第52話 決戦と未来 #6

 チコは後方を確かめると、俺を右に誘導すると、声を出して、俺を鼓舞する。


 あがっていくウマと、伸びきれず下がっていくウマ。


 そのすれ違いで、隙間ができた。それに気づいて、チコは飛び込んでいく。


 いや、気づいたというのは正しくない。チコは、隙間ができるとわかっていた。だから、まだ前が壁だった時から、そちらに俺を動かしていた。


 だから、ほかの騎手がそこに気づいた時には、すでに飛び込んでいた。


 流れを読むチコにしかできない技だ。


 30頭もウマがいるのに、まったく遮られることなく、俺たちは前に出た。


 直線の坂に入ったところで八番手。


 チコはしゃにむに手綱を振り、俺に気合を入れていく。


 まだ早い。この競馬場の直線は長い。ここで行けば、きわどい勝負になる。


 だが、今回に限っては、これがベストだ。


 ダービーだ。余力は残しての負けなんて、許せねえ。


「行けえ。チコ!」


 ミーナの声が聞こえる。蹄の音が轟く中で、聞こえるはずがないのに、なぜかはっきりとわかった。


 チコのアクションにあわせて、俺はひたすら大地を蹴る。


 ミサキーヌももう一杯一杯だ。速度が落ちている。


 ミハシリケンも思ったより伸びがない。これならかわせる。


 一頭一頭かわしていくと、ミスジのウマが右前方に現れた。そのままかわす。


 抜き去る時、ミスジは左の人差し指で前方を示した。行けと言っているかのように。


 なんだよ、おっさん、いい奴じゃねえか。


 俺たちは直線半ばで先頭に立った。このまま押し切れば勝てる。


 だが、そうそう簡単にはいかない。


 来るんだろう、天才!


 右後方、馬群の外から栗毛の馬体が現れる。


 ソーアライク。見事な伸び脚だ。ねらっていたんだよな、このタイミングを。


 絶妙だぜ。その脚ならば差し切れる。


 ダービーで、それだけ冷静な騎乗ができるなんて。


 お前だって、立派な天才だよ。俺が騎手だったとしたら、絶対に大レースではやりあいたくない相手だね。


 ソーアライクがぐんぐん伸びてきて、距離を詰めていく。


 内外を離しているのは、わざとか。並ぶ間もなく、一気に差し切る作戦か。


 おもしれえ。だが、やらせねえよ。


 息を詰め、ひたすら俺は走る。きつい。心臓がはち切れそうだ。


 頭の中を知った顔がよぎる。


 ミーナ、男爵、ワラフ、そして、ほかのこの世界で知り合った連中。


 さらには、向こうの世界の面々。


 小山のおっちゃん。厩舎の連中、宮内、美奈。


 真理。


 そして、聡史。


 お前はもういない。約束を果たすことなく、あっさり死んだ。


 俺は一人で取り残された。どうしていいのかわからなくて、荒れた。いろいろと迷った。だから、俺はこの世界に来たのだろう。


 だが、もう腹はくくったぜ。俺は走る。お前との思い出を武器に。


 最後の最後まで、勝ちきるために。


 それは呪いじゃない。願いだ。俺は俺とお前の願いを叶える。


 鞭がうなって、俺の尻を叩く。


 痛くはない。これは鼓舞だ。いっしょに走ろうと語りかけている。


 ヨークのウマが迫る。横に並ぶ。かわされるか。駄目か。


 いいや。今日の俺には、もう一つおまけがある。


 最後の一撃エクストラカウント。一流の騎手はな。最後の最後までトップギアは使わねえんだよ。


 最後の蹴り出しで、俺は思いきり前に出る。


 加速。加速。加速。


 わずかに動揺する気配が伝わってくる。


 気づかなかったか、ヨーク。そこがお前の駄目なところだよ。見過ぎなのさ。考えずにどーんと来ればよかったんだよ。


 この天才みたいに。


 チコが激しく手綱を振る。


「いけえ!」


 高い声にあおられて、ゴールに迫る。


 ソーアライクが来る。


 差が詰まる。だが、つかまらない。


 こっちも伸びている。チコのアクションにあわせて、前へ出る。


 あと五十、四十……。


 ヨークの馬が迫る。


 あの天才が顔をゆがめて、必死に手綱を振る。


 すごい脚だ。


 来る、来る。

 だが……。


 チコの鞭にあわせて、俺はぐいと前に出る。


 身体を思いきり沈め、首を前に出したその瞬間。


 ゴール板が視界をかすめ……。


 一瞬の後、その横を駆け抜けた。


 終わった。ゴールだ。俺たちは堂々とダービーを走りきった。


 結果は……


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る