力疾走したあとのいぬのようにベロがだらしなく出る。

 ストレスで身につけたムチムチボディが、重い。

 ゼェゼェと呼吸がみだれて、肺が痛む。


 ――これを機に、日ごろからはしってやせようかなぁ……


 そんな考えが頭にうかぶ。

 うかんだとて、いま急にやせて体力がつくわけではないので、またカバネちゃんにあおられながらなんとか駅まではしりきった。


「あと、1分」


 気づけばもう時間がせまっていた。


「なに、どっちのホーム!?」


「こっちの階段だよぉ」


 カバネちゃんが人からは見えないことも忘れて、大声で会話してしまった。

 全力で階段をおり、カバネちゃんが指した場所にふたりの高校生がいることを視認する。


 ひとりの肩が、ドンと、もうひとりのからだにぶつかった――


 プワァァンという、電車の警笛が、耳も裂けよとばかりのおおきな悲鳴をあげる。


 おれは文字のごとく、イノシシのようにふたりへ猪突猛進してってなにムチムチのブタさんの行進にしか見えない? えぇいうるさいと被害妄想ではなたれた脳内からの揶揄やゆをはねのけつつ、足の筋繊維が爆裂しそうなほどのチカラで地面を蹴った。


 ヘッドスライディングをするような体勢でジャンプし、たおれかけている高校生の腕を引っつかむと、肩がぬけても南無三なむさんとばかりに全力でホーム側へと引っぱる。


 高校生のからだはグンと前方へ引かれ、「やだっ、チューしちゃうかもしれないっ」と思うぐらいにスッポリと、おれの腕のなかにその子(イケメンだった)のやや筋肉質でしなやかなからだがおさまる。


 ――バカヤローはしゃぐんなら場所考えろ!


 と同時に、年長者として叱りつけてやろうと思っていたのだが、


 地面に着地するや、おれのわがままボディがクッションのように高校生の下敷きとなる

 ↓

 地面と背なかの肌とがズゾゾと擦過さっかし大量のすり傷ができる

 ↓

 そのままホームに敷いてある点字ブロックに突入し、その凹凸おうとつがズドドドと秘孔への連撃のように生まれたてホヤホヤのすり傷をつつく


 という流れでこれまで味わったことのない激痛が生じた結果、


「んほぉぉぉぉぉ♡♡♡」


 となぜか「いかがわしいマンガの絶頂のおたけびかな?」と思われるようなさけび声がおれの口からまろび出てしまった。


 かくして無事に急行電車は通過していったものの、おれは「とつぜん突っ込んできて男子高校生に抱きつきつつ地面に背なかをこすりつけて歓喜の声を発する不審者おじさん」と化してしまった。


 ふたりの高校生は「ひぃぃぃぃ」「す、すんません!」とさけんで逃げていく。


 ふたりにとりのこされたおれは、すり傷だらけとなった背なかをかかえ、釣りあげられた魚のようにひとりホームでビクンビクンとはねている。


 そんなおれを見て、カバネちゃんは腹をかかえて笑った。


「痛みと恥辱で……死にそうなんですけど……」


 周囲からのヒソヒソとささやく声と、うろんなものを見るまなざしにたえながら小声でうめくと、


「『死にそう』で済んで、よかったねぇ。だれも、死ななかった」


 カバネちゃんは、また天使みたいな、不穏さをどこかへ置き去りにしたようなほほえみをおれだけに向ける。


 汗だくになってひさしぶりに昼日中ひるひなかから見あげた空は、なにもかもどうでもよくなるほど青く、遠くて、どこまでも透きとおっていた。


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